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 第四の国難
前野徹・著  扶桑社
 
 
 耳も目も覆い隠されて改造された日本

 戦後のアメリカの日本統治はリペラルだったと考えている人がいるとしたら大間違いである。GHQは、表向きは報道、言論の自由を掲げていたが、言論の自由などかけらもなかった。
 GHQの厳しい言論統制によってすべて検閲が行なわれ、アメリカに不都合な記述は一から書き直させられるか、発禁処分になった。例えば先に述べたようにルーズベルトを告発したチャールズ・ビアード博士の『ルーズベルト大統領と第二次世界大戦』はGHQによって発禁処分にあったし、GHQ労働局諮問委員会のメンバーとして来日した歴史学者、ヘレン・ミアーズがアメリカ占領政治の欺瞞を暴いた書、『アメリカの鏡・日本』も、執筆された昭和24(1949)年にGHQによって翻訳・発行を禁じられている。
 占領軍の情報操作・言論統制は、占領統治が始まると同時に実施された。昭和20年9月、GHQは日本の新聞や雑誌、書籍、放送などマスコミ関係者に向けて、「プレスコード」なるものを発表した。プレスコードは日本語では「新聞規約」となっているが、「連合国占領軍に対し、ネガティブな(マイナスになるような)批判を加えたり、占領軍に対し、不信もしくは怨恨を感じさせるような事項を掲載(もしくは放送)してはならない」とある。要するに情報の統制である。
 さらにGHQは10月になると、一切の報道内容について事前検閲を行なうことを決定、検閲要領の細則を各新聞社や出版社に通達し、検閲体制を整えた。これによって、反米的な情報、とりわけ東京裁判と原爆投下に関する批判は厳しく禁じられた。
 日本の無実を主張したパール判事の意見書ももちろん、その内容は一言も報道されなかったばかりか、その存在さえ伏せられた。
 戦時中の日本の言論統制は、まずい個所を墨で消すというものだった。しかし、前後の文章は残っているので、少し推察すれば何が書いてあったかおおよそ見当がついた。
 対してGHQが行なったのは完全な言論の統制である。検閲の第二条では、「検閲があった事実を言ってはならない」「検閲の痕跡を残してはならない」と定めている。この取り決めによると、一部だけを消すわけにはいかないので文章全体を書き直すというわけである。
 東京裁判に関しても、このルールが適用され、東京裁判に関する論文は、論理一貫するようすべて「正しい裁判だった」と結論づけられた。これを占領期間中の7年間もやり、徹底的に日本人の洗脳を行なったのである。
 日本のメディアもだらしなく、どの新聞もGHQの徹底した言論統制・検閲に反発せず、むしろ、手先となって国民の洗脳に手を貸した。マッカーサー総司令部が行なったこの一連の日本人の洗脳は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」なる「戦争贖罪意識宣伝計画」に基づいていた。その派手な演出が東京裁判であり、占領軍憲法(現在の日本国憲法)の制定だった。
 こうして、日本人の精神改造を着々と進める一方で、GHQは憲法だけでなく、教育も作り替え、日本の解体を実現していったのだった。

★なわ・ふみひとのコメント★
 
いまもなおアメリカ(を裏から支配している勢力)によるこの国の言論統制は続いていると見られます。また、中国を初めとするアジアの国々からも、政治家と同じようにマスコミ人に対してさまざまな働きかけ(誘惑・脅迫)が行なわれ、自分の国の利益につながるような、つまり日本の国益に反するような報道をさせられているのです。最近では朝日新聞を筆頭とするマスコミの「フェイク・ニュース」が指摘されるようになってきましたが、「何が報道されたか(重視されているか)」ということとあわせて、「何が報道されないか(軽く扱われているか)」ということも、マスコミの偏向ぶりを見る上で大事なポイントとなります。
 
 
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