フツーの人が書いた黙示録
〈 神示の
解釈 〉A
ひふみ神示(日月神示)
岡本天明・筆
コスモ・テン・パブリケーション
 

 外国は一つになって神の国に攻め寄せてくる

 メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシアも、外国は一つになりて神の国に攻め寄せてくるから、その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ。学と神力との戦と申しておろがな。どこからどんなことできるか、臣民にはわかるまいがな。一寸先も見えぬほど曇りておりて、それで神の臣民と思うているのか。

 いまや政治的にも経済的(金融・食糧・エネルギー)にもアメリカに首の根っこを押さえられ、まさにアメリカの属国となってしまっているこの哀れな日本に、いまさらアメリカ、イギリス、ドイツ、ロシアなどの国が一つになって攻め寄せるというのは、どう考えても理解できません。この国は、アメリカがその気になればいつでも息の根を止められる状態にあるからです。
 しかしながら、いまあげた国々を実質的に支配している陰の世界政府の、その頂点に近い位置にいると思われるフリーメーソンのパッヂが、世界地図をバックに蛇が日本を飲み込もうとしている姿であることを考えますと、やはり日本は特別な破壊の対象なのだろうと思います。
 武力の戦いではなく、学と神力の戦いなのです。学はすなわち西洋の物質第一主義と科学万能主義。いまではその教えに完全に毒されてしまった日本人です。物質的な繁栄を追求してきた結果、世界に誇れる豊かな自然に囲まれた国土を、政治家とそれに連なる一部の特権階級が利権を得るためにコンクリートで固めて息のできない状態にしてしまいました。
 ハンバーガーなどアメリカではジャンクフード(くず食)と呼ばれている食べ物をはじめとして、肉食を中心に組み立てられた食生活の乱れは、日本人の魂までも波長の粗いものに変えてしまいました。「それで神の臣民と思うているのか」というお怒りももっともと思えるような情けない状態です。

 一二三(ひふみ)の仕組みが済みたら三四五(みよいづ)の仕組みぞと申してありたが、世の本の仕組みは三四五の仕組みから五六七(みろく)の仕組みとなるのぞ。五六七の仕組みとは弥勒の仕組みのことぞ。獣(けもの)と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ。今度は万劫末代のことぞ。気の毒できるから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたらそのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示よみておいてくれよ。

 五六七(みろく)の仕組みとは「ミロクの世(神の国)」のことを指していると思われます。つまり新しい世界のことです。そこでは獣と臣民とがハッキリ判別するとのこと。そして、獣はその本性をあらわにするということです。仏教では六道輪廻といって、人は「天上→人間→修羅→畜生→餓鬼→地獄」と生まれ変わると教えています。最近の霊界通信によると、人は動物に生まれ変わることはないという説もありますが、まだ確たる証拠はありません。むしろ、その逆である場合、つまり人が牛や馬などの家畜に生まれ変わったという事例はいろいろ報告されています。
 私は、終末において獣側に分けられた人の行方について未だに確信が持てないのです。桑原啓善さんのように「最終的には人類はすべて救われるのだ(新しい世界に行くのだ)」という人がいる反面、聖書やひふみ神示を読むと、やはり獣側に行く人は次元上昇することはできないような気がします。
 新しい世界、つまりミロクの世(神の国)では、その人の魂の状態は決定してしまうと述べられています。「今度お役きまりたら、そのままいつまでも続くのざから‥‥」ということです。獣の本性を出した者は、そのまま獣か、獣同然の人間になってしまうのではないのかと気になります。
 宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の冒頭のところで、父親と母親が豚に姿を変えられてしまいましたが、あのような事態が現実に起こるのかも‥‥と、ふと思ってしまいました。もう少し、読み進んで行って、答えを探りたいと思います。

 一時は食う物も飲む物もなくなる  [TOP]

 喰う物がないと申して臣民不足申しているが、まだまだ少なくなりて、一時は喰う物も飲む物もなくなるのぞ。何事も行であるから喜んで行してくだされよ。滝に打たれ、蕎麦粉喰うて行者は行しているが、断食する行者もいるが、今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ。
 今度の御用に使う臣民、はげしき行さして神うつるのぞ。今の神の力は何も出てはおらぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな。早く身魂磨いてくだされよ。
 外国は○、神の国はゝと申してあるが、ゝは神ざ、○は臣民ぞ、○ばかりでも何も出来ぬ。ゝばかりでもこの世のことは何も成就せんのぞ。それで神かかれるように早う大洗濯してくれと申しているのぞ。神急
(せ)けるぞ。この御用大切ぞ。神かかれる肉体たくさん要るのぞ。今度の行は○を綺麗にする行ぞ。掃除できた臣民から楽になるのぞ。どこにおりても掃除できた臣民から、よき御用に使って、神からお礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。

 わが国が食べ物がなくなる状態は容易に想像することができます。いま野菜や魚などの生鮮食品においても、輸入に依存する率は年々高まる一方です。なによりも大豆やトウモロコシといった、牛や豚の餌となる飼料の90%以上が輸入によるものですから、世界的な異常気象がつづくなかで、これらの輸入が制限される日は確実に来ます。その日はそう遠くないと見ています。そうなれば、牛も豚も養うことができなくなるのです。
 ひふみ神示では、「喰うものがなくなるのも行である」と教えています。私流に解釈しますと、飽食に明け暮れ、食べ物のありがたさを忘れた国民のカルマの清算であろうと思います。断食修行などと同じ効果で、そのような食べ物も十分にない状態では肉体の波動が高まりますから、神がうつりやすくなるのでしょう。今回の立て直しは神と人とが一体になってやらなくてはできないわけですから、神がかかれる肉体がたくさん要るとおっしゃっています。私たちの魂と肉体の洗濯と掃除が急がれているということです。

 悪神が総がかりで善の肉体に取りかかろうとしている  [TOP]

 今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでいるが、今しばらくの辛抱ぞ。悪神総がかりで善の肉体に取りかかろうとしているから、よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして、悪の思うとおりにする仕組み立てているから気をつけてくれよ。神の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世は戦済んでいるぞ。三四五から五六七の世になれば、天地光りて何もかも見えすくぞ。

 神霊界では、善の神と悪の神の戦いが先行して行なわれ、決着がついているようです。それが、一定の時間をかけてこの三次元の世界に移写されてくるわけです。すでに最高位の次元では決着はついているのですが、その下の神霊界では悪の神が最後の悪あがきをして、人間の肉体に取りかかろうとしているとのことです。善の臣民の親や子を人質にして、悪の思うとおりにしようとしているとは、何ともリアルな表現です。しかし、「ミロクの世(神の国)」となれば、天地が光ってすべてがお見通しになるということです。

 悪の世であるから悪の臣民世に出てござるぞ。善の世にグレンとひっくり返ると申すのは、善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えているのざが、この世では人間の世界が一番おくれているのざぞ。草木はそれぞれに神のみことのまにまになっているぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも、貴くなったであろが。一筋の糸でも光り出てきたであろがな。

 いまは悪の世となっているとのこと。そのために悪の臣民が世の中を牛耳っているというわけです。悪が栄えているのです。今の世の中を見渡せば、その意味は十分理解できます。それがグレンとひっくり返って、社会の下積みとなっている善き人たちの世の中になるということです。植物(草木)はすでにそのような神の命を反映しているのだそうです。

 天にお日様二つ三つ四つ出てきたらこの世の終わり  [TOP]

 臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな。神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ。殊に神の国の臣民みな、まことの光あらわしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいておれんことになるぞ。結構な血筋に生まれていながら、今の姿は何事ぞ。神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れているが、臣民の戦くらい何が恐いのぞ。それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。

 特に神の国の臣民(日本人)がまことの光を表したら、天地が輝く世の中になるということです。神がしびれをきらすと臣民に気の毒ができるから、我慢して待っていただいてるわけです。一番恐いのは、人の心に巣くっている悪の身魂と言われています。個人の利益優先の今の生き方のことを指していると思われます。

 何もかもてんし様のものではないか。それなのに、これは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ。一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ。

 私たちがこの世で手に入れた財産も、一度は神の世界に引き上げるということです。残酷なようですが、私たちの物質に対する執着心をなくさせようという計らいなのです。

 あらしの中の捨て小舟ぞ。どこへ行くやら行かすやら。船頭さんにも分かるまい。メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る。梶も櫂さえ折れた舟、どうすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ。腐りたものは腐らして、肥料になりと思えども、肥料にさえもならぬもの、たくさん出来ておろうがな。北から攻めて来るときが、この世の終わり始めなり。天にお日様一つでないぞ。二つ三つ四つ出てきたら、この世の終わりと思えかし。この世の終わりは神国の始めと思え臣民よ。神々様にも知らすぞよ。神はいつでもかかれるぞ。人の用意をいそぐぞよ。

 この神示は他とは違って七五調で歌われており、ひふみ神示の要約のような内容となっています。読んでいただければ理解できる内容ですが、「北から攻めて来る」「天にお日様一つでないぞ」という表現が気になります。ひふみ神示には「北に気をつけよ」という表現がたびたび出てきます。ロシアが攻めてくるという考え方もありますが、どうもそういうレベルのことではないようです。
 太陽らしきものが2つ、3つ、4つと出てきたら、この世の終わりの始まり、つまり地球が次元上昇して新しい「ミロクの世(神の国)」が始まるということです。その時には、神がかかれる肉体が必要となることがここでも強調されています。終末に複数の太陽が出るということはノストラダムスの予言にも書かれています。どうやらそれは彗星のようですが‥‥。
 1917年にポルトガルのファティマで、7万人の群衆が見守る中、太陽が急降下したり回転したりしたという記録が残っています。今日では太陽と見えたのは地球外生命体のUFOだったと見られています。進化した宇宙人であれば地球が大変動に見舞われることはわかっているでしょうから、太陽のようなUFOに乗ってその状況を見にやってくるのかもしれません。

 神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ。臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ。四つん這いになりて着る物もなく、獣となりて這い回る人と、空飛ぶような人に、二つにハッキリ分かりて来るぞ。獣は獣の性来いよいよ出すのぞ。火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きておれんのざぞ。それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾いあげて弥勒の世の臣民とするのぞ。どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな。高いところから水流れるように、時に従いておれよ。いざというときには神が知らして、一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ。くどう気つけておくぞ。何よりも改心第一ぞ。

 終末のギリギリの「火と水の災難」の恐さが書かれています。天も地も一つにまぜまぜにするというのは、霊界とこの三次元の物質界を混ぜ合わせるということです。神示には「半霊半物質の世界になる」という表現もよく出てきます。それがどのような状態になるのかは想像できません。ただ、肉体の状態では生きてはおられない状態であるのは確かなようです。
 逃げても逃げるところはないとのことで、人によっては天界に釣り上げてもらえるとか。とにかく改心すなわち身魂磨きが大切であるということです。

 江戸はどうしても火の海ぞ  [TOP]

 一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな。米ばかりでないぞ。何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ。臣民ばかりでないぞ。神々様さえ今度はなくなる方あるぞ。臣民というものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ。世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな。神にすがりて神の申す通りにするより外に道ないぞ。それで神々様を祀りて、上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら、神の力現すのぞ。

 一握りの米さえ手に入らないことになる警告しています。いや、米ばかりか、最後は臣民もなくなり、神々様さえなくなる方があるとか。ここでの神々様とは守護霊や背後霊としてこの世の人間を指導している存在のことでしょう。そのような霊界の存在までなくなってしまうケースが起こるのです。今回の立て替え・立て直しは、霊界も含めた大洗濯だからです。

 世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑わぬようになされよ。神疑うと気の毒出来るぞ。いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ。大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとして容赦出来んから、気つけているのざぞ。

 どんな苦しい目にあっても、神さまを疑わないようにしなさいということです。疑いの気持ちを持つ人を、神は救うことができないのです。もちろん、これは日本国民だけに限ったことではありません。

 江戸と申すのは東京ばかりではないぞ。今のような都会みなエドであるぞ。江戸はどうしても火の海ぞ。それより外やり方ないと神々様申しておられるぞよ。神のこのふみ早う知らしてやってくれよ。

 江戸はどうしても火の海だとか。単に「東京」ということではなく、「都会全般」のことを言っていると念が押してあります。

 火と水で岩戸開くぞ  [TOP]

 1日のひのまにも天地ひっくり返るともうしてあろがな。びっくり箱が近づいたぞ。

 「天地ひっくり返る」とは「天変地異」のことではなく、「次元上昇」のことを意味していると思われます。「びっくり箱」という表現からもそれが感じられます。その次元上昇が1日もかからぬ短時間に起こるということです。

 あちこちに臣民の肉体かりて予言する神がたくさん出ているなれど、九分九厘はわかりておれども、とどめの最後はわからんから、この方に従いて御用せよと申しているのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。百人千人の改心なれば、どんなにでもできるなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も、三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊しできても建て直しわかるまいがな。
 火と水で岩戸開くぞ。智恵や学でやると、グレンとひっくり返ると申しておいたが、そう言えば智恵や学は要らんと、臣民早合点するが、智恵や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ。この道理よく腹に入れてくだされよ。天の神々様、地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ。


 このひふみ神示(日月神示)の前にも、天理、金光、黒住、大本、と予言が下ろされています。ひふみ神示はそのとどめの神示ということです。先の神示でも九分九厘はわかっているのですが、最後の一厘はこのひふみ神示の神さまにしかわかっていない、とおっしゃっています。
 今度の立て直しは「神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も」とあります。そういう霊的存在も改心させないといけないわけです。岩戸開きは火と水。火山の噴火や台風、洪水、地震からくる火災、山火事などが考えられます。あるいは、地球の人口削減を狙う陰の世界政府によって仕組まれる戦争なども「岩戸開き」のために引き起こされるのかも知れません。
 知恵や学は悪だということですが、その悪にも御役(働き)があるのです。
 天の神々様(霊界など高位次元の存在)が地に(この三次元の物質世界に)下りてこられる場合は「人に懸かる」という形をとると思われます。懸かられた人にはその自覚はなく、すべて自分の考えで行動しているように感じるのです。このように、神は人を使ってこの世に介入するしかないのです。同様に悪神と呼ばれる存在も、波長の合う人に懸かって次元上昇の邪魔をすることがあるでしょう。

 牛の食べ物食べると牛のようになるぞ。猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の食べ物は定まっているのざぞ。いよいよとなりて何でも食べねばならぬようになりたら、虎は虎となるぞ。獣と神とが分かれると申してあろがな。縁ある臣民に知らせておけよ。日本中に知らせておけよ。世界の臣民に知らせてやれよ。獣の食い物食う時には、一度神に献げてからにせよ。神から頂けよ。そうすれば神の食べ物となって、何食べても大丈夫になるのぞ。

 西洋科学の誤った栄養学に毒されて、世界中の人々の食べ物に対する知識は混乱させられています。人類は終末のカタストロフィーを経て、獣(獣的人間)と神(次元上昇した新人類)とに分かれると言われていますが、食べ物がそれを左右するということです。私たちは食べ物の波動を自分に同化させている訳ですから、何を食べるかということは、私たちの肉体のみならず霊体にも大きな影響を及ぼすのです。
 肉などの獣の食べ物を食べざるを得ない状況に陥ったら、一度神に捧げてからにせよとあります。神示の中には「神に捧げる」ための方法も紹介してありますが、なかなか覚えるのは大変です。やはり食べなくてすむことを優先して考えるべきだろうと思います。

 神が人を使っている  [TOP]

 かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ。

 かのととり(辛酉)の日がいつなのかはわかりませんが、結構な日であると同時に恐い日だということです。天とは四次元以上の世界です。次元上昇のときには、霊界(幽界)にいる波動の粗い霊界人は物質世界に戻されてしまうということなのです。

 遠くて近きは男女だけではないぞ。神と人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近いがよいのざぞ。カミ粗末にすればカミに泣くぞ。土尊べば、土が救ってくれるのぞ。尊ぶこと、今の臣民忘れているぞ。神ばかり尊んでも何にもならんぞ。何もかも尊べば、何もかも味方ぞ。敵尊べば敵が敵でなくなるのぞ。この道理わかりたか。臣民には神と同じ分霊(わけみたま)さずけてあるのざから、磨けば神になるのぞ。

 遠くて近いのは神と人の間にもいえるとあります。人には神と同じ分霊が備わっているのです。それに気づき、磨けば、神と同じ波動になれるということです。天と地というのは、四次元以上の霊的世界(天)とこの三次元世界(地)のことです。この2つは同じ空間を共有しているということですし、霊界にあるものがこの世に現れているということで、この世こそが「現世(うつしよ)」すなわち「移写された世界」ということなのです。霊的世界にある同じものが、波動を粗くしてこの物質世界にも現れているということです。そういう意味で、天と地は大変近い関係なのです。
 親と子は説明の必要はないでしょう。食べ物も「遠くて近いがよい」とあります。「遠く」というのは「人間→動物→魚→昆虫→植物」といった食物連鎖の逆の関係を言います。人間は、一番遠くにある「植物」すなわち「穀物・野菜類」を食べるのが肉体にも霊的にも一番適しているということです。一番近くにある動物の肉を食べるのは霊的に問題が多いことが神示にはたびたび述べられています。
 「神」と区別して表現されている「カミ」は守護神・守護霊およびその他の背後霊を指していると思われます。粗末にするということは「信じない」「頼りにしない」ということです。子どもが親を頼らないと、親も助けてやれないのと同じです。まして目に見えない世界から働きかけている霊的存在は、肉体を持つ私たちが振り向き(注意を向けること)もしなければ、終末に必要となるメッセージを伝えることはできません。「カミ泣くぞ」という言葉をぜひ胸に留めてください。

 いつも気つけてあることざが、神が人を使うているのざぞ。今度の戦で外国人にもよく分かって、神様にはかなわん、どうか言うこと聞くから、夜も昼もなしに神に仕えるから許してくれと申すようになるのざぞ。それには神の臣民の身魂掃除せなならんのざぞ。くどいようなれど、一時も早く、一人でも多く改心してくだされよ。神は急ぐのざぞ。

 「神が人を使う」というのは、人の潜在意識の中にメッセージを送ってくるという意味でしょう。私たちはすべて自分で判断して行動していると思っていますが、「ふと思う」形で伝えられる高位次元からのメッセージが、私たちの人生の選択をさせている場合が大変多いと言われています。また、波動が粗くなっているとそれに相応した霊の干渉を受けて、自分でも説明できない理由で人を殺したり、自殺したりといった行動をとる場合も出てくるのです。
 悪質な霊の干渉を受けず、神的存在からのメッセージを受け止められるように、「身魂の掃除をすること」すなわち「波動を高めること」が急がれるということです。

 悪はどこにも隠れることができんようになる  [TOP]

 神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ。金(きん)は要らぬのざぞ。お土からあがりたものが光りてくるのざぞ。衣類、食べ物、家倉まで変わるのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあろうがな。誰でもそれぞれに先の分かるようになるのぞ。お日様もお月様も、海も山も野も、光り輝いて水晶のようになるのぞ。悪はどこにも隠れることできんようになるのぞ。ばくち、しょうぎは無くいたすぞ。雨も降るだけ降らしてやるぞ。風もよきように吹かしてやるぞ。神をたたえる声が天地に満ちて、うれしうれしの世となるのざぞ。

 「神の世」すなわち「次元上昇した世界」のことが述べられています。「金」はお金のことです。すべての物が光り輝き、水晶のように透き通って見える世の中になるようです。「しょうぎ」は「娼妓」、現代で言うソープランドなどのような風俗の店のことだろうと思います。

 神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出てくるぞ。神は大難を小難にまつりかえているのに分からんか。えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分からんか。ひどいこと出てくること待ちているのは邪のみたまぞ。そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。臣民は神に、わるいことは小さくしてくれと毎日お願いするのが務めぞ。

 大難を小難にするために、神は日夜の努力をされているわけです。天変地異をはじめ、終末には人類にとって悲惨な状態が起こると予測されていますが、それを待つ心は邪の心というわけです。神の臣民はやはり、大きな災害などが起こらないように祈る心が大切だと言われています。ここが、この神示の素晴らしいところです。ただ恐怖させるだけの、他の多くの予言類とはひと味違います。

 今に臣民何も言えなくなるざぞ。神烈しくなるのざぞ。目あけておれんことになるのざぞ。四つん這いになりて這い回らなならんことになるのざぞ。のたうち回らなならんのざぞ。土にもぐらなならんのざぞ。水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀想なれど、こうせねば鍛えられんのざぞ。この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。

 現実には、目もあけておれないほど激しいことになるようです。四つん這いになったり、のたうち回ったりしなくてはいけないようなことが起こるのです。土や水をかぶることになると述べられています。文字通り地球全体の大天変地異現象が起こるのです。可哀想でも、その恐怖を経験して、魂が鍛えられ、次元上昇が行なわれるということでしょう。

 世界均(なら)して神の世にする  [TOP]

 遅し早しはあるなれど、一度申したこと必ず出てくるのざぞ。臣民は近欲で疑い深いから、何も分からんから疑う者もあるなれど、この神示一分一厘ちがわんのざぞ。世界ならすのざぞ。神の世にするのざぞ。善ひとすじにするのざぞ。

 「この神示一分一厘ちがわん」という表現はたびたび出てきます。「世界をならす(均一化する)」というのは、「三次元世界と四次元以上の世界を一緒にする」すなわち「半霊半物質の世界にする」ということを述べています。その世界とは「善ひとすじ」の世界だとのことです。新人類となる人は、「方便としての悪」が必要な世界からは卒業するということです。

 お土踏ましていただけよ。足を綺麗に掃除しておけよ。足汚れていると病になるぞ。足からお土の息が入るのざぞ。へその緒のようなものざぞよ。一人前になりたらへその緒切り、社に座りておりて、三尺上で神に仕えてよいのざぞ。へその緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏ましていただけよ。それほど大切なお土の上固めているが、今にみな除きてしまうぞ。一度はいやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになるのぞ。神の深い仕組みざから、有り難い仕組みざから、喜んでお土拝めよ。

 かつて「足裏健康法」といううたい文句で信者を集め、たくさんのお金をだましとった宗教団体がありましたが、信者がお金を納めるぐらいですから、言ってる中身はなかなかのものがあったのです。この神示でも、足を綺麗に掃除しておけと述べられています。俗に「足を洗う」というのも、霊的意味があるのでしょう。それは、足が直接「土」に触れる部分だからだということです。
 人類は、その大切な土の上をコンクリートやアスファルトで固めていますが、「今にみな除く」ということですから、どのような事態が起こるかは想像できます。これが神様の深謀遠慮だということです。ありがたいことなのです。


 神示は印刷することならんぞ。この神示説いて臣民の文字で臣民に読めるようにしたものは一二三
(ひふみ)と申せよ。一二三は印刷してもよいのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ。
 日本ばかりでないぞ。国々のところところに仕組みして神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ。世界の臣民みなに喜ばれるとき来るのざぞ。五六七
(みろく)の世近づいて来たぞ。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善ひとすじとは神ひとすじのことぞ。

 ひふみ神示の原文は「一、二、三」といった和数字が並べられたもので、読んでも何のことか全くわかりません。その原文は臣民に見せてはいけないとのことです。霊的素養のある人によって翻訳されたものは「一二三(ひふみ)」として、印刷してもよいとのことです。
 ひふみ神示の冒頭は「富士は晴れたり日本晴れ」という表現から始まっています。善ひとすじ、すなわち神ひとすじの世が近づいているということです。


 
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