[戻る] 
Browse  
 
 ルーズヴェルトが
20世紀をダメにした
E・M・ジョセフソン・著 馬野周二・監訳
徳間書店
 
 
 グルー駐日大使が行なった日本暴発の陰謀

 一方、対アジア対策を見ると、ジョン・ピアポント・モルガンの甥ジョゼフ・グルーの駐日大使任命が発令された。これは合衆国を攻撃するよう日本を誘導する企てである。グルーはたちまち自分で「日本の友人」との評判を取った。日本人が軍備を促進する上で彼は極めて貴重な助けとなったし、スタンダード・オイルは石油を日本に文字どおり注ぎ込んだ。ライト・エアロノーティカル社はじめ諸航空機メーカーが工場を建設し、無制限にエンジンと翼を供給した。またアメリカの軍需品が途切れることなく日本に流れ込んだ。廃墟となったニューヨーク市の六番街高架鉄道を含めて、まるでアメリカ市場のスクラップ(屑鉄)が日本へと船積みされたし、合衆国は日本が戦争のために必要とするものは何でも気前よく供給した。日本は自らの首を絞めるロープをふんだんに与えられつつあったのだ。
 軍備が整ったにもかかわらず、日本はまだ合衆国を攻撃するだけの十分な勇気を奮い立たせられないでいた。陰謀家たちはいらいらしていた。彼らは、議会が公式に宣戦布告することを余儀なくされるような合衆国への攻撃を引き起こすべく工作していた。太平洋艦隊司令長官リチャードソン提督が、ある日、上院調査委員会で次の証言をしている。ルーズヴェルト大統領が1940年10月8日のホワイトハウス昼食会で、「日本人は早晩誤りを犯し、われわれは戦争に入ることになろう」と希望的観測を述べた、と。
 その直後、リチャードソン提督は太平洋艦隊を分割してパール・ハーバーに碇泊させることを再度主張したが、これは日本への激しい敵意をかきたてる方策を講じるためにルーズヴェルトが表明した意図からも、同提督の主張にはいずれにしてもその勧告と反する処置が取られていただろう。
 リチャードソン提督が太平洋艦隊の自衛準備を執拗に促すと、彼は部署を解かれてキンメル提督と交替させられた。海軍はルーズヴェルトによりこうして戦争準備を故意に阻止されたのである。
 ルーズヴェルトは、彼の主人たちの要求で、軍艦と海戦で遊ぶという幼年時代の憧れの途をなおも辿っていた。間接的に彼は太平洋艦隊の指揮を取ったのである。日本軍にパール・ハーバー碇泊中の艦隊を攻撃さすべく誘導するために、ルーズヴェルトは考え得るあらゆることをした。隘路状態になっていて、おそらく攻撃されれば防衛不可能なパール・ハーバー港内に艦艇を配置し、受信されるいかなる危険警報、攻撃警報もすべて無視するよう命じられた。
 その間、ロックフェラー・ソヴィエト枢軸に支配されてロックフェラーから資金を受けている太平洋協会では、日本の共産党すなわちリヒアルト・ゾルゲ一味にせっせとスパイを送りこんだ。その目的は、日本軍閥をそそのかして元来の日本側の計画であったソヴィエトの攻撃ではなく、相手を合衆国に向けてパール・ハーバーを攻撃させることであった。
 アルジャー・ヒスや、さらにハル・ウェア共産党細胞の仲間であるアメリカ国務省のロックフェラーグループ、共産党の工作員たちは、国法を冒してゾルゲ・スパイ一味の仕事をも補足した。
 実際に、日本人は「合衆国艦隊をパール・ハーバーで叩きつぶせ。そうすれば緒戦から戦争は勝利を得る」と彼らに言われたのである。一方、攻撃したくてむずむずしていた日本人は、外交分野でも「ハル・ノート」やABCD包囲網で怒りに火をつけられた。

 
王朝と帝国は期待し、日本は駆り立てられて起こったパール・ハーバー攻撃

 日本人をそそのかして合衆国を攻撃させようとの入念な計画は西欧外交界では常識であったが、それを言うことはこれまでは「道徳」違反だと考えられてきた。しかしウィンストン・チャーチル内閣の生産大臣オリヴァ・リッテントン海軍大佐が1944年7月20日議会で次のように述べた。
「日本は駆り立てられてパール・ハーバーでアメリカを攻撃した。アメリカが参戦を余儀なくされたというのは、歴史上のお笑いごとである」
 これこそ、1944年10月8日付「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」誌に載ったキャスリーン・マックラフリンによるエレノア・ルーズヴェルトのインタヴューで、例によって機知よりも口先のうまいエレノアが、パール・ハーバーについて次のように述べた言葉の真意なのである。
「12月7日は、わたしたちにとっては、ちょうど別のD−デイ(訳註*対独総反撃行動開始予定日)のようなものだった。わたしたちはラジオに群がり、さらに詳報を待った――しかしそれは、この日が国全般に与えたショックとはまるきり違っていた。わたしたちは永い間なにかこの種のことを期待していたのです」
 彼女の述べたことは、実は非常に意味深長であった。D‐デイというものは予め最高司令部にはわかっている。このD−デイがルーズヴェルトと側近たちにわかっていたことは疑いない。ルーズヴェルトのデスクには、すでに攻撃の何時間も前に、日本側からワシントンの使節団宛に送られてきた「東の雨風」と呼ばれる暗号電報の解読文が置かれており、これには、日本は次の日にパール・ハーバーを攻撃するつもりであると述べられていた。しかし彼はわざと国家とその防衛者たちを裏切り、彼らになんら警告しなかった。反対に、彼らは外部の危険信号を無視するよう指示されていた。全歴史上、いかなる国にしろ、その最高責任者によるこれ以上の反逆行為が存在したためしはない。
 そうだとすれば、王朝とそのお先棒フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領は、日本の攻撃を誘い早めておいて、わざと軍隊から警告を撤回し、彼らが自衛するのを妨げた、ということになる。なぜなのか。8年もの長い間、陰謀者たちは攻撃を希求し待ち続けた。彼らは効果性を危うくするようなことはこれまでも決してやらなかった。陰謀家のモットーは、「石油は血よりも濃い」であったに違いない。
 もちろん、流されたのは彼ら自身の血ではない。2千5百人の兵の血とアメリカ国民が支弁した戦艦一艦隊で、その価格は彼らにとっては安いものだった。それらの人の生命は、彼らにとっては何でもない。まして国民が彼らに故意に陥れられた危険は、国家の枠を離れた隠れ場に身をひそめる悪党たちにとっては、例の如く、まず知ったことではなかった。
 陰謀者たちは、自分たちの反逆を隠す努力はあまりしなかった。このことは、ロックフェラーの親戚でもあり、代理人でもある二人の人物間の書簡によって明らかにされている。その一人は、ロックフェラーの親戚ウィニフレッドの夫で、彼らの宣伝機関、海外政策協会の運営面の代理人たるブルックス・エメニーであり、もう一人は下院外務委員会の共和党委員に名を連ねた下院議員フランシス・ボルトン夫人である。エメニーヘの書簡でボルトン夫人は、自分が彼やロックフェラー家のボスたちに「教導」されていることを自ら認めた。そして彼女も仲間も12月7日のパール・ハーバー攻撃を待ち受け「祝賀した」と述べている。

★なわ・ふみひとのコメント★
 
日本を戦争に誘い込む“陰謀”は、アメリカを支配する一部の権力者たちによって、真珠湾攻撃の8年以上も前から準備されていたことがわかります。ルーズヴェルトもその首謀者の一人に名を連ねていますが、それが彼個人の意図や計画でないのは、本日の内容からも理解できると思います。
  「豚は太らせて食う」とも言える形で、日本の軍備を増強させ、アメリカを攻撃するようにし向けておいて、完膚無きまでに叩きつぶし、その国の中枢を完全支配して属国化する、という世界支配層のプランが見事に結実した太平洋戦争だったことがわかります。当然、その後の日本は“彼ら”に操られ、好き放題にされているわけで、その結果が今日の頽廃した日本の姿なのです。
 
 
[TOP]