序
あるいは大袈裟な表現かもしれない。しかし、日本はいま、国難に直面していると言える。内外の状況は国家としての土台を深刻に揺さぶり続けており、日本人の覚醒なしには、この国は日本であることを放棄し、無国籍国家として諦めの海に沈み行くと思えてならない。
理由は大きく括って、ただひとつである。日本人が自国の歩んできた歴史を知ろうとしないことだ。そのために自己が何者であるか、何をなしてきたのか、なさずにきたのかの認識と把握が難しい。自分の国の歴史について十分に知らないために、他国にその歴史を論難されても検証できず、容易に、他国の立場から見た日本観をそのまま受け容れていく。他国はさまざまな政治的思惑、経済的思惑、国際社会で生き延び、さらに力をつけていくための駆け引きを考えながら、白を黒、黒を白と言いくるめる手法で、日本を論難する。その主張は事実に即したものというより、武力を使わない闘い、つまり国益のためには嘘も是とする外交の産物にすぎない。にもかかわらず、戦後60年間、日本は愚直にそうした他国の一方的批判を受け容れ、謝罪し、頭を垂れ続けてきた。
他国のなかでも抜きん出て日本を論難してきたのは中国である。力を蓄えた中国はいまや日本人の歴史観への挑戦を果敢に、かつ広範に展開中だ。外交上は靖國神社問題に、内政、特に教育上は「南京大虐殺」に集中するかたちで、中国の日本への挑戦は続く。その振る舞いは、まるで彼らが日本人の思考のコントロールの総仕上げに入ろうとしているかのようでもある。
(中略)
日本人にとって大切なことは、こうした個々の問題についての事実関係とともに、歴史の枠組み、特に日本を悪辣な犯罪国家と断罪した東京裁判以降の歴史をきちんと把握することだ。東京をはじめとする一連の軍事法廷で、“A級戦犯”とされた人びとを筆頭に多くの日本人が戦犯とされ、1068名が処刑された。一連の裁判はいったいどのような裁判だったのか。それは正当なものだったのか。また、私たちの国の軍隊は、南京で30万人を超える中国人を虐殺したとされているが、その“事実”の真実性はどのように確認されたのか。こうした問いを、日本人一人ひとりが念頭に置いて、東京裁判を見直していくことなしには、日本の真の意味での立ち直りはあり得ない。そのことなくして、「靖國神社参拝が中国人の心を傷つける」と批判する中国政府に真っ当に応えることもできはしない。
幸いにも、当時の歴史について私たちの目を開かせてくれる研究が、近年相次いで発表されている。たとえば東京裁判の評価については、佐藤和男氏監修の『世界がさばく東京裁判』(ジュピター出版)であり、南京事件に関しては鈴木明氏の『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)、北村稔氏の『「南京事件」の探究』(文春新書)等を特筆しなければならない。
東京裁判の正当性に対する疑問は、裁判当時から提起されていた。戦争当事国が、戦争に敗れたから悪であり暴虐であった、一方の当事国は勝利を収めたから正義であり倫理上も正しいという前提で行なわれたのが東京裁判だった。勝者が正しく、敗者には一片の理も正義も認めないやり方は、誰が考えても通用しない。
また、罪を裁くには法律が必要だ。だが、日本の敗戦当時、敗戦国を敗戦ゆえに一方的に裁く国際法など存在しなかった。そこでマッカーサーがつくった。それが法律ともいえない東京裁判所条例である。同条例は日本の過去に遡って適用された。つくられた新たな法律を過去に遡って適用することなど、司法のルールから見て、許されないことであり、これらすべて、国際法違反である。
こうした点はつとに広く指摘されてきた。佐藤氏監修の『世界がさばく東京裁判』は、さらに深く踏み込んで、このような欠点を有した東京裁判を国際社会の司法の専門家たち、国際政治の権威たちがどのように見ているかを詳述したものである。同書に収められた世界の識者85名の意見の集約は、私たちに多くの大切なことを教えてくれる。その第一は、東京裁判を批判したのは、けっして東京裁判を外部の第三者の立場で検証、研究した人びとに限らないという点だ。その具体例をひとつだけ紹介する。
占領軍総司令部の参謀第二部長のチャールズ・ウィロビー将軍は「この裁判(東京裁判)は、有史このかた最悪の偽善であった(This trial was
the worst hypocrisy in recorded history.)」
と語り、この種の裁判が行なわれる以上、自分の息子には軍務に就くことを許さないと述べていた(同書21〜22ページ)。
東京裁判を含めて米国の占領政策を、占領統治機構の中枢に位置を占める幹部のひとりとして遂行する立場にあったウィロビーでさえ、このように厳しく東京裁判を批判していたことを、当時の日本人はまったく知らされなかった。なぜなら、マッカーサーは非常に厳しい検閲を実施して、占領国側に都合の悪いことは報道させなかったからだ。
『世界がさばく東京裁判』が告げている点で、私たち日本人が心して受け止めなければならないもうひとつの点は、海外では“意外なほど多く”の外国人識者らが国際法擁護の立場から東京裁判を批判するとともに「連合国の戦争責任」を追及していることだ。そして対照的に、日本人研究者の多くが東京裁判を肯定し、日本の戦争責任だけを追及している点だ(同書283ページ)。東京裁判史観の呪縛を、一日も早く解けと、世界の良識が日本に告げているのである。
★なわ・ふみひとのコメント★
櫻井氏は、外国勢力のコントロー下にある日本の主要なマスコミから敬遠される人物の1人です(今ではそういう人物は数少なくなりました)。常にこの国の現状を憂い、正論を唱え続けておられます。しかしながら、NHKや朝日新聞など影響力の大きいメディアが作り出す“売国報道”によって、国民は自国の正しい歴史を知ることなく、外国勢力にとって都合のよい歴史を自分の国の歴史として記憶させられていくのです。こうして、この国の真の歴史が計画的にゆがめられ続けているという現実は認識しておきたいと思います。
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