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 宮澤賢治とでくのぼうの生き方
話・桑原啓善  でくのぼう出版
 
 
 心は「波長の法」に従う

 さてさて、よろしいですか。私たちが欲望を持ったり、ひがんだり、怒ったりいたしますと、それは波動になって出ていく。電波になって外へ出ていくんです。悪い心を持ちますと粗い波動なんです。愛情とか犠牲的な精神とか親切心とか持ちますと、本体や霊体からの細かい良い波長になるんです。それから、悪い欲望とか悪い心を持ちますと、幽体から粗い波長が出ちゃうんです。もう我々はしょっちゅう四方八方にそういうふうに波動を出しているんです。こういうことが分かったんですね。
 そうすると、テレビでもラジオでも何でも通信機はそうですけども、電波っていうものは波長が合いますと声を出したり、テレビなら姿が出てくるでしょう。ダイヤルを合わせますと、ラジオは声が出てきます。テレビのチャンネルを合わせますと姿まで出てきますね。我々のこの心の波長もそうなんですよ。私たちの出している波長と同じ波長のものと交流しあうんです。我々が憎む心を出しますと、やはり憎んでいるような悪い心の波長と電波が合って同調しちゃうんです。通じてしまうんです。

 人間の心は霊と通じ合う

 それは具体的に言うとどういうことかと申しますと、人間は死んでも霊として生きているとさっき申しましたけど、死んだ人はみんな霊としてあの世で生きているんです。そういう人の中には良い人もいれば悪い人もおります。それで、例えば我々が怒ったり憎んだり悲しんだりして悪い波長を出しますと、同じような悪い心を持った霊と波長が合っちゃうんです。そうするとその霊が私たちに感応してくるんです。
 私がある人を憎むとします。「あいつ悪いやつだなあ。私にこんな悪い事した。憎らしいなあ」と思いますと、悪い波長、憎しみの波長が出ていきますでしょう。そうするとあの世におりますやっぱりそういう低級な心を持った霊に通じてしまって、私に感応してくるんです。

 人は「霊からのささやき」を「自分の心」と思う

 感応してくるとはどういうことかというと、私に通じまして「そうだ、もっと憎め憎め。もっとあいつに仕返しをしてやれ」というささやきをするんです。「ささやきをするなんて、私はそんなもの聞いたことない」って言いますけど、人間というのは面白いものでしてね。自分でものを考えますでしょう。それから感情を持ちますでしょう。「嬉しいな」「悲しいな」「今日は良い気分だな」とか「今日は憂鬱な気分だな」「今日はあそこにちょっと行ってみようかしら」とか、「あの人嫌な人だ」「あれが欲しいな」とか思いますでしょう。全部それは自分の心、自分自身が持った感情だと思っているでしょう。とんでもないんです。電波を出しておりますから、その電波に合った、波長に合った霊からの通信が来ておりまして、あたかも自分の気持ち、考えのように思ってしまうんです。
 例えば今日皆さんはおいでになったでしょう。何か話を聞きに行こうかなと思われたでしょう。それは確かに自分の決断でおいでになったんですよ。ですけどその時にね、「行ってみようかな」と思った時に電波を出しておりますから、皆さんの後ろにいる霊がですね、「行ってごらんよ。さあ準備をして行きなさい。どうしても今日行きなさい」と言うと、「どうしても今日行ってみよう」っていう気持ちになっちゃうんですね。こういうふうにですね、我々の考え、我々の気持ちは全部自分の心だと思っていますけども、霊からの影響を受けまして、それが強化・増幅されているんです
 反対に、行こうかと思ったら、行きたくなくなったりもさせます。それは行くことを妨害しようとする霊からのテレパシーです。本人はそれを自分の心のように思い、「じゃ今日は止めとこう」と思って行くのを止めます。このように霊には人の心を変えさせる働きもあるんです。このことを今の科学は知らない。多少テレパシーとか何とかということで分かってきた。
 テレパシーの実在は今科学的に証明されているんですよ。超心理学といわれるもので、科学的にテレパシーはもう証明されているんです。心と心は通じるということが。
 ところが、人間のいろいろなものの考え方、心の持ち方は、霊からの影響が日常たくさんあるんだということがまだ分かっていないんです。
 
 
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