実録・幽顕問答より 古武士霊は語る 近藤千雄・著 潮文社 |
結び 以上で『幽顕問答』は終わりです。ここまでお読みくださった方は今どういう感慨を抱いておられるでしょうか。これまでの知識と体験、生活環境の違い、宗教的先入観あるいは信仰等によって、お一人お一人が違った感慨を抱かれるのは当然のことと思いますが、この話が宮崎大門が記述した通りに実際に起きたことであることを疑ったり否定なさる方はまずいらっしゃらないと信じます。 ここに登場した人物はみな心霊的なことに関しては素人ばかりです。霊媒の役をさせられた市次郎は酒造家の長男であるというに過ぎず、それが急に病の床に臥し、医師も家族もただの熱病とばかり考えて施薬と看病をしていたところ、いきなり憑霊騒ぎとなったのです。 また、その霊を裁いた宮司の宮崎大門も神職にあって加持祈祷の体験は数多いとはいえ、本文中の質問内容から知れるように、霊的実在については必ずしも正確な認識があったわけではなく、加持祈祷の目的は動物霊や悪鬼を払う程度のものでしかありませんでした。ということは今回のような憑霊現象に関して先入観念は持ち合わせなかったということです。 その他、父の伝四郎にしても医師たちにしても、看病人の長吉にしても、これを当初から人霊の仕業と考えた者は一人もいませんでした。実はそうしたことがかえってその事実譚の信憑性を高める結果となっているのです。そこには作為の跡がみじんもなく、カネ目当ての魂胆も一派を開こうとする意図も見られません。現代の心霊界や宗教界の風潮にかんがみて、私がこの話を稀にみる貴重なものとして高く評価する理由はそこにあります。 現代の心霊界の一大欠陥は審神者(さにわ)がいないということです。「霊を試す」ということが疎かにされ、霊媒がしゃべることや自動書記で綴られることを何の検討も加えずに信じてしまう傾向があります。 もともと霊の言っていることや書いたことは、その真実性を証明するものは何一つないというのが宿命的な特質です。たとえ自分はどこの誰それであると名のって、それが戸籍簿で確認できたとしても、それも当てになりません。別の霊がそういう人物の名を騙(かた)っているかもしれないからです。そうやって純真な遺族をヌカ喜びさせることを趣味にしているタチの悪い霊団が洋の東西を問わず沢山います。一人物の地上時代の戸籍はもとより、その人の思想やクセを調べ声色を使ってその人物らしく見せることは、霊には造作もないことなのです。 ではいったい何を手がかりとして裁くべきか――それは一に掛かって審神者の直観的洞察力です。霊視力も当てになりません。霊は変幻自在に姿を変えることができるので、低級霊でも高貴そうに見せられますし、高級霊がわざと餓鬼のような姿に身をやつして人間を試すこともします。本文で「ここからは武士と認めた上での質問にする」という大門氏の傍注を紹介したのは、そういう判断力を働かせることが審神者として大切であり、大門氏が「霊を試す」ことに真剣になっていることを知っていただくためです。 ではここで、心霊学に基づいて、霊界から通信が地上へ届けられる原理を紹介しておきます。 (1)霊が“語る”場合 @直接談話現象――エクトプラズムで人間の発声器官と同じものをこしらえて、それに霊が自分の霊的身体の口を当てがってしゃべるもので、声が空中から聞こえる場合はエクトプラズムの濃度が人間の目に見えないほど希薄な場合で、メガホンから聞こえる場合はそのメガホンの中に発声器官がこしらえてあります。 A霊言現象――霊媒の発声器官つまり声帯を使用してしゃべるのですが、これには高級霊もしくは、たとえ程度は高くなくても支配霊の許可を得た霊の場合と、招霊会といって地縛霊や因縁霊を呼び出して(といっても背後霊団が連れてくるのですが)強制的に語らせる場合とがあります。 (2)霊が“書く”場合 @自動書記現象(霊媒の腕を使用する場合) ○直接的に腕を使用する場合――モーゼスの『霊訓』、カミンズの『永遠の大道』『イエスの少年時代』などがこの部類に入ります。 ○リモコン式に操る場合――テレビその他のリモコン操作と同じで、霊視すると一本の光線が腕とつながっているのが見えます。 ○インスピレーション式に書く場合――霊感で思想波をキャッチすると反射的に手が動いて書き綴るもので、原理的にはふだんわれわれが考えながら書くのと同じですが、その考えがインスピレーション式に送られてくるところが異なります。オーエンの『ベールの彼方の生活』がこれの代表的作品といえます。 A直接書記現象(霊媒の腕を使用しない場合) 紙と鉛筆を用意しておくといきなり文章が綴られるもので、絵画や記号、暗号などの場合もあります。スレートライティングもこの部類に入ります。大変なエネルギーを必要とするので長文のものは書かれません。 (3)幽体離脱による旅行体験記の場合 霊的身体で体験したことや探検したことを肉体に戻ってから綴るもので、次元の異なる世界の事情をどこまで正確に地上の言語で表現できるか、そこに霊能の鋭さの差が出てきます。原理的には他のタイプの霊界通信と同じで、一人二役を演じているようなものです。 以上が幽明交通の原則ですが、何事にも原則を無視したケースがあるもので、この武士の場合は(1)のAを強引にやったことになります。これは市次郎という他人の意志を無視して病気にさせ、とことん衰弱させておいてその身体を占領したという点において、明らかに罪悪行為です。この武士はそれまでにも何人かに同じことをやりかけて、その人が思ったより体力がなくてそのまま死んでしまったことがあったと告白しております。これはいずれ何らかの形で償わねばならないことはいうまでもありません。 では、そういう目に遭った被害者たちは身に覚えのない、まったくの迷惑を一方的に被ったのかというと決してそうではなく、やはり自分で蒔いたタネを刈り取っているのです。もしそうでなかったらこの世は恐ろしくて一日も生きていけなくなります。 シルバーバーチによりますと、この世に、否この宇宙全体のどこを探しても偶然というものは一つも存在せず、そこには必ずそうなるべき原因があってそうなっているといいます。たとえば障害児として生まれてくる場合も、霊そのものはそういう欠陥のある身体に宿るべき因果関係を得心し、辛く酷しい人生になることを覚悟の上で生まれてくるのだそうです。 ところが、いよいよ肉体に宿って物的感覚の中に浸り切ってしまうと、その自覚が掻き消されて、なぜ自分は…という不満を覚えるようになります。が、そうした不幸な思いも、それを体験し終えたあとの霊的な幸せに比べればもののかずではないというのがシルバーバーチの説明ですが、インペレーターも『霊訓』の中でこんなことを述べております。 《全存在のホンのひとかけらほどに過ぎぬ地上生活にあっては、取り損ねたら最後、二度と取り返しがつかぬというほど大事なものはあり得ぬ。汝ら人間は視野も知識も、人間であるが故の宿命的な限界によって拘束されている。本人には障害であるかに思える出来事も、実は背後霊が必要とみた資質――忍耐力、根気、信頼心、愛といったものを植えつけんとして用意した手段である場合がある。一方ぜいたくな環境の下で周囲の者にへつらわれ悦に入った生活に満足することが、実は堕落させんとする邪霊が企んだワナである場合がある》 私的なことを付け加えさせていただくと、私は中学時代からずっと天文学に興味を持ち続けたことを今ひじょうに有難く思っております。霊界の仕組みの理解にとって天文学がいろいろなことを暗示してくれるからです。 現代の天文学では従来の光波望遠鏡のほかに電波望遠鏡、X線望遠鏡、赤外線望遠鏡、紫外線望遠鏡などを駆使して、かつては想像も及ばなかった宇宙の実像が明らかにされつつあります。 今それをまとめて述べる余裕はありませんし、霊界の事情と同じく難しいことを知る必要もないのですが、一つだけ基本的なことを述べさせていただけば、私たちが当たり前であるかのように寝起きしているこの宇宙船地球号は、自転しながら公転している実に心細い小さな乗り物です。その公転の中心にある太陽もまた自転しながら公転しているのですが、同じ太陽つまり恒星が二千億個も集まった銀河星団もまた全体として自転しながら公転しています。さらにそうした星団が数十個から一千個集まって大星団を構成し、それがまた、全体として自転と公転をくり返しています。そうしたパターンを何段重ねると究極の全大宇宙になるのか、人間の想像力はその途中で茫然自失してしまいそうですが、実は現代の天文学でも宇宙には中心も端もないと考えるようになってきました。 ただし、地球から見える果て、知りうる端、いわば地球から見た宇宙の地平線ならあります。それがなんと百数十億光年の彼方、つまり光の速度で飛んでも百数十億年もかかる距離の彼方になります。教育社発行の『宇宙のドラマ』によりますと、銀河星団をかりに八十キロの砂浜にたとえると、太陽糸は一ミリの砂粒一個となる計算になります。人類はまだその一ミリの外に出たことがないのです。 そういう途方途轍もない巨大な宇宙機構の中にあって、それこそ“全存在のホンのひとかけらほどに過ぎぬ地上生活”に執着するのは間違いである、というよりは、そういう認識をもつことによって自然に執着しなくなる、と私は考えるのです。泉熊太郎は血気盛りの青年だったせいもあって、あまりにも武士的でありすぎた、純粋すぎた、一途になりすぎた、それがかえって死後の霊的覚醒の妨げになった――私はそう考えるのです。 話が少し発展しすぎましたが、結論として言えば、武士によって苦しい思いをさせられた人たちも、そういう宿命の種、いわゆるカルマを宿していたのであって、百パーセント武士が悪いわけではありません。その辺の具体的な神のお裁きは知るよしもありませんが、次のシルバーバーチの言葉などは、全体としての地上生活の意義を知る上で参考になると思います。 《種子が暗い土壌の中に植え込まれるのは生命活動を開始するための養分を摂取するためです。人間の魂も同じです。死後に始まる本当の生命活動にそなえて、物的体験による魂の養分を摂取するためにこの地上世界へ送られてくるのです。 人生体験の一つ一つが大きな生命機構の一部としての意義を持っております。およそ歓迎したくない体験――悲しいこと、辛いこと、嘆き、落胆、苦悩、痛み――は魂の成長にとってかけがえのない価値を持っているのです。 その本当の有難さは地上にいる間は実感できません。地上人生の価値の明確な全体像が理解できるようになるのは、その肉体を離れて煩悩から解放され、局部にとらわれずに人生全体が眺められるようになった時です。すると逆境にあった時こそ性格が鍛えられ、悲哀の中にあってこそ魂が強化されていることが分かります》 本書で私はスピリチュアリズムの観点からとはいえ、かなり突っ込んだ個人的見解も述べました。読者の中には必ずしも私の意見に賛成なさらない方がいらっしゃると思います。が、私がこの物語を公にする上で、これだけは是非ともと願っていることは、人間は肉体の死後もずっと生き続けていること、しかもそれは実体のない、ふわっとした観念的なものとしてではなく、地上生活よりもはるかに実在感のある、生命力にあふれた存在として、地上生活で身につけた精神的なもの――記憶も性格も性癖も徳も罪も――すべてを携えて次の生活を開始するという事実を確信していただきたいということです。 泉熊太郎はその第二の人生のスタートを誤ったのです。しかし往々にしてそうした特殊な失敗のケースが多くの教訓を教えてくれるものです。今こうして宮崎大門の『幽顕問答』の原本が再発掘されて、装いを新たにして世に出て、世界にも類をみない形で死後の存在を生々しく訴えることになったという事実を考えると、数百年という永い歳月をかけた一人の武士の執念が、その間にいくつかの行き過ぎはあったとはいえ、これから大勢の人々の人生に大きな意義をもたらすことになるのかもしれません。熊太郎の罪ほろぼしのためにも私はぜひそうあってほしいという願いをもって、本書に全力を傾けました。 なお“まえがき”で私は現地への取材旅行について述べた中で、武士の出身地である加賀のことには言及しませんでしたが、何も調べなかったわけではありません。“加賀”という名前につられて真っ先に加賀市立図書館に電話してみたところ、同図書館嘱託の郷土史家がこの話を興味ぶかく聞いてくださいました。 ところが現在の“加賀市”はかつての五郡の一つである“江沼郡”が市制改革の時にそう呼ばれるようになったために、あたかも加賀の国の中心であるかの印象を与えることになりましたが、実際にはやはり金沢を中心と考えるべきであることを指摘され、そこで金沢市立と石川県立の両図書館に電話を入れてみました。すると面白いことが分かりました。加賀藩と芸州藩(広島)とは戦国時代の終わり頃に加賀の前田家から芸州の浅野家へ嫁いだ女性がいる関係で、加賀藩の主な資料は広島の図書館にもあるということでした。 そこで広島市の中心部にある県立図書館を訪れ、そこの勧めで公文書館へも足を運んでみました。そして確かに幕府と外様大藩との政略結婚の形で、松平肥前守・前田利常の三女・満姫が浅野光晟(みつあきら)のもとに嫁いでいることは資料で明らかとなりました。織田信長の妹お市の方、その長女・茶々(のちの淀君)、三女の娘・千姫といった戦国時代の名だたるヒロインの血を継ぐ次女・珠姫が前田利常に嫁ぎ、その三女として満姫が生まれています。求道一筋に生き八十二歳で没しています。 ちょっとした小説の題材になりそうな話なのですが、肝心の加賀の泉家について何一つ資料は出てきませんでした。加賀市立図書館嘱託の郷土史家からの返信がすべてを物語っておりますので、その一部を紹介しておきます。 〈拝復 ご照会の手紙をいただきましたが、適当なお返事が出来ませんのでペンを取り難く、大変おくれました事を先ず以てお詫び申し上げます。 お手紙やお電話で承りましたお話は大変面白いのですが、さて実際の史実となると、全くつかみ処のないお話になってしまいますので困っています。第一に時代的に何時のことか、特に鎌倉時代となると、史実も伝承も少なく、とても分りかねます。 第二に紋所のことですが、鎌倉時代のことは例がなく分りませんが…〉 と述べて近世の資料を調べてくださった経緯が書いてあるのですが、結局は確証は得られないとのことでした。 その後石川県立図書館にも電話でいろいろと尋ねてみたのですが、右の郷土史家の手紙にある通り鎌倉時代ともなると史実も伝承も乏しく、たとえ記録されていても、ことお家のことに関しては都合の悪いことは抹殺し根も葉もないことを適当にでっち上げることは珍しくなかった時代なので、信憑性となると見当がつかないとのお話でした。なるほどそうかもしれないと思ったことでした。 しかし、さきにも述べましたように、霊の身元というのは、どう調べ上げたところで、それが証拠になるという性質のものでもありません。それよりもこの物語に関して何より大切なのは、『幽顕問答』という原本が確かに存在していること、そして出現した武士の霊を要求どうりに神と祀った石碑が現存しているという事実です。本当にそういう現象があったのであり、それを裁いた大門氏は、事の重大さを直感して逐一メモし、それを清書して残してくれたのです。 本書の試みはそれを現代的に構成して、それに私が学んだかぎりの心霊学とスピリチュアリズムの知識をもとにして分かりやすく解説することでした。その当否の判断と事実の理解は読者各位におまかせします。 一九八八年七月 近藤 千雄 ●近藤 千雄(こんどう・かずお) 昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまて英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1984年、英国を訪問。著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書−M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』、M. H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』、A.ウォーレス『心霊と進化と一奇跡と近代スピリチュアリズム』、G. V.オーエン『霊界通信・ベールの彼方の生活』、『古代霊は語る−シルバー・バーチ霊訓より』、『シルバー・バーチの霊訓』(以上潮文社刊)、S.モーゼス『霊訓』、J.レナード『スピリチュアリズムの真髄』、H.エドワーズ『ジャック・ウェバーの霊現象』(以上国書刊行会刊) |
ご精読いただきありがとうございました。 |
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