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 不食
人は食べなくても生きられる
山田鷹夫・著  三五館
 
 
 大災害時にあなたを救う呪文

 それから、不食は不慮の災害に、不測の事態や非常時に強力な武器になる。
 地震や津波、この夏は僕の住む新潟県でも大きな水害に見舞われている。死者が10人以上というニュースが流れている。これからかなりの災害が、温暖化や地震などとあいまって予測されている。繰り返されるリアルなテレビの映像は、あなたの潜在意識に恐怖、事故、死傷を刷り込む。悪のニュースも刷り込む。
 潜在意識は不安に怯えているということがわかっているか? たとえ災害に見舞われることがないとしても、すでにあなたの潜在意識は災害に見舞われているのだ。それがテレビに隠された力だ。あなたは恐怖と不安を植えつけられている。そのことに気がついていないあなたがいる。微々たる力だが、くり返し植えつけられることによって、無意識のうちに形成された恐怖の力が、あなたを動かしている。

 潜在意識を脅かす災害効果を「不食」は癒す。不食はその恐怖を打ち消す力を持っている。簡単に言えば、「食べなければならない!」という脅しに、「食べなくても平気!」で解消をはかるのだ。
 災害に遭遇したときにまず1番目にはケガがあって、次に食糧の問題がくる。だれでもが三度三度の食事がなければ生きていけないと思っているから、災害のショックに加えて、欠食の恐怖にも見舞われる。パニックは相当なものになる。もし地球規模の災害に襲われたならば、どこからも助けは来ない。そんなとき、1つの智恵があると生き延びるのが相当楽になる。それは天から響き来る真言。「人は食べなくても生きられる」という魔法の呪文だ。
 災害はいつ襲い来るかわからない。非常食の備蓄も大事だろうが、このひと言を記憶しておくだけで大きな力になる。1週間、10日食べなくても平気なんだと思えば元気が出てくる。通常、食べないと駄目だと思いこんでいるから、その意識は身体にもその指令を送る。身体は駄目になる。だが、大丈夫だということを教え続ければ身体はその教えを忠実に履行する。
 過剰な食の現代ではなかなか体験できないことだが、災害時には否応なしに実験ができるのだから、ある意味素晴らしい体験になる。この本を読んで、たった一つ伝えたいことは長い文章ではない。くり返し引用しているひと言だ。「人は食べなくても生きられる」。
 これ一つだ。巨大災害時、サバイバル状況に万が一遭遇したときに、この言葉があなたを救う。日本人に、世界の人たちに伝えたいのはたったこのひと言である。僕がインターネットで、1日に20グラムの玄煎粉があれば生きられるという記事を見つけて、何気なく読んだその記事から、ある日不食が誕生した。
 そのように、「人は食べなくても生きられる」という言葉が、あるときにあなたに目覚め、あなたを救う。あなたの生活を変え、あなたの人生を変える。今すぐに不食にとりかからなくてもいい。時が満ちていなければそれは育成・開花しない。それでいい。それでもこの意識はあなたという土壌にまかれた。あなたに僕がプレゼントした小さな種子がいつ発芽するか、それは神だけが知る。

 
秘密を解き明かそう

 さてここで、なぜ神は人間に不食の秘密を隠したのか調べてみよう。
 (前出の)ヨギである聖女の答えから2つの理由があるとわかる。彼女の師が公開を望んでいないこと。それは神の計画に触れてはならないとしていることとして、まず1つは、百姓や自然界の楽しみを損なってはならないということ。もう1つは、不幸や飢えや病気は、人生にとって必要なものであるとしている点である。カルマのむちであると表現している。それぞれに納得できる理由である。
 ではこの理由を超えて、この今だからこそ、この秘儀の公開が許されるという大胆な更新の理由は何かを答えよう。最初の1つは自然界と生産にかかわる理由である。

 現代は自然界は汚されている。純粋な自然ではなくなり、その恵みは滅びつつある。昔に川や山に生えていた植物は姿を消している。動物もそうで、かなりの種が滅びつつあることが実感としてわかる。
 自然界の楽しみを人間は楽しまなくなった。今では子供も大人も、自然を楽しまなくなった。子供たちは自然の恵みを味わわなくなった。自然の恵みをいただくという感謝を忘れた。
 これまでの楽しみとして、それは百姓の領分としてあった生産が過剰に膨れあがり、ゆがんでしまった。生産の元である食が狂った。生産をそのままにしておけば、ゆがみはさらにひどくなる。自然は汚されていく。百姓の生産と自然の恵みは変質してしまったのだ。これを放置していたならば、自然界を滅ぼし、百姓を殺してしまうことになる。今ではある意味、百姓でさえ死んでいる。だからこそ不食の公開は許されたのだと。
 
 
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