「原因」と「結果」の法則A
幸福への道
ジェームズ・アレン  坂本貢一[訳]
サンマーク出版 
 

 世界は心の投影

  あなたの世界は、あなたがどんな人間であるかの現れです。あなたの世界は、あなたの内側の状態が投影されたものであり、これからもそのすべてが、あなたが内側で体験することによって色づけされることになります。
  あなたの世界内にあるものは、たとえそれが、あなたにとって美しいものであっても、喜びであっても、醜いもの、あるいは痛みであっても、そのすべてが、あなたの内側に存在しています。
  あなたは、自分自身の思いによって、自分の人生、自分の世界を、素晴らしいものにつくり上げることもできれば、壊すこともできます。あなたが思いのパワーによって内側の人生を築き上げると、あなたの外側の人生は、その内側の人生に従って築かれることになります。
  たとえあなたが、心の奥底のどんな秘密の場所に、何を隠そうとも、あなたの内側に存在するすべてのものが、やがて必ず、あなたの外側の人生のなかに姿を現していきます。 けがれた身勝手な魂は、不運と不幸せをつねに自分に引き寄せ、清らかで情け深い魂は、幸運と幸せをつねに自分に引き寄せています。すべての魂が、それ自身と同種のものを引き寄せ、それと相反したものが引き寄せられてくることは絶対にありません。
  このことに気づくことは、この宇宙を支配している「原因と結果の法則」に気づくことです。あらゆる人間の人生内で発生する出来事が、たとえ創造的なものであっても、破壊的なものであっても、すべてこの法則に従って発生します。
  すべての魂が、思いと経験の複雑なコンビネーションであり、肉体は、それを表現するための物質的な道具にすぎません。よって、あなたの思い、あなたが考えることこそが、真のあなた自身なのです。

  かつて仏陀は語りました。
  「いまの私たちは、私たちがこれまでに考えてきたことの結果である。それは、私たちの思いの上に築かれている。それは私たちの思いによってつくり上げられている」

 真実の王国はどこにあるのか?

  人間は、自分が送り出す思いと同種の思いを自分に引き寄せ、その結果、自分とよく似た人たちと接触するようになります。「類は友を呼ぶ」という古いことわざは、一般に考えられているよりもはるかに多くのことを語っています。思いの世界のなかでも、物質の世界のなかでも、同種のもの同士はつねに引き寄せ合う傾向にあるのです。
  あなたは、あなたが与えるものを受け取ることになります。あなたの世界は、あなた自身を映し出す鏡にほかなりません。

  ほんの些細な思いや言葉、行ないから、天体群の配列に至るすべての物事が、《法則》の完全な支配下にあります。
  永遠の生命への入り口には、「人間は自分が蒔いたものを刈り取ることになる」という《法則》が、鮮やかな文字で刻まれています。

 不平を言うのはやめなさい

  あなたが歩んでゆく道は、最初、とても険しいものに見えるかもしれません。もしそうだとしたら、それは、それが本物の道であることの証明です。なぜならば、最初に魅力的に見えるものは、幻想や誤りであることが、とても多いからです。
  しかしながら、もしあなたがこの道を歩きはじめ、自分の心を鍛え、自分の弱さを克服し、自分の心のパワーを強化する努力を続けたならば、いつしかあなたは、外側の人生内で発生している素晴らしい変化の数々に気づいて、大いに驚くことでしょう。

  いまあなたは、貧しさの頑丈な鎖でしっかりとつながれ、暗さを増し続ける闇のなかで激しい孤独を感じているかもしれません。そして、自分の貧しさを、自分の生まれ、両親、雇い主などのせいにして、あるいは、何らかの不公正なパワーが、一部の人たちには豊かさと幸せを提供しながら、自分には貧しさと苦悩しか提供してくれていない、などという思いに耽りつつ、つねに不平を言いながら生きているかもしれません。
  もしそうだとしたら、不平を言うのは、もうやめにすることです。不平は、あなたを自己破滅へと導く恐ろしい罠です。そもそも、あなたがいま不平を言っている相手も、状況も、あなたの貧しさの原因ではないのです。その原因は、あなたの内側にあるのです。そして、その場所に問題の原因があるということは、同じ場所で問題を解決できるということなのです。

  あなたは内側の人生を変化させることです。《法則》を信頼し、知識を深め、自分自身をより大きな好機を手にするに相応しい人間へと、成長させることです。
  成長を目指すうえであなたが第一に心がけるべきことは、自分がいま持っているものを最大限に利用しようとすることです。小さな好機を飛ばして、一気に大きな好機を手にしようなどとは思わないことです。学校の生徒が進級するときと同じようにして、あなたもまた、一歩一歩、成長を遂げなければなりません。

 狭いアパートを楽園に変える

  新約聖書の『タラントの譬え』(マタイによる福音書)が、この真実をみごとに語っています。
  そのたとえ話は、「もし私たちが、いま持っているものを、たとえそれがどんなに小さなものに見えようとも、誤って用いたり無視したりしたならば、それによって私たちは、自分がそれを価値のないものだと見なしていることを表明したことになり、やがて、それさえも取り上げられてしまうことになる」と語っています。
  あなたがいま、うすぎたない地区にある狭苦しいアパートに住んでいて、一戸建ての大きな家に住むことを夢見ているとすれば、あなたがまず行なうべきことは、今のアパートを楽園に変えることです。いまのアパートを可能な限り磨き上げ、ピカピカの状態にするよう努めることです。
  いまの環境を可能な限り良いものに変えることで、あなたは、次のより良い環境に移動するための準備を整えることができます。やがてあなたは、正しい時期の訪れとともに、夢の家へと引っ越すことになるでしょう。もしあなたが、その家に移り住むための準備を意欲的に行ない続けたならば、その家はあなたを待ち続けてくれるはずです。

 心をきれいにすることです

  あなたは、「自分自身のためにではなく、他の人たちを援助するために、お金をためたい」と言うかもしれません。人々への思いやりが真の動機であるならば、あなたには真の繁栄がもたらされるでしょう。
  しかし、自分の動機を注意深く吟味してみることです。他の人たちに奉仕できるようになるために富を獲得したいと言っている人たちのほとんどは、実際には、人望を手にしたがっている人たちです。彼らは、自分が心優しい博愛主義者として見られることを願っているのです。
  もしあなたが本当に良いことをしたいのなら、それをするためのお金ができるまで待つ必要はありません。すぐにそれを行ないはじめることです。いまいる場所で、この瞬間からです。
  お金や地位は、真の豊かさの土台にはなりえません。あなたの真の豊かさは、あなたの美徳の蓄積であり、あなたの真のパワーは、あなたによって正しく用いられるパワーです。
 心をきれいにすることです。そうすることで、あなたは、自分の人生を最もあるべき状態に整えることができます。
  強欲、嫌悪、怒り、虚栄心、慢心、自堕落、利己心、強情といったものは、どれもが貧しさであり弱さです。
  いっぽう、愛、清らかさ、優しさ、忍耐、同情、寛大さ、思いやりなどは、どれもが豊かさでありパワーです。

 求めるのではなく与えること

  幸せは、内側で完璧に満足している状態です。それは、内なる喜びであり、平和であり、それが存在するとき、心のなかからはあらゆる身勝手な欲望が排除されています。欲望を満たすことで手にする満足は一時的なものであり、そのあとにはつねに、より大きな満足への欲求が頭をもたげてきます。
  欲望は地獄の成分であり、あらゆる苦痛の生みの親です。欲望を放棄することは、持続的な繁栄と成功、そして幸せが待ち受けている、天国を手の内にすることです。
 あなたが自分の個人的な幸せを利己的に追い求めつづけているかぎり、幸せはいつになってもあなたから逃げ続けるでしょう。そのときあなたは「悪いこと」の種を蒔き続けています。
  しかし、あなたが私欲を放棄し、他の人たちへの奉仕に没頭できたならば、その努力に応じた規模の幸せが、あなたにももたらされることになります。
  イエスが語った「命を求めるものは、それを失い、命を差し出すものは、それを得るだろう」は、まさしく真実なのです。
  永続的な幸せがあなたにもたらされるのは、あなたが、永続しない物質的な富に利己的にしがみつくのをやめ、その種の姿勢を、無条件に、意欲的に放棄したときです。物質的な富は、あなたがそれにしがみつく、つかないにかかわらず、いつかは必ずあなたのもとから消え去ることになります。
  ただし、速やかな見返りを期待して何かを与えたりすることは、何も与えないよりも悪い結果を招くことになります。与えるという行為は、私欲が排除された、速やかな見返りをまったく期待しない心の状態で行なわれなくてはなりません。
  もしあなたが、与えたあとで感謝されなかったり、喜ばれなかったしたときに、それを不満に思ったりしたとしたら、あなたのその「与える」という行為は、愛によってではなく、虚栄心によって促されたものです。そのときあなたは、たんに何かを手に入れるために与えたにすぎません。それは、実際には与えることなどではなく、奪い取ろうとすることと同じです。
  他の人たちへの奉仕を第一に考えることです。何を行なうときにも、自分自身を忘れることです。これが、大いなる幸せの秘訣です。
  身勝手な思いが湧き上がらないよう、つねに注意を怠らないことです。内側での犠牲を通じて、神聖な教訓を真摯に学び続けることです。やがてあなたは、幸せの最高峰に登りつめ、そこで永遠性の輝かしい衣に身を包み、果てしない喜びの永遠の陽の光を浴び続けることになるでしょう。
 
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