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 心にまく種、心に咲く花
ジェームズ・アレン・著  Softbank
 
 
 することと知ること

 性格、身に起こる出来事、環境、境遇、人間関係など、人生のすべてのことは心から生じます。心はたくさんの習慣の組み合わせからなっています。習慣は固定されたものではなく、根気よく努力することによって、いかようにも変えることができます。人は習慣を自由自在に操る力を握っているのです。と同時に、あらゆる束縛から解き放たれ、自由への扉を開ける鍵をも握っています。
 しかし、人生を汚すものからの解放は、心を浄化することによって徐々に達成されるものであり、何かをしたり、何かを手に入れたりしたから、すぐに達成されるものではありません。
 ともすれば情熱に駆られて間違った行動に走りやすい状況のもとで、清らかなことを考え、落ち着いた態度をとれるよう、日々、心の鍛錬をしなければならないのです。正しい人生を望む者は、根気よく大理石に鑿(のみ)をふるう彫刻家のように、心のあらけずりな部分をゆっくり時間をかけて丹念にけずり落とし、自分のもっとも美しい夢という理想像を彫り上げなければなりません。
 そのような崇高な偉業を体験するには、もっとも低い簡単なステップを踏むことから始め、徐々に高度な難しい段階へ進んでいくことが必要です。成長、進歩、進化、といったものが段階を踏んで徐々にのぼっていくというこの法則は、人生のあらゆる領域で通用しますし、人間が何かを達成しようとするときに絶対必要なものです。それを無視すれば、間違いなく失敗に終わるでしょう。

 「より高潔な人生は、神学や哲学の本を読んで、そこに書かれている形而上学的な仮説を採用すれば実現できる」と考えるのは、よくある誤りです。高潔な人生とは、考えること、話すこと、することにおいて、高潔さを発揮して生きることを意味します。これらの知識は、徳のある行ないを追求し、実践する長い鍛錬の末に初めて獲得されるものです。
 偉大な知識を得るには、まずささいな知識を徹底してマスターしなければなりません。真の知識を獲得するには、必ず訓練を経なければならないのです。
 正しいしつけがされる家庭では、子どもはまず親の言いつけに従順に従い、どのような状況でも言われたことを正しくやるよう教えられます。子どもはどうしてそうすべきなのか告げられずに、そうするよう命令されるのです。親に言われたことをその通りにできるようになった後に、初めて「なぜそうすべきなのか」を告げられるのです。
 このように、日常の世界においてさえ、知識より訓練が先行します。清らかで高潔な人生を達成するためには、この法則は絶対に護らなければなりません。真理は、日々徳を積むレッスンをすることによってのみ達成できます。最初はごく簡単なことから始めて、次第に難しい課題に取り組んでいくのです。
 
 
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