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 私を劇的に変えた日本の美風
呉善花・著  李白社
 
 
 世界一安全な社会が危機にさらされている

 日本に来て1年ほどだというイギリス人女性との雑談中、彼女は、「この前の夜、コンビニで買い物をして外に出ると、車のエンジンをかけたままで降りて店に入って行く人がいるのでびっくりしました」という。どうなるかと自分の車の中から見ていると、その人は数分で車に戻って走り去ったが、イギリスではとうていあり得ない光景だと感心していた。
 韓国人からも同じような話をよく聞く。
 「電話ボックスの中に財布を忘れて、数時間後に行ってみたらそのままあった」
 「韓国ではスーパーに入るときにはバッグや紙袋を持って入ってはいけないのに、日本では大きなカバンでも持って入れるから信じられない」
 私もロサンゼルスの書店ではカウンターに荷物を預けさせられたし、サンタモニカのホテルでは、夜は歩いて外に出るなといわれた。
 日本で最も治安がよくないといわれる東京・新宿歌舞伎町にも、バッグを肩にかけて後ろにぶら下げ平気で歩いている女性たちがいる。また背中のリュックのチャックを開け放しにしている若者たちがけっこう多い。のぞいてみれば財布まで見えている。アメリカでもヨーロッパでも東南アジアでも韓国でも、繁華街を歩くときにはバッグを胸に抱えるようにして歩くのが普通である。
 韓国の都会の民家では、屋根の高さと同じ高さの塀で家を囲い、塀の上に尖った鉄針を並べ立てておくのが普通である。入口の門は二重にするところが多い。香港でも同じような状態である。アメリカの都市部では、高級住宅街を丸ごと高い塀で囲い、電流を流した有刺鉄線を張りめぐらせている地域があちこちにある。フィリピンなどではお金持ちの家は数メートルの塀で囲われ、頑丈な鉄の門の前に銃をもったガードマンが立つ。
 日本では塀のない家が珍しくなく、東京のような大都会でも腰の高さほどしかない塀の家が多い。門などは格好だけで防備の役にはたたなく、玄関扉のカギをかけない家すら少なくない。泥棒はいつでも簡単に入れるようになっているのだが、私の身近なところで泥棒に入られたという話は、18年間東京で暮らしいるがほとんど聞いたことがない。
 こんなふうにいっていると、「日本の治安もずいぶん悪くなっている、そんないい話ばかりではない」といわれるかもしれない。たしかにそうだけれども、日本の比較優位はゆるがない。日本社会が世界でダントツの治安優等生社会であることに変わりはない。
 現在の日本社会が安全なのは、なんといっても、世界で最も貧富の差の少ない、しかも世界で最も巨大な中間層の拡大した社会づくりに成功したことが大きい。だからこそ、これを崩してはいけないのだ。物乞いをしないホームレスも日本にしかいない。
 百万人の人口を抱えた近世の大都市江戸の犯罪発生率は、同時代のヨーロッパ諸都市とは比較にならないほど低かったそうだから、安全社会日本の伝統にはかなりの歴史があるはずである。
 なぜ日本の社会は安全なのか。日本人の精神性はさておくとして、外的な条件としていえることは、長い間外部からの人々の流入がほとんどない島国としてあったからだと思う。私の故郷の済州島も、私の若いころまでは韓国で最も安全な地域だった。どこの家でも戸はいつも開け放したままで、世間では「泥棒のいない土地」といわれていた。それが崩れたのは、半島からたくさんの人たちが移住するようになってからのことである。もちろん島の外の人たちに泥棒が多いというわけではない。何世代にもわたって、共通の習俗・習慣のなかでみんなが仲良く暮らしてきたということ、それが社会に安全をもたらしていた第一の条件だったのである。実際、済州島でも外部流入者の犯罪の多発から「安全神話」が崩れていったのである。
 社会の安全が危機を迎えるのは、生活世界の共在感覚、生活的な仲間意識が社会的に解体したときである。急速な都市化と流入外国人の増加は、ほうっておけば社会をそうした方向へ推し進める。都市化が悪いのでも外国人が悪いのでもない。どうしたらみんなが生活世界の共在感覚をもって生きられるのか、どうしたらみんなが生活的な仲間意識を得られるのか――現代社会にはそれが切実に問われなくてはならない。人々の間に仲間はずれの意識が広まるのは、社会にそうしたテーマがないと感じられるから。そして仲間はずれの意識の拡大こそ、犯罪の温床ではないのだろうか。

★なわ・ふみひとのコメント★
 著者プロフィールによると、呉善花(お・そんふぁ)さんは1956年韓国生まれ。現在は拓殖大学国際開発学部教授と書かれています。この本を読みますと、いい意味で日本が世界でも特殊な国であることがよくわかります。著者が危惧しているように、いまや国内の治安状況は音を立てて崩れつつありますが、世界から見ればまだまだ安全そのものだということです。私たちはこのような“日本の美風”に誇り持ち、大切に守っていく努力を続けたいものです。

 
 
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