坂本龍馬とフリーメーソン
明治維新の礎を築いた英雄は、
秘密結社のエージェントだった!
鬼塚五十一・著  学研
2007年刊
 
 
 ジョン万次郎は日本人最初のフリーメーソンだったのか?

  坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像は、高知県を象徴する荒海の土佐湾に面して、海を見つめて立っている。中岡は室戸岬の突端に、龍馬は土佐湾のほぼ中央の桂浜にある。中岡の左手は刀を待ち、右手は腰にしっかりと添えられ、その姿はいかにも武士らしい。
  ちなみに、地元の土佐では、意外なことに龍馬より中岡のほうが人気がある。「龍馬は商売人だから」というのがその理由らしい。とはいっても、龍馬は若い人に人気がある。彼の銅像は中岡とは対照的に右に身を傾け、右手を懐に入れているが、その手は拳銃を握っているといわれている。
  土佐の英雄といえば、この中岡と龍馬のふたりと考えるのが一般的だろう。ところが、思わぬ人物がもうひとり、土佐には存在するのである。しかもこのところ、その人物の業績が急速に再評価され、土佐の英雄になりつつある。
  中浜万次郎――ジョン万次郎である。
  彼の銅像も土佐にある。東の室戸岬とは反対の西の奇岩を呈する足摺岬に、黒潮が渦巻く突端の断崖に立っているのだ。銅像が立てられたのは、1968年7月11日。地元のライオンズクラブの有志が中心となって設立された。
  そして、1991年11月7日には「ジョン万次郎漂流150周年」を記念して、「ジョン万次郎の会」が東京の憲政会館で結成されたが、その会長に選ばれたのは、およそらしからぬ人物だった。ロックフェラーといえば、アメリカのフリーメーソンのトップであるが、そのロックフェラー人脈のひとりである民主党党首・小沢一郎氏である。
  当時、彼はまだ自民党にいたが、3年後の細川連立内閣ができたとき、新生党を設立して参加し、連立内閣の陰の実力者となった。その新生党設立の際、当時の駐日大使のマイケル・アマコスト(現在はロックフェラーの米ブルッキングス研究所所長)を介して、ロックフェラーから約500億円の資金を提供されたといわれている。
  高知出身でもない岩手選挙区の小沢一郎氏が、なぜ「ジョン万次郎の会」の会長になどなったのだろうか? この会は彼の政治力を利用して、当時の外務省、通産省、郵政省、建設省、運輸省、自治省のなんと6つの省庁の許可のもと、その共同管理ということで設立された。
  しかも、わずか1年という異例の早さで承認され、設立年の9月、自動車、電車、電機、電力など財界の主要団体に、文書で5000万から6000万の寄付を要求し、3か月足らずでなんと5億6000万円もの設立運営資金を集めている。このことは国会でも問題となり、自民党の中川秀直議員によって追求された。これに対し、当時の柿沢弘治国務大臣と羽田孜首相は、のらりくらりと国会答弁して、責任の所在を曖昧にして逃げた。
  この会の目的は、日米の草の根交流の原点であるジョン万次郎を歴史の中から発掘し、彼の精神(ジョン万スピリッツと呼ぶ)を広め、日米友好関係を深めようというものだ。具体的には、日米交換留学制度や日米の草の根交流サミットなどの国際交流を行なっている。
  だがなぜ、急にまたジョン万次郎にスポットを当てようとしているのか。その理由は、彼の銅像が立つ足摺岬に行けばすぐにわかる。黒潮の風が強い足摺岬に、それはまるで古武道家のようなたたずまいで立っている。だがよく見ると、右手は強く握りしめ、左手には、なんと直角定規とコンパスを持っているではないか!
  直角定規とコンパスといえば、フリーメーソンのシンボル・マークである。あのトーマス・グラバー邸の石柱に刻まれていたものとまったく同じ直角定規とコンパスが左手に握られているのだ。
  ジョン万次郎はフリーメーソンだったのだろうか。だとすれば、これまでの謎がすべて解けるのである。そして、ロックフェラーの息のかかった小沢一郎がなぜ、会長になったのかもわかるだろう、ジョン万次郎は日本におけるフリーメーソンの第1号だったのか!?

 
高知県の足摺岬に立つジョン万次郎の銅像
左手は直角定規とコンパスを握っている。

 龍馬暗殺の首謀者は誰なのか!?

  多くの謀殺説があり、証言があり、遺留品がある。しかしながら、どれもみな事実のように思えても、これという決定打には欠ける。こうなればもう末梢的な論証は避けて、大筋の流れの中でこの事件の本質を見るしかないだろう。つまり、龍馬暗殺によって何がどうなったかだ。
  そこで暗殺前後の動きを見てみよう。まず大政奉還がなされた。この龍馬の偉業によって、だれが一番困り、面目を潰されたか。武力討幕派の薩長、そして彼らと朝廷の結びつきを強化した公郷たちだった。
  龍馬が最も気を許し、信頼していた中岡慎太郎でさえも、幕府を完全に武力成敗しなければ尊皇はありえないと思っていたのである。それほど当時の志士たちにとって、幕府に対する思いは並々ならぬものがあった。
  大の親友である慎太郎ならば、龍馬のやり方も仕方ないと諦めたかもしれない。むしろ、その手腕に敬服していたふしもある。しかし、武力倒幕派にとって大念願だった討幕の密勅を得た瞬間、わずか2〜3日の差で、それが完全に反古にされてしまったのである。腹の虫がおさまらないとはこのことだろう。いや、むしろはらわたが煮えくり返っただろう。
  このとき、初めて龍馬は邪魔者となった。正確にいえば、次の武力討幕のプランが立てられたとき、真っ先に片づけておかなければならない人物となったのである!
  そのプランとは、その後の歴史が示しているように王政復古の大号令(クーデター)のことだ。
  慶応3年2月9日、龍馬暗殺からわずか24日後、武力討幕派は突如、朝廷を配下に置き、天皇を中心とした総裁、議定、参与という3職による新体制を発足させた。しかも、徳川家のすべての実権を剥奪したのである。そのうえで戊辰戦争にもち込み、これに勝利して明治新政府を樹立する。
  つまり、大政奉還(10月14日)と王政復古のクーデター(12月9日)の間にちょうど龍馬暗殺(11月15日)が実行されている。これはいってみれば、龍馬暗殺の「原因」と「結果」と見ることができよう。つまり、それらの因果関係から見れば、その下手人は、武力討幕派ということになるだろう。薩摩、長州、公卿の明治新政府の主力メンバーということになろうか。おそらくクーデターのプランを練ったとき、龍馬の暗殺も俎上に上ったに違いない。
  すでに多方面に影響力をもっていた龍馬は、最も邪魔な存在だったからである。そして、それを直接に実行に移したのが、武力のりーダー格だった薩摩であることが考えられる。
  ある程度の顔見知りの犯行でなければ、脇差しで一撃を加えられるほど、至近距離まで下手人は近づけないはずである。薩摩藩士の可能性は高いのだ。
  ともかく、龍馬は、まだ33歳の若さでその生涯を終えてしまったのだ。今となっては真相を解明する術(すべ)はない。

 フリーメーソンと明治新政府

  ただ、龍馬の短い生涯の中で、彼の三大偉業である薩長同盟、大政奉還、船中八策、そして亀山社中、海援隊などでの活躍の中には、ジョン万次郎、トーマス・グラバーを通してフリーメーソンの影響が大きかったことは間違いない。
  これはまた、龍馬史におけるひとつの知られざる歴史的視点でもある。その視点なくして、ただ単に龍馬を時代の英雄として祭り上げることは、時代認識を誤まらせるもとになるだろう。
  では、龍馬は志半ばで倒れてしまったが、フリーメーソンは明治新政府にどのような影響を与えたのだろうか。
  ジョン万次郎から教えを受け、オランダに留学し、日本人フリーメーソンの第1号となった西周(にしあまね)は、徳川慶喜の政治顧問から天皇の側近となり、明治政府の最高顧問となっている。同じく留学組のフリーメーソン第2号の津田真道(まみち)は、外務権大丞を経て元老院議官を務めた。
 そこで、最初の明治政府の組閣を見てもらいたい。
 総理   伊藤博文(長州)
 外務   井上馨(長州)
 内務   山県有朋(長州)
 大蔵   松方正義(薩摩)
 陸軍   大山巌(薩摩)
 海軍   西郷従道(薩摩)
 司法   山田顕義(長州)
 文部   森有礼(薩摩)
 農商務   谷干城(土佐)
 逓信   榎本武揚(幕臣)
  グラバーの尽力によってイギリス留学した長州5人組のうち、伊藤、井上、山県の3人が大臣を占め、伊藤は総理大臣である。山県有明、森有礼、大山巌などはグラバーと親交をもった取り巻きメンバーであるが、とくに森はグラバーの斡旋により、イギリス、ロシア、アメリカヘ留学するほど親しい間柄だった。
 (中略)
  近代国家の革命の裏には、必ずといっていいほどフリーメーソンが関与してきた。明治維新もその例外ではなかったのだ。しかも、日本人が好む歴史上のヒーロー、坂本龍馬もその渦中に生きていたのである――!

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 この本では、坂本龍馬に大きな影響を与えた人物として、グラバーとジョン万次郎を挙げています。今は観光地となっている長崎のグラバー園の中にフリーメーソンのシンボルマークが刻まれた石碑が残っていることから、グラバーはフリーメーソンだったと思われていますが、彼が幕末から維新にかけてわが国の政財界に及ぼした影響力は、今日では想像もできない大きなものがあったようです。73歳で亡くなったときは、時の宰相・西園寺公望をはじめ、政財界のそうそうたる要人が葬儀に参列しています。
  「坂本龍馬はグラバーに操られていた」という説は早くから語られていましたが、最近では『あやつられた龍馬』(加治将一・著/祥伝社)が大変説得力のある検証を行なっています。こちらはミステリー小説のようにワクワクしながら読めます。お勧めの本です。
  さて、ここにご紹介したジョン万次郎は、元は土佐の漁師だった人物ですが、若い頃に海で遭難したところをアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカで暮らすことになるのです。その後、幕末のペリー来航の前に日本に帰国して、英語が話せることから重要な活躍の舞台を与えられます。坂本龍馬は、同郷ということもあってこのジョン万次郎にもさまざまな影響を受けたと見られているのです。この本を読まれると、「陰謀論」に対してアレルギーを感じる方でも、現在の日本がアメリカと同様フリーメーソンの影響下におかれていること、そしてそこに至る歴史的な経緯をご理解いただけると思います。。
 
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