運命は6年周期で転換する
不運はあなたの本質からのメッセージ
石原加受子・著 たま出版 1996年刊 

 “吉”“凶”は12年周期であらわれる

  人類が、この宇宙の一部として存在しているかぎり、個々の運命にも周期があり、リズム、パターンがあって、それから逃れることはできない。しかもそのサイクルは、これまで述べてきたように、地球創成期の歴史とともに、我々の細胞に精妙に組み込まれてきたものである。
  この運命の周期というのが、12年を1サイクルとし、好機と衰退がそれぞれ6年ごとに交互に訪れる『運命6年転換期』である。しかもこのサイクルは、中国、西洋の占星術をはるかにさかのぼる超古代よりもたらされたものだった。
  また、これまでの占星術のように、運命を“吉”“凶”で振り分けるような単純なものではなく、壮大な宇宙の意図とともに、さまざまな数字は宇宙と縦横に関連し合い、影響を与え合っている。
  一般にいわれるところの『悪運』を、悪運としてとらえてはいけない。悪運もまた、あなたの魂の進化からみれば、好運としてとらえられるからだ。悪運とみえるのはあくまでもあなたがそう認識するだけのもので、宇宙的規模からみた「成長」という見方をするならば、それもまた、あなた自身を大きく飛躍させるための出来事といえるものである。
  占いでいう凶もまた、凶で終わるために起こっているのではない。凶を方位学地学、墓相、姓名判断、除霊、浄霊などもろもろのやり方で避けようとするのも一方法だが、あなた自身が歪んでいれば、そのひずみは必ずどこかにあらわれる。
  本書は、そういうふうに凶と思える運命を、どうやったら転換できるかの指針を提案するものである。
  ここでは運命の「陽と陰」の現れ方を、『隆盛運』『浄化運』という呼び方にしておきたい。
  隆盛運というのは文字通り、あなたに好運をもたらすものであり、浄化運とは、あなたが学びとらなければならない運である。したがって、12年周期の6年という半周期は、隆盛運が上昇するか浄化運が上昇するかのターニングポイントであるのだ。
  隆盛運にしろ浄化運にしろ、あなたの運命が螺旋を描きながら上昇していくのは、とりもなおさず、この3次元という土俵で自分自身の偉大さを実感し、あなた自身の魂が無限に進化していくために起こっているためである。
  しかも本当は、この隆盛運、浄化運いずれも、「“意識”が万物を創造する」という法則通りに、あなた自身が進化するために、自分で引き起こしている。どんなに苛酷な人生であろうと、あなたの環境や運命は、あなた自身が自分の魂の進化のために選択し、自分で創造しているのだということを心に刻んでいただきたいと思う。
  「偶然はない」という原則に立てば、この世にあるもので、意味のないものはひとつもない。一見否定的に映るものであっても、それは必ず何らかの意味がある。我々人間に成長をもたらすための意味をもっているはずである。それが現実の世界でマイナス現象としてあらわれているとしたら、それはあなたに何らかの気づきを促すために起こっているのである。
  すべての出来事が、我々に覚醒をもたらすために起こっている。

 100パーセント的中する預言はない

  我々はこの世に生まれようと選択して誕生したときから、肉体という衣をまとった制限つきの生活がはじまる。
  何が起こるかは、ひとえにあなたの日ごろの生き方にかかっている。日ごろの生き方が清算日として、隆盛期、浄化期に一気に押し寄せてくるのである。良いにつけ悪いにつけ、その清算日が6年周期でやってくるということである。
  これまでに、数多くの伝統的な占命学や預言が世の中にもたらされてきた。その多くが、運命や人類の未来を見通すものであるし、宇宙の真理を垣間見せてくれる優れたものであると思う。
  まさに我々がいま直面している世紀末あるいは新世紀についても、真実に近い的中率をもって語られる預言も少なくない。しかし、いかに高い的中率を誇る占命学、預言であっても、完璧に的中するものはあり得ない。
  あり得ないというより、宇宙的、多次元的な視野からみれば、100パーセント的中する法則があるのだろうが、それは人智のおよぶところではない。
  肉体をもって存在している我々は、そんな宇宙や多次元の法則の一部を、肉体をもつ人間としてのレベルでしか理解することができない。
  これまでの一連の自著で再三言っているので詳しくは述べないが、人は自分という眼のフィルターを通して世界をみている。同じ現象をみていても、その人が現実としてとらえる世界は、それぞれにその人独自の世界である。同じ世界にアクセスしていても、自分という限定された範囲のなかで、その人のこだわりに応じて、こだわりにふさわしい箇所を拾い上げて見るために、その見え方、表現の仕方はまさに千差万別である。
  したがって、もし未来を的中させ、運命を読むことができる人がいたとしても、人間である限り、その未来や運命は、その人のレベルに応じたもの、あるいは信じているものを基盤として、「自分というフィルターを通して自分が創造した世界の、限定つきの出来事」としてしかとらえることができない。
  どんなに的中率の高い預言をもってしても、アカシック・レコード(過去、現在、未来のすべてを記録しているもの)を覗くことができる人がいるとしても、その理解度は、その人の魂のレベルによって左右されるので、それを自分の頭で解釈するときすでに、真実は歪められている。宇宙の真理を正確に把握して、正確に言葉で語るのは至難の技なのだ。だから100パーセント的中することはない。

 宇宙の仕組みを変える入間の“意識”

  「どうして100パーセント的中しないのか」というのには、もうひとつ理由がある。
 それは人間に“意識”があるからである。
  我々はこの宇宙の地球という場所にいながら、多次元的世界にも重なり合って存在している。それは我々が霊界と呼ぶ世界についても同様である。多くの人が、自分たちの世界とは別個に霊界というものが存在していると考えているかもしれないが、実は我々はこの現世に存在しながら霊的人間としても存在し、宇宙空間のみならず多次元的空間にも影響を与え合っている。つまり、我々は宇宙的空間に存在すると同時に、多次元的空間の住人としても存在しているのである。
  そういった存在を存在たらしめるのが、意識なのだ。
  “意識”が万物を創造する。これが宇宙の成り立ちである。
  したがって、あなたの運命を、だれかがアカシック・レコードから読み取ってあなたに伝えたとしても、それが完璧な的中率でもって成就することはない。100パーセントの確率で未来が読めたとしても、我々が「意識する人間」である限り、100パーセントの確率でその預言が的中することはない。
  それは、「我々の意識は現実を変えることができる」からである。
  過去になされている預言で、それがどんなに的中率の高いものであっても、100パーセントとなり得ないのは、我々がその時々の時空に関与しては、現実を修正しているからに外ならない。
  占星術や独自の方法で、かなりの精度でもって地震を予知する人がいたとしよう。その某月某日に襲ってくるかもしれない地震を恐れる人が多ければ多いほど、その地震が成就する確率は高くなる。反対に地震がくるのを覚悟して、その日に備えて落ち着いて準備していれば、地震が起こる確率は低くなる。
  あなたの人生においては、その上で、そんな大災害を前にして「いかに生きるべきか」を自分自身に問い直してみるほうが、はるかに有意義であるだろう。
  「意識の法則」からすると、恐れていることは実現する。地震が襲ってきたとしても、規模が変わってくる。恐怖してその日を迎えるのと、それを承知で覚悟して準備するのとでは、意識の在り方はまるで違う。そんな我々の意識が現実界に反映されて現実を創り出すのなら、やはりどういった災害を呼ぶかというのは、個々の意識にかかっている。
  時にはそれが的中しなくて、流言飛語をとばす輩として非難を浴びたりもする。しかし、それは、警告することで流れが変わったのかもしれない。だから、そういった人たちを非難するのは不当かもしれない。それよりも、個々が、「むやみに恐れるよりも、恐れないですむ方法」を考えて準備したほうがまだ、災害が起こる確率は低くなるし、起こったとしてもその規模を最小限にくい止めることができるだろう。
  要は、そんな災害に対する個々の心の姿勢のほうが重大なのだ。

 あなたは宇宙のすべてを知っている

  実は、あなたの魂は、宇宙のすべてを知っている。
  たとえば体を神とするならば、あなたは脚の一細胞である。その一細胞であるあなたが蚊に刺されたとする。
  あなたは、痒いと意識する。それであなたはその痒みを何とか止めたいと考える。しかし脚の一細胞であるあなたは、その患部を掻くことができずに歯痒い思いをする。
 そのとき、手が動いてきて、痒い患部を掻いたとする。手が脚の痒い患部(自分)を掻いてくれたことで、あなたは満足する。
  だが、脚の一部であるあなたは、患部を掻いてくれた手を、自分とは全く別の存在と認識するだろう。体という全体をみると、脚の細胞も手も、体の一部であるのは明らかなのだが、脚の細胞であるあなたには全体が見えないために、自分を痒みから救ってくれた手を、いろいろな呼び名で語ろうとする。人によってその手が守護霊と見えたり、宇宙人とチャネリングしたと考えたり、教祖様が、あるいは神が奇跡を起こしてくれたと考えるだろう。
  でも実際は、それも自分自身なのだ。
  それが理解できないのは、あなたが自分で自分の世界を限定しているからである。だから、あなたが成長することを望み、あなたの意識がさらに広がっていくにつれて、「私という存在は脚のみならず、胴体がついていたのか、脚には指がついていたのか」と徐々に全体像がみえてくるようになる。痒い患部を掻いてくれた手も、実は自分自身の手であったというのがみえてくる。
  これが魂の成長といえるものなのだ。
  もとをただせば神であるあなたは、預言や占命術に依存しなくても、自分自身がすべて知っている。ただ、あなたはまだ、自分の魂と交信できないでいるだけなのだ。
  悩みや苦しみが起こるのも、あなた自身が宇宙的、多次元的空間に働きかけて、自分を成長させるためにあなた自身が起こしているものである。
  成長したいために、大本の魂から変革のメッセージとして発信されているものなのだ。大かたの預言や占命術は、悩みや苦しみを否定的な出来事として恐怖心を呼びおこすように恫喝したり脅迫したりするが、それもこれも、「宇宙法則にしたがった生き方をするように」と、あなた自身の魂が、あなたに発信していることなのである。
  従来のような思考で、人生の道のりで起こる苦痛を、悲劇や悪しきものとしてとらえてほしくない。預言や占命学は、本来あなたを脅かすためにあるのではない。
  悩みや苦しみはすべて、自分をよりよく生かすために自分が起こしているものである。その中に、あなたの採るべき道や未来が暗示されている。
  幸いなことに、あなたが成長するための、そんな「浄化すべきテーマ」も無秩序に引き寄せているわけではない。人類の壮大な計画のもと、宇宙法則を守りながら、宇宙のリズムと周期をもって起こるように仕組まれている。
  こういう捉え方をしていくと、悩みや苦しみも、自分の未来を輝かしいものにするためにやってくる素晴らしいチャンスともいえるだろう。
  我々には、宇宙の流れを変える力が備わっている。預言すらも修正する力が備わっている。運命の周期に気づき、そのとき起こるトラブルのパターンを修正することができたとき、それを実感するに違いない。
  そのときこそ、サーフィンのように、バランスよく運命の波に乗ってさえいれば、運命はあなたの望むように展開する。波が勝手にあなたを幸運へと運んでくれるのだ。
  しかも、浄化の現れ方が激しければ激しいほど、あなたのパワーは大きいと信じて欲しい。浄化年にやってくる自分の歪みを正すことができたとき、あなたは、その巨大なパワーを発展のために生かすことができるはずである。

 多次元レベルでの意識革命

  「善悪、優劣、勝ち負け」といった2分化思考でみると、これからの世の中はますます、あなたにとって腹の立つことばかりが起こるだろう。その中でどういうふうに生きるかが問われる時代となる。
  あなたの周囲は、支配関係のなかで相手を敵とみなして相手を支配しなければならないと恐怖する人、恐怖心から攻撃してくる人や、復讐心に駆られる人でいっぱいになるだろう。
  そんな相手に「常識知らずだと腹を立てる。礼儀知らずだと腹を立てる。失礼だと腹を立てる」といった具合に、あなたが責任をとる必要のないところで、相手の非礼や失礼な点を拾っていたら、あなたは年がら年中、腹を立てていなければならない。
  あるいは、そんな周囲の人々の恐怖心に巻き込まれて、あなたも恐怖心から相手を攻撃したり復讐したり、あるいは恐怖心で萎縮してしまっていたら、あなたはとても辛い人生を送ることになるだろう。
  あるいは周囲の恐怖心に巻き込まれて、一緒のレベルであなたの目に映る敵(と思える人々)と、闘おうとすれば、あなたもパニックの中で日々を過ごすことになる。
  これからの環境は、あなたが考えている以上に混乱したそんな時代となる。
  しかしこれは、地球レベル、多次元レベルでの意識変革のためには、どうしても不可欠な行事なのだ。


 地球があなたを選別する

  経済の停滞や悪化があるとはいえ、我々はまだ、高い生活レベルを保っている。そんなあなたが、旅先で遭難してジャングルで生きていかなければならなくなったとする。
  もしあなたが、現代の快適な生活ばかりに恋焦がれ、文化的な生活とジャングルとの生活を比較して、ジャングル生活での惨めな点ばかりを拾っていると、「いつまでこんな惨めな生活をしなければならないのだろう。一生このジャングルで生活して誰にも気づかれずに死んでしまうのか。もう一生、自分の家に戻ることはできないかもしれない」
  と、あなたは絶望して死にたくなってしまうだろう。
  川の水を飲みながら、水道の蛇口から出る水を懐かしがり、木の葉にくるまりながら、暖かいベッドを恋しいと思い、乏しい食事をとりながら、高級レストランの食事を渇望しながら生活すればするほど、あなたはジャングルでの生活が地獄のように感じていくだろう。
  しかし、あなたが、文化的な生活とジャングルとの生活を比較するのをやめて、ジャングルの生活に埋没する。つまりジャングルの生活を「いまの自分の生活だ」と受け止めて、「いまを生きる」決心ができるなら、あなたはジャングルでの生活に絶望して死にたくなることはないだろう。
  ジャングルで生活しなければならないなら、ジャングルの生活を自分の人生だと受け入れて、その中に埋没して生きる。
  ジャングルでの生活を自分の生活と思うことができるなら、ジャングルでの生活を力強く生きはじめるだろう。自然や植物、生物とともに生きるのを受け入れることができて、その生活をすべてだと思うことができるなら、同じジャングルでの生活も、生き方が違ってくる。
  つまり、「環境の中で、どう生きるか」で、あなたは生きることが辛くもなり、楽にもなるのだ。
  私が言いたいのは、もしかしたら、あなたを取り巻く環境が、このジャングルのような生活になるかもしれないということである。
  もちろんジャングルのような原始的な生活になるというのではなく、あなたの環境や人間関係が、とても生き辛い環境になるということである。
  そんな環境の中で、人間関係の劣悪さばかりに目を向けていると、あなたの生活は当然苦しいものとなっていく。多くの人が、恐怖心で満たされた環境の中でも、あなたは「楽に生きる」ことを目指さなければ、あなた自身の人生は辛いものとなる。
  恐怖心に満たされた人々やいきり立っている人たちの行為ばかりを拾い集めていたら、あなたは批判したり、指図したり、強引に相手を変えようとしたりして、あなたはいつも腹を立てたり絶望していなければならなくなる。
  劣悪な環境で生きているなら、劣悪な環境のなかで「楽に生きる」方法を見つけていかなければ、あなたはたちまちにパニックになってしまうだろう。
  あなたにとって、いまの環境が生きづらい環境であっても、それがいまのあなたの環境なのだ。だったら、それを認めるしかない。そんな生きづらい環境を前提に生きていくしかない。そして、そんな環境の中で、「楽に生きる方法」を探さなければならない。
  もし世の中を変える方法があるとしたら、それは恐らく、そんな劣悪な環境の中にあっても、一人でも多くの人が「平和でいられる自分を創る」ことであるだろう。悪感情に悪感情をもって対抗しても平穏は訪れない。不当な行為に不当な行為をもって争えば、ますます不当な行為がはびこる。
  どんな環境にあっても、あなたの心が平和であることが、世の中を変える唯一の方法なのだ。相手の決断なしに、相手を変えることはできない。あなた自身が、生きづらい環境のなかで、平穏な気持ちでありさえすればいいのだ。あなたが平和でありさえすれば、あなたの運命は好転するし、そんなあなたの生き方が、周囲に好ましい影響を与えるのだ。地球規模での変革に、あなたが歩調を合わせて進化していくには、あなたは、テレパシーで語り合えるような自分になっていく必要がある。
  これは、テレパシーが発達して交信し合えるという意味ではない(進化としては当然、そうなっていくし、エネルギーレベルでは、すでにそういう交換を互いにしているが)。
  テレパシーであなたの想念がそのまま相手に伝わっても、理解し合える人間になっていかなければならないという意味である。つまり、本音と建前のギャップがなくて、丸裸のあなたがあらわになっても恥ずかしくない人間になる必要があるという意味である。
  そして多分、地球が選ぶのは、そういう人間であるだろう。
 
 ★ なわ・ふみひとのコメント ★
 
 この本の著者は、地球動乱の時代を生きる上で必要となる私たちの心構えを「運命」の視点からわかりやすく説明してくれています。中でも特に大切だと思われる部分は私が赤い文字に変えておきました。以下にその抜粋を要約して載せておきます。

 ●悪運とみえるのはあなた自身を飛躍させるための出来事である。

 ●“意識”が万物を創造する。

 ●あなたの環境や運命は、あなた自身が自分の魂の進化のために選択し、自分で創造している。

 ●すべての出来事が、我々に覚醒をもたらすために起こっている。

 ●我々はこの現世に存在しながら、多元的空間にも影響を与え合っている。

 ●予言の的中率が100%でないのは、我々が時空に関与して現実を修正しているからである。

 ●地震を恐れる人が多ければ多いほど、その地震が成就する確率は高くなる。

 ●大災害を前にしていかに生きるべきかを自分自身に問い直してみるほうが有意義である。

 ●これからの環境は、あなたが考えている以上に混乱した時代となる。

 ●これは地球レベル、多次元レベルでの意識改革のためには不可欠の行事なのだ。

 ●どんな環境にあっても、あなたの心が平和であることが、世の中を変える唯一の方法なのだ。

 ●あなたの想念が相手に伝わっても理解し合える人間になっていかなければならない。

 ●本音と建前のギャップがなく、丸裸のあなたがあらわになっても恥ずかしくない人間になる必要がある。
 
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