プレアデスの智恵
チェロキーインディアンからのメッセージ
薗田 綾・著  総合法令出版 
 この本は著者が「歩きながら狩りをする鷹」という長い名前をもつアメリカ・ネイティブインディアンから聞いた話をまとめたものです。。

  この大地は地球のものです。私たちは少しの間、地球から借りているだけなのです。
  もし子供たちに財産や、土地を残したいと考えていたとしても、それは子供たちがほんとうに望むものではないのです。
  そんなものに執着するよりも、この美しい母なる地球を残すことの方が大事なことだということに気づいてください。それが、おそらく私たちの未来の子供たちへの最大の贈り物なのです。

 母なる地球

  私たちは大地を Mother Earth (母なる地球) と呼んでいます。母なる地球とは私たちの創造主そのもののことです。地球上のあらゆる生命はこの母なる地球から生まれてくるのです。
  もちろん人間ばかりでなく、多くの動物や植物、鉱物、水、土、‥‥といったものもすべて、母なる地球から生まれました。私たちは同じ母を持つ兄弟であり、姉妹なのです。
  私たちは、母なる地球の恵みなしには一時も生きていくことはできません。また、兄弟姉妹の恩恵なしには生きられないのです。

  地球は生きています。そして、私たちすべては、その母なる地球の子どもなのです。
  また、私たちチェロキー族は、空や宇宙のことを Father Sky (父なる宇宙) と呼び、敬っています。
  長老は口癖のように、創造主である Mother Earth と Father Sky への感謝を忘れてしまうとき、大変なことが起こると言っていました。
  チェロキーインディアンの教えには、何万年もの間こう言い続けられてきたものがあります。

  母なる大地から、いつも恵みをもらうばかりではいけない。
  大地にも恩返しとして感謝の気持ちを捧げなくてはならないのだ。私たちはただやみくもに奪ってはいけない。必要なものだけを取ればいい。
  植物からの恵みを得るときには、まず最初の1本に祈りを捧げる。
  聖なる煙草の葉を備え、新しい息吹をいただくことに感謝する。
  必要な量以上はけっして取ることはない。恵みをけっして無駄にしないために。
  これが自然の原則であり、大自然の秩序なのだ。


  狩りの前にも私は祈りを欠かしたことはありません。今までに多くのバッファローを狩ってきましたが、一度もその矢をはずしたことはありません。私の射った矢は必ず背中から心臓を貫き、一撃のうちにバッファローは大地に倒れていくのです。
  私は矢を射る前には必ず「私の兄弟たちのために、あなたの命を奪うことをお許しください。そのかわり、私にもいつか死が訪れ、私の身体は土に還り自然の一部に戻って、新しい命となってあなたたちの命ともつながっていくのです。今回あなたの命を大切に使わせていただくことに感謝します」と念じながら射るからです。
  私たちチェロキーインディアンはバッファローを神と考え、崇めています。
  大事な生活の糧となるバッファローのすべてを、けっして無駄にはしません。大切に使い果たすことで感謝の念をあらわしているのです。

  私たち地球上の生き物のために、創造主は恵みの雨を与え、浄化の雪を降らせてくれます。嵐や雷や竜巻でさえ、それらは何か意味があって起こるのです。
  もしも私たちが雨の精霊に対して敬意を払わなくなれば、雨が降らない日は何日も続き、人々は水不足で困るか干ばつに見舞われることでしょう。
  感謝を忘れたとき、大雨が降り続き、洪水が起こるかもしれません。
  「グレートスピリッツである森羅万象のすべてがつながりあい、支えあっている」という究極の真理は、「すべての生命は大きなひとつの輪の中にあってつながっているというチェロキーの輪の思想」に基づいています。

  輪には、始まりもなく終わりもありません。
  すべての生命は輪のようにつながりあって、支えあって生きているのです。人間も人間だけでは生きていくことができないことを教えています。
  チェロキーインディアンの精神は輪の中にあります。
  すべては聖なる輪の中にあるのです。
  私たちのまわりの自然をみてもそれがよくわかるでしょう。
  母なる地球も、そして月も太陽も星もすべて輪からできています。私たちの体をかたちづくっている細胞もまた、基本は球であり、すなわち輪から成り立っているのです。
  木の葉は地上に落ちて土の栄養分となり、土は多くのさまざまな生命を養います。木にできたたくさんの木の実を小鳥やリスなどの小さな動物がついばみます。狼やコヨーテなどがそのリスを食べても、けっして必要以上の狩りはしません。
  やがて彼らも死を迎え、土に戻っていく日がくるのを知っているからでしょう。
  こうして生命は大きなひとつの輪の中に生き続けます。
  生き物はみんな輪の中にいることを知っているのです。
聖なる輪
 聖なる輪の教え   [TOP]

  地球上に生きるものすべてがひとつの大きな輪でつながっているという、この調和の考えを表したものが「聖なる輪」であり、チェロキーインディアンの哲学ともいえます。
  チェロキーには、すべての生命はみんなつながりあっているという考え方が根本にありますが、これは精神的なものばかりでなく、物質的なものにもあてはまります。

  私たちは、だれかが困っているときには必ず手を差し伸べ、必要なものを与えます。
  物質はそのもの自体に価値があるのでなく、それを喜んでくれる相手に渡されるときに一番価値が高くなるものなのです。
  チェロキーには見返りなど期待する気持ちはまったくありません。だれかに何かをあげることで喜んでくれたなら、それがすなわち私の喜びにつながってきます。だれかの喜ぶ顔を見ることが、私にとって最高の幸せなのです。

  大切にしているものほど、人にあげる価値があるものだと思っています。ほんとうに自分の大切なものをどれだけ気持ちよく手放せるかでその人の価値が決まるともいわれています。
  これは“ギブアウェイ”と呼ばれ、与え尽くしの精神につながるものです。
  困った人がいれば、何も言わなくても必ず助けの手を差し伸べる。食べる物に困っている人には、気持ちよく自分の食べ物を分け与える。そんなあたりまえのことをいっているだけです。

  もちろんもらう側もその好意に甘えるばかりではありません。その気持ちが物で返せないときには、何かできることをしたり、感謝の気持ちを表現したりします。けれども、自分がもらうために何かをあげるとか、働いた報酬として何かをもらうというのではないのです。そこには人間同士、生き物同士の心の通いあいが存在しています。必ず喜びや愛があるのです。
 そのお返しは必ずしももらった人にしなくてもいいのです。将来自分のまわりに困っている人がいれば、その人を助けてあげてもかまいませんし、できるときにできることをすればいいのです。

  輪の思想は利他の精神にもつながっています。ギブアウェイ同様に「生きとし生けるものは、すべてひとつにつながっている」という思想がここでも流れているのです。
生まれ変わり
 生まれ変わりの真実   [TOP]

  私は自分の死を恐れたことは一度もありません。
  その時期がくれば、また生まれ変わるということを知っているからです。私は何度もパッケージ(肉体)を変えながら生まれ変わってきたことをはっきり覚えています。
  私は前の世界で多くのことをやり残してしまいました。だから、そのために今世は私の存在のすべてを使って、私が本当にやらなければならない大きな仕事に取りかかり始めたのです。

  スピリット(魂)は何度も違うパッケージ(肉体)に移り変わり、そのたびに多くのことを学んでいきます。私たちはグレートスピリット(偉大なる精霊たち)に近づくために、まわりの生き物すべてを慈しみ、愛し、調和の道を歩んでいます。
  たしかに、今の魂が肉体から離れるときには、両親や夫婦、友人や子供たちと、しばらくのあいだ別れ別れになってしまいます。その別れは悲しいものかもしれません。けれども、またすぐ会えるのですから、そう心配する必要もありません。
  ほんとうに会いたいと願うならば、あなたの大切な人とは必ず来世で会うことができるのですから。
  肉体は変わったとしても、会ったときにこの人と会いたかったのだと、きっとわかるはずなのです。
銀色の貝殻
 銀色の貝殻   [TOP]

  チェロキーの伝説には「浄化のとき、我々の前に銀色の貝殻に乗った同胞がやってくる。彼らは逃げ出したいという人を次の星へ連れていってくれるというだろう。しかし、彼らと一緒に逃げ出そうとは思わない方がいい。別の星は、この母なる地球ほどは私たちには住みやすいところではないからだ」とあります。
  私はけっしてこの母なる地球を置き去りにすることはありません。私の多くの兄弟たちといつまでもここで暮らしていくつもりです。

  この「銀色の貝殻」とは、おそらく私たちがUFOと呼んでいるもののことなのでしょう。ほかのインディアンの部族の中にも、よく似た宇宙船の伝説が数多く伝えられています。
  鷹は、この父なる宇宙には高度な文明を築いている惑星が数多くあり、私たちのことを知っている地球外生命は存在していると言っています。

目に見えないもの
 目に見えないものの存在   [TOP]

  インディアンの預言には大きく分けて2つの共通項がみられます。ひとつは、どれもが世界の大きな変化に言及していること、そしてもうひとつは、インディアンの伝統的な考え方の重要性、特に母なる大地(地球)への敬意の念を表明していることです。

  目に見えるものは自然界にあるほんの一部です。
  見えないものにこそ、大きな意味が隠されていることを私たちはしらなければなりません。
  私たちの内なるスピリットの声に耳を傾け、母なる地球の浄化を始めなければなりません。この過程を通して、見えない部分、すなわち意識の奥深い部分を揺り起こさなければならないのです。

  人々は、夢を見る能力を合理主義によって忘れてしまったかのようです。一刻もはやく内なる力を呼び覚まさなければなりません。内なる目で見ることを再び学ばなければ、これから起こる変化に対応できないのです。たとえば、襲ってくる大きな地震を予知したり、自分の会いたい人と何の連絡もなく会えたりできるようにしておかなくてはなりません。
けがされた大地
 けがされた大地   [TOP]

  母なる地球の大きな変化についてチェロキーに伝わる預言はこう告げています。

  母なる地球が自らの治癒力をコントロールするとき、あるところでは異常に雨が降り、あるところでは異常に渇く。またあるところでは異常に暑く、あるところでは異常に寒くなる。
  季節があまり急激に変わるために、季節と季節の区別ができなくなってしまうときがくる。
  これは母なる地球の変化の前兆である。このとき、地球の生き物は、なぜそんなことが起きるのかを知らなければならない。
原子力発電所
 原子力発電所という時限爆弾   [TOP]

  原子力発電所による事故の悲惨さも、これまで数々ありました。世界には現在500基以上の原子力発電所があります。これらは、エネルギーの確保のため必要だという理由から、建設が急がれました。けれども、その安全性はあとまわしになっています。
  1986年に起こったチェルノブイリ原発事故では、大量の放射能が放出され、「広島」の原爆の数百発分に相当する死の灰が振りまかれました。この影響で、およそ10年たった現在も、白血病や甲状腺ガンの子どもが急増し、奇形の家畜もどんどん生まれています。被爆者の数は少なくとも66万人にのぼるといわれ、今なお放射能汚染は、ヨーロッパばかりか地球全体として続いているのです。
  放射能汚染の危険性やその恐ろしさは、原爆を経験している日本人ならほかの国以上に切実に感じているはずです。その痛みを世界に向けて発信していくべきでしょう。けれども、日本は世界有数の原子力発電所推進国というのが現実です。(中略)
  私たちが、夏の暑い日や冬の寒い日に特別に多く使う電力のために、あるいは全国に300万台以上あるといわれる飲料の自動販売機や、また24時間開いている施設などのために、原子力発電所が必要なのでしょうか。
  便利で快適な生活の代償として、危険を承知のうえで原子力発電所を使わなければならないという矛盾の根本的な原因を知ることです。


  彼の話を聞くうちに、その根本的な原因が、おそらく欧米社会が近代につくりだした魔のルール「経済」という仕組みにあると私は感じていました。
  「経済」とは、大量生産、大量消費によって成長するお金絶対主義の社会の基盤となっているもののことです。
  資本主義の社会においては、このお金を儲けることが、何をおいても大切なことなのです。
  けれども、産業革命以降のこの300年間、私たち現代人があたりまえのことだと思ってきたこの社会のルールは、実は自然のルールとまったく逆だったのです。
  大量に電気を使えば、大口顧客として電気代は割引になります。たくさん物を買えば安くなるのが経済のルールです。けれども、これは自然のルールには当てはまらないのです。
  「1本の木を切るだけなら何もしなくていいのだが、10本切るなら10本、100本切れば1000本植える必要がある」。鷹たちは自然の摂理を知っています。これが自然のルールです。

  東南アジアで今日、頻繁に起きている深刻な大洪水は、大切な森林がなくなったことが大きな原因です。従来の森林がもっていた豊かな保水力がなくなってしまったため、大雨が降ると雨水は森に蓄えられずに、一気に川に流れ出してしまうからです。


  チェロキーの預言には「もしもこのまま母なる地球が傷つけられ、人間がすべての生き物に対して敬意を払わないならば、西暦2000年ごろにアメリカ西海岸が大洪水やハリケーンによって滅んでしまう」とあります。
  合衆国の各地でも大洪水や大地震が起こるでしょう。運よく大洪水からまぬがれることができたとしても、今度は干ばつがやってきます。
  貴重な水はどんどん減ってしまい、残ったわずかな水もすでに汚染のために飲めなくなってしまいます。大都市には伝染病が蔓延し、重い不治の病に苦しむのです。
浄化の日
 浄化の日   [TOP]

  チェロキー族のメディスンマンだったローリングサンダーはこう言い残しています。

  人間がある場所を汚すとそれはたちまち広がってしまう。
  まるで、体内に転移するガン細胞のように‥‥。
  それゆえ地球はいま病んでいる。人間が母なる地球をあまりにひどく扱っているせいなのだ‥‥。
  今後起こりうる災害は、母なる地球がその膿を取り除いて自然に還るための微調整なのだ。このことに気づくことはとても重要である。
  高等生物たちが自由な意志を持ち、健康であり続けたいと願うように、母なる地球もそう望んでいる。母なる地球も私たちと同じひとつの生命体であり、意志を持っているからなのだ。

  母なる地球の状態を知れば知るほど、浄化の日が来るのはそう遠い未来ではないことが感じられます。そのときがいつかはわかりません。けれども、すでに浄化は起こっているのです。母なる地球の変動はもう始まっています。
  母なる地球は知性をもつゆえに、この多くの汚染や破壊、激しい争いをなんとか止めようとしているのです。それははっきりとわかる形であらわれてきています。
  地震や津波、洪水、干ばつ、‥‥といった自然災害として、その多くが私たちの身近にやってきています。私たちは、今までになかった被害を目の当たりにしているはずです。
  けれども誤解しないでほしいのです。これは、けっして母なる地球の怒りではありません。これは、母が子供たちに示す深い愛情のあらわれなのです。私たちの子供たち、孫たち、そして地球に生きる多くの生命の存続のためにも、地球自身が癒されなければならないからです。
  今、癒されなければ、手遅れになってしまうからです。
  母なる地球はできるだけ多くの生き物に大きな被害が出ないように、十分に気づかっています。でも、母なる地球の病状が中途半端なものではないだけに、人間やほかの動物にとっては厳しい試練となることは仕方のないことなのです。この試練から私たちは多くのことを学ばねばなりません。
  母なる地球を癒すのは私たち一人ひとりだからです。
輪の思想
 輪の思想〜けっして終わりではない   [TOP]

  これから大きな変化はやってくるが、それはこの世の終わりではないと鷹は言います。

  もしも、多くの人たちが The End of the World (世界の終わり) だというぐらいの何か重大な出来事が起こったとしても、それは、ある価値観から新しい別の価値観へのトランスフォーメーション(変容)にほかなりません。
  世界の終わりは、すなわち新しい価値観による世界の出現なのです。
  もしも「母なる地球」を敬う気持ちや、大自然と調和しながら生きていくという姿勢があれば、何も恐れることはありません。変化こそが次の世界への夜明けを誘うものなのですから。
  これから訪れる物質的災害から自分の身を守りたいならば、その方法はたったひとつしかありません。先住民族たちの生き方や考え方を学ぶことです。頭でなく心で。そう、母なる地球を慈しみ、すべての生き物を敬う気持ちを思い出すことだけなのです。
地球の大きな変化
 地球の大きな変化   [TOP]

  世界はまもなく混沌とした時代を迎えるでしょう。
  人間はすでに母なる地球の子供ではなくなりつつあるからです。人間はすべての存在に対して傲慢になりすぎ、地球を破壊しすぎてしまいました。
  我々は大急ぎで、母なる地球のすべての恵みについて感謝の気持ちを思い出さなければなりません。この地球上の出来事は、すべて母なる地球の恩恵なのだということを。
  今、母なる大地が徐々に大きな変化を起こしはじめました。
  これからいろんなことが起こってくることでしょう。人間そのものが、どこかに連れ去られていくような大きな異変も避けられません。この異常な気候こそがその象徴であり前兆なのです。それを避けようとすることよりも、私たちはまず、どうしてそんなことが起こるのかその意味を問わねばなりません。
  世界中で起こりはじめた大きな変化を止める術はもうありません。
  どんなに高度な科学技術をもってしても、地震も津波も止めるどころか予知することすらできません。それは起こるべきときに、起こるべくして起こるのです。
  地球の浄化のための身震いは、母なる地球が生き続けるためにどうしても必要なことなのです。
  私が地球の大きな変化を否定しないのは、それが地球にとっても、すべての生き物にとっても必要なことだと思うからです。変化による警告がなければ、地球と調和しない人間によって、母なる地球はぼろぼろにされてしまうかもしれません。

  私たちチェロキーも多くインディアンの指導者たちも、母なる地球の大きな変化を「浄化=Purification」と呼んでいます。必要なときにそれはやってくるのだと悟っています。
  もちろん、この浄化はなまやさしいものばかりではありません。いままで起こった異常気象や大地震のように多くの生命が母なる地球に還っていくかもしれません。もしかすると想像もできない大きな規模の浄化かもしれないのです。
  どんどん悪化する地球環境のせいで、あと数十年で生き物は陸上では棲めなくなってしまうといわれています。早くどうにかしていかなければ、私たちすべての生物がこの地球で生きられなくなってしまうかもしれません。
  母なる地球が寿命通りに(あと50億年近く)生き続けるためには、どうしても地球の浄化活動は必要なことなのです。
  私たち人間は自分たちのことばかり考えるのに精一杯といった感じで、今まで母なる地球のことにあまり意識を向けてはいませんでした。

  母なる地球の大きな変化は、地球の最後の治癒力によって引き起こされています。
  たとえば、私たちが風邪をひいたときに熱が出るのは、その熱によって体を冷やす機能(自然治癒力)が身体の中に備わっているからです。それと同様の変化が母なる地球にもあります。
  しかし、地球にとって今回の自然環境の破壊という病気は風邪どころではありません。 もしかすると末期的なガンの状態にあるのかもしれません。
  いずれにしても回復に向かうためには地球がなんらかの浄化を必要としているのです。
  この地球の浄化によって何が起こるのか、いったいどれぐらいの生物が生き残れるのか、それは私にもわかりません。
  インディアンのある預言者は、全生物の約75%が消えてしまうといっています。別の預言者は90%だともいっています。
  おそらく、氷河期と同じぐらいか、それ以上の大きな変化がやってくることが大きな警告としてすでに発せられているのです。そう遠くない日に確実にやってくる変化のことを告げています。
惑星衝突
 惑星衝突の危険   [TOP]

  1989年3月23日に地球から100万キロほど離れたところを小惑星が通り過ぎました。危うく惑星大衝突はまぬがれましたが、もしもこの通過があと6時間遅ければ、地球は衝突のショックのために地殻の大変動が避けられなかったかもしれません。世界中の天文台は、この惑星の接近を寸前まで確認できなかったため、さほど大きなニュースにはならなかったようですから、知っている人も少ないことでしょう。
  驚くべきことに、実際に地球に衝突する可能性のある惑星や小惑星などの10%以上は、地球にぶつかってからでなければその存在がわからないということです。


  浄化の日を恐れる必要などありません。これは私たちの学びなのです。
  自分の病気と同じように、私たちはこの変化から重要な「選択」を学んでいかなければならないのです。
  変化の中には避けることができるものもあります。
  私たち人間が人為的に起こしている環境汚染や地球の破壊を、今すぐやめることができれば、まだ間に合うかもしれません。
  母なる地球は私たちに救いの余地を残してくれています。母の願いに気づき、正しい「選択」をするならば、変化は最小限でくい止められるのです。あるいは危機一髪で助かる方法を見つけることができることでしょう。
  母なる地球とつながるためには、まず私たち一人ひとりの意識を変えていくことが重要です。私たち一人ひとりが少しずつ意識を変えていくことで、母なる地球を破壊から守り、すべてのものの真の幸せへとつなげていくことができるのです。
  そうすれば世界は確実に変わっていくのです。
私たちは母なる地球
 私たちは母なる地球の一部である   [TOP]

  私たちの人生は「選択」から成り立っています。今日は誰に会おう、どこへ行こう、何をしよう‥‥。私たちの今ある存在は、私たちの毎日の多くの「選択」の結果なのです。
  だからといって選択に戸惑う必要はありません。間違った選択をしたことに気がつけば、新たに正しいと思う選択をすればいいだけです。ベストの選択をすることができなくても、ベターな選択ならできるはずです。こうするよりこちらのほうがいいだろう、という小さな一つひとつの選択が私たちの人生を変えていくのです。
  ただし、その選択が誰かを傷つけることになりはしないか、母なる地球を破壊することになりはしないかということを、いつも心に留めてほしいのです。その気持ちは、母なる地球につながっていくはずです。
  私たちはもっと神聖な態度で、母なる地球の上を歩くことを知らねばなりません。母なる地球を癒すために私たちができることは、すべての人間、そしてすべての生き物がつながっていると感じること。そして慈しみの心を持ちながら生きることを、選択することなのです。
著者紹介
 ● 著者紹介 ●
薗田 綾 (そのだ・あや)
昭和38年兵庫県に生まれる。甲南大学文学部卒業後、広告代理店に勤め、その後映像関係の仕事に従事。昭和63年女性中心のマーケティング会社「クレアン」を設立。現在はエコロジカルな発想によるマーケティングを展開中。
 
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