歴史に遺された日本人の知性と道徳
大航海時代に日本を訪れた宣教師たちの記録に、日本人の知性や道徳は世界最高であると書かれている。当時は戦国時代、天下分け目の戦いを展開しているさなかであった。その乱世のなかでも、日本人の振る舞いが礼儀正しく、徳の高いものであることに驚嘆してイエズス会に報告の文書を書き送っている。
1549年(天文十八)8月19日に鹿児島に上陸したスペイン人イエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルは、ゴアのサン・パウロにいたコレジョ修道士宛の書簡のなかでこう述べている。
「此の国の人は礼儀を重んじ、一般に善良にして悪人を攘(ゆず)らず、何よりも名誉を大切にすることは驚くべきことなり」
「俗人の間には罪悪少なく、また道理に従ふことは坊主と称するパードレ(神父)及び祭司に勝れり」
また、ザビエルに同行したパードレ・コスメ・デ・ドレスが布教地の山口からスペインのバレンシアのイエズス会士に宛てた書簡にも同様の記述がある。「日本人はきわめて理知的であり、道理によって身を処することはスペイン人に劣らず、あるいはそれ以上である」と、褒め讃えている。当時の日本人の教養と徳性が、世界中を伝道していた西洋知識人を驚かせたのだ。
日本では古代より質の高い社会を形成していた。16世紀のスペイン伝道師の記述を待つまでもなく、3世紀に書かれた『魏志倭人伝』(正確には『三国志』・「魏書」の東夷伝)には、「窃盗せず、訴訟少なし」という記述があり、穏健で徳性ある社会を営んでいたことがうかがわれる。
中国は当時から強盗の国であった。山に山賊がいないところはなく、湖に匪(ひ)がいないところがない、という匪賊(ひぞく)がやり放題の「梁山泊(りょうざんぱく)」の国情があった。その国の人間が倭の国について「泥棒がいない」と、これまた驚いて記録に残したのである。
道義、儀礼に厚い国として、西洋人伝道師が見た日本は、その後徳川幕府の下、三百年近くにわたる天下太平の時代を経て、さらに礼儀、道義の邦(くに)として成熟していった。
1856年(安政三)、下田に来航したアメリカの初代駐日公使ハリスは『日本駐剳(ちゅうさつ)日記』に、永年鎖国下にあった日本の開国後の姿について、「日本の国民にその器用さと勤勉さを行使することを許しさえすれば、日本はやがて偉大な、強力な国家となるであろう」と予言した。
アメリカ人が通商を求めて来航する少し前、1811年(文化八)に、ロシア軍人ゴローニンが部下とともに国後島において蝦夷松前奉行に捕らえられ、その後2年3カ月にわたり箱館で幽閉された。その際の抑留経験を綴った『日本幽囚記』で、日本人の心優しさを綴っている。このゴローニンの釈放に力を尽くしたのが海商の高田屋嘉兵衛である。
『日本幽囚記』はその後ロシアをはじめヨーロッパ各地で出版され、日本人の高潔さがヨーロッパに知れわたることになった。この『日本幽囚記』に感動して、日本での伝道活動を決意したロシア人宣教師ニコライも、日本人について「上は武人から下は町人に至るまで礼儀正しく、弱いものを助ける美しい心をもっている。忠義と孝行が尊ばれ、これほど精神の美しさをもつ民族は見たことがない」と絶賛している。
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