尊敬する小説家フランソワ・モーリヤックの最後の作『ありし日の青年』に、次のような言葉がある。
「ひとつだって無駄にしちゃあ、いけないんですよと、ぼくらは子供のころ、くりかえして言われたものだ。それはパンとか蝋燭(ろうそく)のことだった。今、ぼくが無駄にしていけないのは、ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみだった」
この言葉を読んだ時、思わず「これだな」と思った。私が会得したものがそのまま、そこに書かれていると知ったからである。
ひとつだって無駄にしちゃいけない――と言うよりは、我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神はその無駄とみえるものに、実は我々の人生のために役にたつ何かをかくしているのであり、それは無駄どころか、貴重なものを秘めているような気がする。これを知ったために、私は「かなり、うまく、生きた」と思えるようになった。
『生き上手 死に上手』(エッセイ)
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六十歳になる少し前ごろから私も自分の人生をふりかえって、やっと少しだけ「今のぼくにとって何ひとつ無駄なものは人生になかったような気がする」とそっと一人で呟くことができる気持ちになった。
そういう心境になったのはひとつは私が小説家であるせいかもしれない。小説家は作中人物を生むために、たえず自分の過去の貧しい体験や心理を牛のように反芻しているものだ。反芻に反芻を重ねているうちに、それら貧しい体験や心理が実はいつか来る大きなもののためにどんなに欠くべからざるものだったか、わかってくる。表面は貧弱にみえた出来事や経験、表面は偶然にやったようなことにも実は深い意味がかくされていて、その意味の珠(たま)と珠とが眼にみえぬ糸によってつながれ、今の自分を形づくっていることが感じられる。
それが小説家として私の学んだひとつなのだが、その気持ちが私に「今のぼくにとって何ひとつ無駄なものは人生になかったような気がする」と言わせてくれるのだ。
『心の夜想曲』(エッセイ)
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「われわれは労働で死んだように疲れ、スープサジを手にもったままバラックの土間に横たわっていた。そのとき一人の仲間が飛びこんできて、急いで外の点呼場までくるようにといった。そしてわれわれは西方の暗く燃え上がる雲を見た。幻想的な形と青銅色から真紅の、この世ならぬ色をもった雲を見た。そしてその下に収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があった。感動の数分がつづいた後に、だれかが他の人に世界って、どうしてこう美しいんだろうとたずねる声が聞えた」
この個所(フランクル『夜と霧』)を私は、志ひくくなった時、幾度も読む。そして、そのことばが単なる一時的な感傷か、疲労からきた感動かと疑う。しかし、そうした私のいやらしい疑いをたちまち打ち消してしまうようなページにすぐぶつかる。
「強制収容所を経験した人はだれでもバラックの中を、こちらでは優しいことば、あちらでは最後のパンの一斤を(病人に)与えた人間の姿を知っているのである」
一日、一つのパンとスープしか与えられず、もしそれを食べねば強制労働中、自分が倒れてしまうかもしれぬのに、そのパンを病人に与えた人がごく少数であったが存在していたことをフランクルは記録しているのだ。そして、その時「世界って、どうしてこう美しいのか」ということばが意味を発するのであり、人間の自由はどういう時でも決して奪われることはないと私に思わせるのである。
『よく学び、よく遊び』(エッセイ)
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人生的というと何か小説や映画に出てくる劇的なものを連想するが、しかし劇的なものだけが人生的なのではない。
劇的なものが表面にはまったく見えぬ平々凡々な日常の苦労の連続、それが我々の生活である。しかし、「その人生(的)ならざる処や人生」であり、人生のふかい意味と神秘とがひそんでいるような気がしてならぬ。
『生き上手 死に上手』(エッセイ)
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たしかにどんな人だってその人の人生という舞台では主役である。そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役のつもりでいる。
だが胸に手をあてて一寸、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
たとえばあなたの細君の人生で、あなたは彼女の重要な傍役である。あなたの友人の人生にとって、あなたは決して主人公ではない。傍をつとめる存在なのだ。
『生き上手 死に上手』(エッセイ)
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我々人間は、人生という舞台で自分を表現しようとして生きているのだが、誰もが十分自分を表現しえたと満足してはいないだろう。何か表現できなかったものがあると死ぬまで考えているだろう。
若い頃はその「表現しえぬ」ことにあせったが、この年になってみると、これでいいのだと思うようになった。というのは我々を包んでいる大きなものが、その表現できなかったものを充分に吸いとって、余白のなかで完成させてくれていると考えるようになったからだ。
『生き上手 死に上手』(エッセイ)
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「もし、私があの時、伯母たちの奨める縁談を拒絶したい気持がなかったなら」「もし私が、父を憎み亡母を思慕する気持がなかったなら」
私はこの妻と結婚はもちろん、交際もしていなかったであろう。同じように妻も「もしその助手に黙殺されたという寂しさを味わっていなかったなら」我々は生涯、水呑み場で水を飲んで運動場の左右に別れていく二人の小学生のような関係しか持たなかったであろう。
だが、この「もし」がなかったため、私たちは現に結婚している。この偶然を我々の人生のなかで織りなしている存在は一体、何なのか。偶然は本当にたんなる偶然にすぎないのだろうか。
誕生祝いのデコレーション・ケーキをたべながら、子供を叱っている妻の顔を見つめた。この女が私の人生に侵入し、私がこの女の人生に侵入した事情はみな「もし」なのかと考える。もし、そうだとすれば、やはり生きるということは神秘的なことだ。
『影法師』(小説)
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かなり人生を生きたおかげで、私はマイナスにもプラスがあり、プラスにもマイナスがあることを充分にまなんだ。たとえば半年のあいだ私は病気がちだったが、この肉体的なマイナスのおかげで自分の人生や他人の苦しみを察することが多少はできるようになった。かえりみると病身でなければ私は傲慢な男でありつづけていたかもしれぬ。私はある面で臆病だが、この臆病さゆえに仕事の準備などに慎重であることもたしかだ。マイナスにもプラスがあり、プラスにもマイナスがあるのである。
だから私は自分の能力や性格にコンプレックスを持っている若い人には、その欠点やコンプレックスをプラス面に変えることを教えている。口下手な人間がいくら上手にしゃべろうとしても困難である。「口下手」という欠点に悩んでいるなら「聞き上手」に変ればよい。聞き上手ということは長所である。
二番目にマイナスにもプラスがあり、プラスにもマイナスがあることがわかったならば、どんなすばらしい主義思想も限界をこすとマイナスになり、どんなすばらしい善も限界をこすと悪になることを知ることだ。それは独善主義から自分を救うのに役立つからである。革命はすばらしい主義であろうが、それがある限界をこした時、非人間的なものになることでもこの観点はわかってもらえるはずである。他人を愛することはすばらしいが、それが限界をこすと相手に重荷を与え、相手を苦しめることさえある。その限界がどこかをたえず心のなかで噛みしめておかねばならぬ。
三番目に一人の人間のなかにはいろいろなチャンネルがあることを知ることだ。今までの世のなかでは「ひとすじの道」と言って、自分のなかの一つのチャンネルの音だけだす生きかたをする人が多かった。私は自分のなかのいろいろなチャンネルをまわし、人の二倍を生きた気持になっている。
私がもし若い人を教育するとしたら、この三つをいつも語ってきかせるだろう。落ちこぼれのなかにプラスがあることを話すだろう。少年時代に私は落ちこぼれだったが、それが今、小説家として人間を知る上でどんなに役にたっていたか、わからない。人生というふしぎな過程のなかには、無意味なもの、無価値なものは何ひとつないのだ、という確信は私の心のなかでますます強くなっている。
だから挫折も失敗も病気も失恋もプラスにしようとすればプラスになっていくのだ。そのプラスにする知恵を教えてやるのが、私は本当の教育だと思っている。
『春は馬車に乗って』(エッセイ)
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