[戻る] 
Browse  
 
 アメリカから〈自由〉が消える
堤未果・著  扶桑社新書
 
 
 増え続ける監視カメラ

 『テロとの戦い』の名の下に、「国民の自由と民主主義を奪いに来るテロリスト対策」として導入された搭乗拒否リスト。同時に国内各地には、およそ3千万台の監視カメラが設置され、現在毎週約40億時間にわたる国民の映像が撮られている。
 2009年7月28日、アメリカ国土安全保障省のジャネット・ナポリターノ長官は、国内6か所の空港における770万ドル(7億7千万円)相当の監視カメラ設置計画を発表した。
 これによって最新式のカメラが、シンシナティ空港、ケンタッキー国際空港、ロナルド・レーガン・ワシントン国際空港、スポカネ国際空港、フォード国際空港、アイダホ空港の6つに配備されることになる。
 「テロの脅威を感知し未然に防ぐために、さらなる安全保障が約束されるだろう」──国土安全保障省は、オバマ大統領が署名した「アメリカ復興・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act of 2009)」によって割り当てられた予算、3億ドル(3百億円)の半分を、同年9月までにこの警備強化計画に使うことを発表した。
 「そこらじゅうにカメラが増えたことで、前よりも安心して道を歩けるようになりました」
 そう言うのはニューヨーク市立大学大学院に通う学生で、9・11当時、貿易センタービルの地下にある洋服店で働いており、テロを間近に目撃したというリサ・ウィリアムだ。
 「アメリカは、外から入ってくる外国人に自由を与えすぎたからあんな悲劇が起こったんです。私はグラウンド・ゼロに行くと、今もくやしくて涙が出ます。人々をしっかり監視して、不審な動きは芽のうちに叩き潰さなければ、テロリストたちのやりたい放題ですよ」
 「監視されていることへの不快感はありませんか?」
 「何故そんな風に思うんでしょう? テロとの関連が疑われるような行動をとっていなければ、問題ないじゃないですか。私は支払いが遅れたこともないし、善良なアメリカ市民としてまっとうに生活しています。堂々としていればいいんです」
 それから9か月後の2009年10月、リサはマンハッタンを歩いている途中でふたりの警官に呼び止められた。警察に連れて行かれ、4時間にわたり尋問を受けた。何故調べられているのかも、何を調べられているのかも最後まで知らされなかったが、延々と続く尋問はリサにとって恐怖の体験だった。それ以来、前とまるっきり行動が変わってしまったとリサは言う。
 「監視カメラの前を通る時は、息が苦しくなるようになったんです。銀行でも書店でも、自分が不自然な態度になっていないか心配で長居できなくなりました。友人との電話も短くなり、Eメールも一通送るのにすごく時間がかかります。何日も迷った挙句、結局返信しないものもたくさんあります。自分が書いた文章のなかに、疑いを持たれるような単語が入っていないかどうか、何度もチェックするようになったからです。目を真っ赤にして、何時間もパソコンの前にいる私を心配する母からは、精神分析医のところに行くよう、すすめられています」
 9・11以降、リサの住むニューヨーク市内には地下鉄だけで2千台、市営住宅には3千台を超える監視カメラが設置された。オフィスビルや銀行のATM、各種店舗など、ありとあらゆる場所で、市民はその行動を警察のモニターに映されている。
 警備業界は成長市場だ。次々に高性能の新機種が現れる。安全への不安を煽るメディアと、先を争ってそれらを導入する自治体。そのスパイラルには終わりがない。
 2008年にニューヨーク市警が導入した「バーティバード」と呼ばれるベル・ヘリコプター社製のヘリコプターは、3キロの上空から人の顔が識別できるハイテク仕様だ。GPSナビゲーションは、対象者の住所を入力するだけでその場所をズーム・アップで見せてくれ、備え付け赤外線暗視カメラで撮影した映像は、瞬時に警察の司令部や現場実働部隊の携帯端末に送信できる。

 
拙速に通過した「愛国者法」

 アメリカ国内で監視カメラや搭乗拒否リスト、空港のセキュリティ・チェックなどがエスカレートしていった背景には、2001年9月11日の同時テロを受けて猛スピードで議会を通過した、ある法律の存在がある。
 テロの1か月後、アメリカ国内では封筒に入った炭素菌が民主党上院議員ふたりとメディアに郵送され、5人が死亡、17人が病院に搬送されるという事件が起きた。メディアは「次のテロが近い」と繰り返し報道し、不安を煽られた国民がパニックになっている間に提出されたのが「愛国者法(Patriot Act)」だ。
 この法によって、国内でやり取りされる電話、Eメール、ファクス、インターネットなど全通信を、政府が監視する体制がつくられることになる。それまで困難だった、各政府機関の間での情報収集および共有が推進され、中央情報局(CIA)や連邦捜査局(FBI)など各諜報機関の間の壁も取り払われた。約5億6千万件の個人情報が入っている巨大なデータベースが50の政府機関の共有となったのだ。
 また、金融機関や通信事業者は顧客の情報や通信内容を、医師は患者のカルテを、図書館の司書は利用者の貸出し記録を、本屋は客の購買履歴を、スキューバ・ダイビング協会は会員情報を、といったように、国内のさまざまな機関や団体は、政府の要請に応じて個人情報を提出させられることになった。
 民主党のジム・マクドマット下院議員は後になって、この法案の立法過程でその中身を読んで投票した議員が提案者以外いなかったことを批判している。議員たちはみな「国の緊急事態」「戦争中だ」などと急かされ、342ページにおよぶ条文をまともに読む暇すら与えられず、賛成票を投じない議員は非国民だという雰囲気がたちこめていたという。
 当時「愛国者法」を支持したものの、後からこの法案の内容が議論なしに決められたことを知ってショックを受けた国民は少なくない。サンフランシスコのコミュニティ・カレッジで歴史を教えるバーバラ・シュミットはそれを知った時、今のアメリカの立法過程と、自分が授業で教えている南北戦争の時代とが重なったと言う。
 「リンカーンはあの時、国の緊急事態だと言って戒厳令を出しましたから。ですが私は、今回の事態は私が今まで教えてきたどの歴史とも違ったかたちになる、とその時確信したのです」
 バーバラは眉をひそめると、言った。
 「何故ならアメリカが始めたこの『テロとの戦い』は、人間が20世紀まで続けてきた戦争の定義をすっかり変えてしまったのですから、ふたつの点でね」
 「ふたつの点とは?」
 「ひとつは、時間の概念をなくしてしまったこと。『テロとの戦い』には終わりがありません。テロリストは毎日世界中で生まれているし、いくらでも生み出せる。南北戦争やベトナム戦争のように、ここで終わりというはっきりとした境がないのです。アメリカはその気になれば、永遠に戦時下で居続けられるのです」
 明確な終わりがなければ、政府は国を好きなだけ戦時下という緊張状態にしておける。そして最優先事項である安全保障と引き換えに、あらゆるものが犠牲になることも正当化されるだろう。
 「ふたつ目は、国境を消してしまったことです。国同士が戦う代わりに、テロリストという個人または集団を相手にするわけですから、たったひとりでもその場所に潜伏しているとなれば、その地域を攻撃する理由になります。戦線はいくらでも広げられるでしょう」
 時限立法として成立した「愛国者法」は、その後2006年に盗聴や個人情報の人手方法について定められた第2条項について4年間の延長がなされ、それ以外の部分は恒久化されている。
 2009年、オバマ大統領は、「愛国者法」のなかで2010年に期限が切れる第2条項の〈政府が国民の金融取引記録と個人情報を入手できる幅〉の拡大と、被疑者の通信機器に加えて周囲まで盗聴できる「ロービング・タップ(Roving wiretaps)法」の再延長を要請した。
 プライバシー保護措置を加えるという民主党ファインゴールド上院議員の改正案をはじめ、人権団体や議会内の反対は高まっていたが、オバマ大統領はクリスマス・テロ未遂をきっかけに、盗聴範囲拡大案を強く押し進めていった。
 「『テロとの戦い』という錦の御旗を掲げながら、政府は強引にさまざまな新法を成立させてゆきました」とバーバラは言う。
 「アメリカの歴史を振り返れば、異常なスピードで通過する法案というのは必ず政府による緊急事態の際につくられるのがわかります。そしてそのどれもが、後になって国民にとって最も危険なものだったとわかるのです」
 調査ジャーナリストのナオミ・クラインは、政府が緊急事態と呼ばれる状態をメディアを使って派手に煽り、国民がパニックになっている間に都合のよい法案を強引に通過させる政府の手法を、〈ショック・ドクトリン〉と表現している。
 緊急事態は、テロや戦争だけとは限らない。たとえば2005年にルイジアナ州を襲ったハリケーンのような大規模自然災害や、リーマン・ショックを発端とした世界金融危機、新型インフルエンザや大スターのスキャンダルや急死など、国民感情を激しく揺さぶる出来事があるたびに、「議会での議論」という立法過程を無視して成立する法律の数は年々増えている。

   ★なわ・ふみひとのコメント★
 
「9・11(同時多発テロ)」以降のアメリカ社会の現実が生々しく綴られた本です。ここに紹介した内容を読んだだけでも、背筋が寒くなる思いがすると思います。しかしながら、これはアメリカだけのことではなく、いまや世界中で起こっていることなのです。“銃社会”のアメリカは市民の反発が手強いため、その監視体制がより徹底しているということです。いまや先進国では監視カメラはあらゆる公共の場に設置されていると言われています。
  もちろん、日本においても、町の至る所に監視カメラが設置されています。これからいろいろなテロ行為が起こることが予測されているということでしょう。その結果として、国民に対する監視体制がいちだんと強化されていくことになります。2011年、民主党が成立させようとしていた「人権侵害救済法」は、もし成立すると日本版「愛国者法」ともいえる役割を発揮するはずです。アメリカを“恐怖社会”に変えた同じ勢力が、いま日本の政治をもコントロール下に置いているという現実は直視しておく必要があります。
  また、いまアメリカと同じような形で密かに進められようとしているのがネット規制で、これは言論統制の足がかりとなる危険な法律です。東日本大震災という未曾有の国家危機の中で、どさくさに紛れて誰もが気づかない間に、恐ろしい法律が静かに国会を通過することになるのではないかと懸念されます。
 
 
[TOP]