肉食が地球を滅ぼす

中村三郎・著 ふたばらいふ新書 2003年刊

 肉牛の大量生産工場

 ロッキー山脈を望むコロラド州グリーリー。見渡すばかりのトウモロコシ畑と二分するように、フェンスで囲まれた巨大な土地が広がる。フェンスの中には、何万頭もの牛が群れている。東京ドームの10個分はすっぽりと入ってしまうほど土地は広いが、牛たちが自由に動き回るスペースはない。50頭ほどずつ群分けしたパドックに入れられ、狭い囲い地の中でひしめき合っている。木陰を作る樹木は1本もない。ときおり突風で砂煙が舞う。牛たちはけだるそうに、あるいはイライラしたふうに体を揺らせて、柵に沿って作られた給餌槽に首を突っ込んでエサを食べている。
 コロラド州のグリーリーに限らず、アメリカの北西部を中心に、都市の郊外に行けばどこでも見られる、ごくありふれた光景だ。アメリカの牛肉ビジネスを支えているフィードロットである。
 フィードロット(feed lot)とは、牛を放牧にせず、フェンスで仕切ったペン(牛囲い)に入れて効率的に肉牛を生産する集団肥育場のことをいう。アメリカの肉牛生産は、大手食品メーカーによる5万頭から10万頭単位の大規模なフィードロットの経営のもとに、徹底した大量生産が行なわれている。肉牛は、だいたい次のような養育プロセスをたどって出荷される。
 繁殖の専門業者が、種牛を、子牛の生産を行なっている農家に貸し出す。農家は種付けをして子牛を出産させる。生まれてしばらくは、子牛は母牛と一緒に過ごすが、6カ月から8カ月で離乳し、体重が200キロを超した頃、子牛を育成業者に引き渡す。
 育成業者は子牛を牧場で約1年間、牧草を食べさせながら、体重が350キロ程度になるまで飼育する。そして、目標体重に達した牛は、フィードロットに送る。
 フィードロットでは、牛を出身牧場ごとに分けてペン(牛囲い)の中に入れ、4カ月から5カ月の短期間のあいだに穀物を主体とした配合飼料を与えて肥育する。こうして体重が500キロ前後の成牛になると、食肉加工工場に出荷するのである。
 フィードロットの牛は狭いペンの中に押し込められ、より早く、より太らせるために、青草の代わりにトウモロコシや大豆などの濃厚飼料をひたすら食べさせられる。加えて、病気の発生を未然に防ぐために抗生物質を投与される。同時に、肥育効率と肉質を高めるためにホルモン剤も与えられる。体重や体長をコンピュータで管理され、給餌や糞尿処理などすべて機械化されたシステムの中で、監禁状態のような生活を強いられるのである。
 牧場の牛といえば、かつては草原で1日のんびりと草をはんでいたものだ。そして陽が沈む頃ともなると、カウボーイがこれまたのんびりと馬で牛たちを畜舎へ追っていく牧歌的な風景があった。動物と人間のおだやかで自然なつながりとわかり合い、融合があった。今は見る影もない。
 フィードロットの牛たちは、命ある生き物として認められていないのだ。人間の利益を生み出すビジネスの対象としてしか存在しない。フィードロットは巨大な肉牛生産工場であり、車やテレビを大量生産する機械工場と同じなのである。

 病気を増やす抗生物質の乱用   [TOP]

 狭い土地の中に、まさにぎゅうぎゅう詰めにされる牛たちは自由に動き回ることができない。本来、広い牧草地でのびのびとしていたのが、極端に運動を制限され、彼らの本能はねじ曲げられる。そのため、それがときとして異常な行動になって現れる。
 ストレスがたまれば、それに起因する病気の発生率が高くなる。
 牛結核や口蹄疫などの伝染病でも発生したら大変である。一頭でもかかったら、フィードロットの牛たちに次々と広がってしまう。そこで、こうした病気の発生を防ぐために、エサに抗生物質を混ぜる。栄養添加物入りの濃厚飼料に、さらに抗生物質がたっぷりとまぶされるのである。

 抗生物質と細菌の戦いは、追いつ追われつのシーソーゲームだ。抗生物質が強くなれば、それに対抗して細菌も強くなるという関係である。耐性菌の出現は、結果として新しい抗生物質の開発につながっていく。現在では2000種にのぼる抗生物質が開発されている。しかし、細菌は抗生物質に対してすぐに耐性を持つようになるから、抗生物質を投与しても効かなくなる。両者はイタチごっこの関係になっているのだ。
 フィードロットの牛たちは多種多様な大量の抗生物質を投与されている。クロロマイセチンやチオペプチンといった抗生物質が10種類以上もエサの中に混ぜられるという。(中略)
 フィードロットの経営者たちが牛たちに抗生物質を与えるのは、むろん彼らの健康を思ってのことではない。出荷に影響しないように、さしあたっての病気を防ごうというのが目的である。目の前の利益を守るためだけであって、その姿勢は非難されるべきであろう。抗生物質の使用は、新しい病原菌を生み出して牛たちの健康を阻害するだけでなく、我々人間の安全をもおびやかしているのである。

 ホルモン剤残留の恐怖   [TOP]

 フィードロットの牛たちは、ビタミン剤入りの濃厚飼料を食べさせられ、加えて抗生物質を打たれ、そのうえ、さらにまたホルモン剤を投与される。
 動物一般に言えることだが、牛、とくにオスの牛は成長するにしたがって筋肉が荒くなって肉質が硬くなる。食肉としての品質が落ちてくる。ホルモン剤は、それを防いで肉質を軟らかくするために使われる。

 ホルモン剤の事件は、1985年にも起きている。プエルトリコで約3000人の赤ん坊や女児に初潮が起こり、乳房がふくらむという異常成熟が発生した。調べたところ、子供たちすべてがアメリカ産の牛肉を食べていたことがわかり、その牛肉から、通常、人体が分泌する10倍以上のエストラジオールが検出されたのである。
 この衝撃的なニュースは、世界各国に大きな波紋を広げた。EU諸国では、ただちにホルモン剤を投与したアメリカ産の牛肉の輸入禁止措置をとった。ところがアメリカは、これを不満としてEU産の果物に対して100パーセントの輸入関税を課すという経済制裁におよんだのだ。ホルモン剤の使用は人体に影響はないと主張するアメリカ政府だが、まったく信用できないのである。

 経済動物たちの悲しき運命   [TOP]

 今日の日本でも、肉牛生産はアメリカのフィードロット方式を取り入れ、アメリカほど大がかりでないにしろ濃厚飼料と薬剤で育てる飼い方が一般的である。牛は、もはや人間と共生する「家畜」ではなく、商業資本のもとで工場生産される「経済動物」なのだ。では、鶏や豚はどうなのか。彼らとて牛と同じである。機械化された工場に閉じこめられ、経済動物として大量生産されている。
 まずブロイラーである。
 ブロイラーは卵からヒナにかえると、すぐに飼育用鶏舎に入れられる。狭いスペースに大量に詰め込まれ、1坪(畳2枚分)あたり100羽以上にもなる。そのとき、つつき合ったり、エサを散らさないようにくちばしを短く切り落とされる。鶏舎は日光の射す窓がなく、つねに薄暗くしてある。鶏は「コケコッコー」と鳴いて夜明けを告げる習性を持つ。これを大勢でいっせいにやられては、うるさくてかなわないというわけだ。エサは当然、高カロリー、高タンパクの濃厚飼料である。それに栄養剤、消化剤、抗菌剤などが添加され、自動的に給餌されるようになっている。
 こうして、鶏舎の中で押し合いへし合いして育っていく。8週間前後で、食肉に最適な体重1.5キロほどの若鶏に成長する。そのころには鶏舎は、体が大きくなった鶏たちでぎっしり満杯の状態になる。あとは食肉処理場のトラックに積み込まれるのを待つだけである。
 卵を産む「採卵鶏」も似たようなものだ。狭いケージの中に立ちっぱなしで、薬剤入りの飼料をたっぷりと与えられ、卵を産み続けさせられる。鶏舎はブロイラー用とは逆に、夜でも照明が当てられ明るい。人工的に昼の時間を長くすることで季節感を鈍らせ、羽の生え代わりを抑える。すると体力の消耗が少なくてすみ、栄養価の高い卵ができるのだという。
 鶏たちは、1日に1、2個の卵を量産する。そして、1年半から2年で、その役目は終わる。毎日の過酷な“労働”で体がボロボロになっていき、2年もたつと卵を産めなくなってしまうからだ。用済みになった鶏たちは食肉加工場へ送られ、ソーセージやスープの材料にされる。鶏の寿命はだいたい15年から20年だが、経済動物の宿命とはいえ、その10分の1も生きられない苛酷で哀れな一生なのである。

 豚の場合は、フィードロットの牛と飼われ方はほとんど同じだ。土のないコンクリート床の囲いの中に押し込められ、やはり濃厚飼料と薬漬けでいやおうなしに太らされる。
 豚は見かけによらずデリケートな動物である。それだけ人間に近いというわけだが、だからストレスがたまりやすく、ノイローゼになることが多い。ストレスが高じれば、当然の帰結で病気にかかりやすくなる。しかし、生産者は環境の改善などまったく考えない。大量の薬品投与でしのごうとする。豚に対する薬品の使用量の多さは牛や鶏に比べて群を抜いている。薬を使えば使うほど豚の抵抗力が弱くなって、病気にかかる率が高くなる。にもかかわらず薬の投与を繰り返す。そこには食品業界と薬品業界の持ちつ持たれつという“腐れ縁”がからんでいる。そのため、養豚場では、病気は絶えることがない。
 豚たちは、体重が100キロ前後に達する6カ月を過ぎると監禁生活から解放される。だが、そのときは肉体的にも精神的にももうズタズタになっているのだ。その後の行く末は言うまでもない。

 かつて農家や農場で育てられていた家畜は、繁殖も成長も自然のありように任せられていた。彼らの健康と命は、太陽の光と自由な活動によって得られたのであって、人工飼料や薬剤で保たれるのではなかった。
 牛は広い野原に放たれて草をはみ、豚はキッチンから出る余り物を食べたり、土を掘り返して食べ物をあさった。また、鶏は庭先を歩き回って草の芽や虫をついばんだ。彼らは本能のまま自由に行動することが許されていた。そして、その代わりに食肉となり、卵を産んで人間に生活の糧として提供した。
 家畜は、農家にとって確かに金銭をもたらしてくれる価値ある存在だったが、だからといって、現金を生む動物としてしか扱われなかったわけではない。彼らは自然がさずけてくれた恵みであり、その一頭、一羽に対して畏敬の念をもって接すべきだという自然観があり、単に利潤を生む対象ではなかったからだ。その意味でまさに「家畜」だったのであり、農家の家族の一員だったのである。
 
 動物たちが自然環境の中で自由に暮らしていられるということは、人間にとっても幸せだった。彼らは野原をあちこち歩き回ることによって、土の中のさまざまな細菌にふれる。そうした中でおのずと病原菌に対する免疫体質ができあがる。そのため病気らしい病気もせず、健康で丈夫だったからだ。
 また動物たちは動き回りながら、食欲のそそられるままに、自然が作りあげているいろいろなものを食べた。この運動と多様な栄養素のおかげで、今日の大量生産物とは中身のまったく違う、健全で上質な食べ物を生み出してくれていたのである。それはたとえば、放し飼いの鶏の肉と、養鶏場で育つブロイラーの肉を食べ比べてみればいい。放し飼いの鶏の方が、風味も栄養価もはるかに優れていることがわかるだろう。
 ところが今日では、動物たちを田園から切り離し、工場に閉じ込めて大量生産する。太陽の当たらない、ほこりっぽい倉庫のような場所で、朝から晩まで薬漬けで食っちゃ寝の生活を押しつけられ、ぶくぶくに太らされて食肉工場送りにされるのだ。ただひとえに肉を生産する人工マシーンに改造されてしまった。
 生産者が目指しているのは、動物とともに生きる喜びではなく、要するに利益である。そのために、動物たちは効率よく金が儲かる存在でなければならないのである。

 肉食が飢えを招く   [TOP]

 現代の畜産は、昔とは一変して穀物から食肉を製造する加工業になってしまった。食肉は、いわば穀物を濃縮パックした工業製品なのだ。では、その工業製品を作るのにどのくらいの穀物を使っているのだろうか。これが、とんでもない量にのぼるのだ。世界の穀物生産量は、年間約17億トンだが、なんと、そのうちの半分に近い、8億トン以上が飼料として消費されているのである。
  わかりやすい数字で示すと、食肉1キログラムの生産に要する穀物量は、ブロイラーで2キログラム、豚で4キログラム、牛にいたっては8キログラムになるという。牛の場合、出荷されて食用になる500キロの体重にするまで、1200キログラムの穀物を食べさせなければならないのだ。

 世界の人口は、およそ60億人という。穀物の総生産量は年間17億トンだから、一人あたり1年に280キログラムの穀物が世界中の人に分けられることになる。この量は、栄養を維持するのに十分ではないにしても、けっして少ない量ではない。
 なのに、世界の多くの国の人間が飢えにさらされ、栄養失調で苦しんでいる。それは、なぜなのか。答えは簡単である。穀物の分配がうまくいっていないからだ。
 たとえばアメリカでは、1人あたり年間1万トン以上穀物を消費している。一方、栄養状態が悪い国が多いアフリカを見ると、一人あたり200キログラム程度である。もっとひどい国では、1人あたり100グラムにも満たない。穀物分配のアンバランスがよくわかる。この分配の不均等には、ひとえに先進国と発展途上国との経済格差、いわゆる南北問題が大きく関与している。
 しかもアメリカは、1万トン以上の穀物のうち80パーセントは、穀物で飼育された家畜を食べて、つまり食肉という形で消費している。これは、アメリカほど際だっていないにせよ、先進国に共通の現象である。この食肉志向が、世界の飢餓に拍車をかけているのだ。本来、回ってくるべき穀物が、食肉を作るために使われて回ってこないわけだから、経済力の乏しい国は、いつまでたっても食糧難を解消できず、飢えるのは当たり前である。
 肉を食えば食うほど、富める国はますます富み、飢える国はますます飢えていく仕組みになっているといっていい。人間が直接食べられる穀物を家畜に与えて肉に変えることが、世界の飢えを生み出す大きな要因となっているのだ。

 現在、世界の30カ国で5億の人間が飢えに苦しんでいる。その飢えた人間を救うには年間2700万トンの穀物を供給してやればいいという。食肉の生産に使われる世界の穀物の30パーセントだ。それを人間の食用に回すことができれば、世界から飢餓はなくなる計算になる。もちろん、事はそう簡単には進まないだろう。しかし、今、我々が肉を食べるということが、途上国の飢餓という最も根源的な問題を引き起こしている現実を、しっかりとみつめる必要があるのではないか。

 肉食化する中国の脅威   [TOP]

 現在13億人の人口を抱える中国は、年間1500万人ずつ人口が増えている。
 この人口増加とともに脅威となっているのが、急速に進んでいる食生活における肉食化である。中国のGDP(国内総生産)はここ数年、10パーセント台の伸び率を続けており、経済成長にともなって食肉の消費がどんどん拡大しているのだ。
 経済が成長して所得が増え、家計にゆとりができれば、まず生活の根本である食事に豊かさを求める。穀物を中心にしていた食事から、卵、鶏肉が増え、やがて豚肉、牛肉へと、食事の内容がステップアップしていく。この変化は人間の自然な食願望であり、人類の歴史も一様にそうだった。日本の戦後、とりわけ60年代高度成長期以降の日本人の食生活も、大きな外的作用があったにせよ、同じである。

 中国の肉食化による穀物消費量の増大を如実に示しているのが、1994年以降の穀物の輸入だ。それまでは中国は世界有数の穀物輸出国だった。穀物を自給できる体制にあり、なかおつ海外に輸出できる大量の余剰生産物があった。ところが、食肉生産に使われる穀物の量がみるみるうなぎのぼりに増えていき、国内の生産量では間に合わないようになった。そのため、穀物の輸出を全面的に禁止しなければならなくなり、それどころか、穀物の輸入国に転じなければならなくなったのである。今や中国は巨大な穀物輸入国となっている。

 枯渇の危機にある水資源   [TOP]

 地球上には、130兆の1万倍にあたる130京トンの水があると推定されているが、その97パーセントが海水である。淡水はわずか3パーセントにすぎず、しかも、その大部分は南極や北極の氷として存在している。人間が利用できる水資源というのはごく少なく、地球上の水の0.01パーセントしかないと言われている。
 水は、豊富な地域とそうでない地域の差が激しい資源の一つである。水資源の分布は、季節的にも地理的にも地域によって大きな相違があり、最も必要とする時と場所に必ずしも供給されない。したがって慢性的な水不足におちいっている国も少なくない。
 国連では、2025年には世界人口の3分の2が水不足という問題に直面すると予測しており、また、アメリカのスタンフォード大学の調査によると、人間が水資源を今のペースで使っていくと、2020年頃には枯渇し、世界全体の生態系が重大な危機に直面するという。
 水資源の利用量は、人口が増えだした1950年代以降に急激に上昇しているが、なかでも農業の分野で著しい。人口が増えると、主食である穀物を増産することが必要になる。そこで農業用水の使用量も増加したわけだが、現在、世界の農業用水の使用量は、50年前に比べて3倍に増えているという。

 アメリカが世界に誇る穀物生産国になったのは、ひとえに地下水のおかげである。アメリカの穀倉地帯として知られるグレートプレーンズ(大平原地帯)は、年間降雨量が日本と比べて4分の1も少ない乾燥地に広がっている。にもかかわらず、トウモロコシやコーリャン、小麦など、全米の大半の穀物を生産して収益を上げてきた。これはロッキー山脈の雪解け水が何千年もの間蓄えてきた巨大な地下水脈に支えられているからだ。

 しかし、このまま穀物の生産を維持するのはむずかしいといわれている。というのも、(ここの)オガララ帯水層は雨水の補充がきかない化石帯水層だからだ。
 2020年頃には完全に枯れてしまうことが予想されるのだ。その兆候はすでに始まっており、テキサス州の一部の地域では井戸が枯れかかって雨水頼みになりつつある。
 地下水の枯渇は灌漑農地面積を減少させ、穀物の生産量を低下させる。テキサス州では、この10年の間に穀物生産高が11パーセントに落ち込んだ。オガララ帯水層が枯渇するということは、アメリカ農業に大きな打撃を与えるだけでなく、世界の穀物輸入国にも深刻な影響をおよぼすのだ。そして、この地下水の枯渇現象は、アメリカのほかの農地でも発生しており、世界中が穀物不足に見舞われるという事態が間近に迫っていることを示唆しているのである。
 地球の温暖化も農業環境をおびやかしている。 
 小麦とトウモロコシは、気温が2度上がると収穫量は3分の1に落ちるという。

 しのびよる気象パニック   [TOP]

 (エルニーニョ現象によって、82年、85年、88年、91年、93年、95年、97年、99年に、アメリカの穀倉地帯が大きな被害を受けた内容が列記されていますが、ここでは割愛します――なわ・ふみひと)

 もし、アメリカの穀倉地帯が過去にない大規模な異常気象(熱波・旱魃)に襲われ、トウモロコシがほとんど全滅状態になったとしよう。三大穀物は、シカゴにある取引所の相場が国際取引価格の目安になっている。その穀物相場が、まず天井知らずの大暴騰を続ける。アメリカ政府は穀物の高値を武器に、世界の食糧支配を強化できるとニンマリすることだろう。一方、発展途上国では食糧の供給が途絶え、飢えた人たちが次々と死んでいく。
 日本はどうなるのか。日本は穀物輸入の大部分をアメリカに頼っており、トウモロコシの99パーセントはアメリカからの輸入である。途上国で餓死者がどんどん増えていくのをよそに、日本の商社が金にあかせて、アメリカが備蓄しているトウモロコシの買い漁りに奔走する。しかし、日本だけがアメリカのトウモロコシを独占することは許されない。世界中から非難を浴びることは目に見えているからだ。
 アメリカは、穀物の全面輸出禁止、あるいは輸出規制をするかもしれない。1973年にアメリカは、大豆が不作だったことから大豆の輸出を禁じ、日本でパニックが起きた。豆腐1丁50円だったのが150円にはねあがり、そのパニックが石油へと波及し、さらにトイレットペーパー騒ぎにまで発展したことはまだ記憶に新しい。いずれにせよ、日本は今までに経験したことのない大パニックにおちいることは間違いない。
 トウモロコシが供給されないということは、輸入トウモロコシを飼料にしている日本の畜産業が崩壊することである。それは同時に食肉の輸入もストップすることでもある、という覚悟をしておかなれければならない。異常気象が日常化した状況からいって、こうした危機に明日にでも直面する可能性は十分に考えられる。

 消えていく熱帯林   [TOP]

 今、世界の森林は激しいスピードで減少を続けており、深刻な状態にある。この10年間で実に1億5000万ヘクタールの熱帯林がなくなり、現在もなお毎年1600万ヘクタールが消失している。森林伐採と焼畑農業が主たる原因だが、牛や羊など家畜の放牧地への転換もまた大きな要因となっている。
 アメリカなど先進国における畜産はフィードロット方式が主流だが、世界全体でみると、放牧による飼育の方が多い。そして、そのほとんどがブラジル、ベネズエラ、などアマゾン川流域の中南米諸国に集中している。食肉を大量消費する先進国の企業が、これらの国で食肉増産のためにアマゾンの熱帯林を切り開いて家畜の放牧地に変えているからだ。今日、アマゾンの土地に約600万頭の牛が放牧されているという。この数は、中南米8カ国の総人口の30分の1に相当する。世界の熱帯林の半分をアマゾン地帯が占めている。そのうちの20パーセント(日本の総面積の3倍にあたる1100万ヘクタール)が、放牧地の開発ですでに失われている。

 この放牧地の開発は、中南米諸国によるアマゾンの商業利用計画が始まった1970年頃から急速に広がった。各国の政府がアマゾン地域への投資を奨励したため、先進国のアグリビジネスが牛の放牧場の建設を目的に、アマゾンの奥地にまで殺到した。土地の農民が所有する森林をわずかな金額で買収し、食肉生産のために熱帯林を切り倒していった。
 放牧地は、牛の群れに根こそぎ牧草を食べつくされ、養分や水分の枯渇、表土の流失を招いて、たちまちのうちに、種をまいても芽が出ないほど荒れ果ててしまう。そして、放牧に使えなくなると、その土地は打ち捨てられ、牧場主は次の放牧地を求めて、さらに熱帯林を切り開いていく。先進国の牛肉消費を支えるアグリビジネスの企てのもとに、こうした乱開発のパターンが繰り返され、アマゾンの熱帯林はどんどん減少していったのである。
 中南米の中でも熱帯林の3分の1を占めるブラジルでは、1970年から10年足らずの短期間に40パーセントもの森林が消えた。アメリカのワールドウォッチ研究所の報告によると、アマゾンで生産された牛肉からハンバーガー1個を作るのに、5平方メートルの森林が伐採されて放牧地に転換された計算になるという。
 アマゾンの森林には、さまざまな動植物が生存している。地球上に存在するとされる約100万種類の動植物、微生物など全生物種の5分の1が、ここに集まっているとみられる。もし、このまま森林破壊が進めば、今後25年間で動植物の約半数が絶滅の危機に瀕する恐れがあると言われている。
 また、熱帯林は、雨水を土から吸い上げ、葉から蒸発させて大気にもどすという雨水の循環作用を行なっている。熱帯林が少なくなれば、その地域の降雨量が減るわけで、旱魃や砂漠化をもたらす。南米の先住民の間では、「熱帯林が空を支えている。木を切り倒せば必ず天災が降りかかる」と、言い伝えられている。
 熱帯林は、人間に多大な恵みをさずけてくれる資源の宝庫なのであり、我々の日々の生活がいかに熱帯林に依存しているかを深く心にとめなければならない。今、残されている熱帯林が消滅してしまうとき、地球の生態系は完全に崩壊し、すべての動植物は地上から永遠に消えることになるだろう。もちろん、そのときは人類も同じ運命である。

 砂漠化する大地   [TOP]

 家畜の放牧による影響は森林だけにとどまらず、土地の砂漠化も招いている。
 現在、世界の放牧地面積は耕地面積の2倍にのぼり、そこでは13億2000万頭の牛と17億2000万頭の羊やヤギが飼われている。人口の増加と歩調を合わせるように家畜数も年々増加しており、食肉、牛乳、皮革、その他の畜産物に対する需要の高まりとともに世界各国で過放牧を引き起こしている。
 過放牧とは、放牧地で牧草の生産量が家畜による消費量に追いつけない状態をいう。過放牧になると、つねにエサ不足の牛たちは食欲を満たすために、あちこちの草地の牧草を食い荒らし、草の根まではぎ取ってしまう。すると地層がむき出しになって、土壌基盤が脆弱化し、風や雨に浸食されやすくなる。
 過去50年の間に、世界の放牧地の60パーセントが過放牧のために荒廃した。

 穀物メジャーの暗躍   [TOP]

 世界の穀物をほぼ独占的に扱っている存在として、「穀物メジャー」と呼ばれる巨大アグリビジネス(Agribusiness=農業関連企業)がある。アメリカに本拠地を置く10社程度の多国籍食糧商社で、カーギル、コンチネンタル、ブンゲ、ドレフェスなどが有名である。
 穀物メジャーは世界各国に集荷網、販売網を張りめぐらせて、農地から世界市場までを統合した流通組織を支配している。大豆、小麦、トウモロコシなど世界の農作物貿易量の70パーセントを扱い、また、アメリカの全穀物輸出量の80パーセント以上を扱っているという。世界の穀物のほとんどは、この一握りの企業によって牛耳られているのであり、その支配力は一国の食糧政策をも左右するほど強大なのである。
 それほど大きな影響力を持ちながら、しかし最近まで、その実態はよく知られていなかった。というのも、穀物メジャーはすべて同族会社であり、株式を公開していないため、年間取引額や利益、投資計画など経営内容がいっさい外部には明らかにされないからだ。徹底した秘密主義で、しかも少数の同族グループでがっちりと固められている。一種のマフィア的組織の感がある。

 食い物にされる途上国   [TOP]

 アグリビジネスは、 「発展途上国の土地と労働を使いながらその国の利益を守らず、先進国向けの換金作物を生産・販売して儲けている総合商社」と言い換えたほうが妥当だろう。途上国の農業発展を阻害しようとも、いかに利益を上げるかしか考えない。そのためにはなりふりかまわぬ手段をとる。そうした強硬な姿勢が非難されて、「本当はUglybusiness(醜悪な商売)ではないか」と陰口をたたかれているほどだ。
 現在、世界に5億人の飢餓人口が存在し、そのうちの1億5000万人がアフリカの住民と言われている。そして、そのアフリカを飢餓状態におとしいれている最大の要因の一つとしてあげられているのが食糧不足である。だが、食糧不足の原因は、アフリカの農業生産力の弱さだけではない。そこに、アグリビジネスの力が大きく働いているからだ。

 西アフリカのサヘル地域は飢饉の頻発で知られているが、1970年から74年にかけて記録的な大旱魃に見舞われ、1000万人が飢餓に直面した。ところが、そうした事態にかかわらず、農産物の輸出は輸入を上回った。70年から5年間に、サヘル諸国から輸出された農産物価格が、同じ時期に輸入された穀物価格の3倍にのぼっていた。国内が深刻な飢餓におちいっているのに、食糧が大量に輸出されるというのは不思議な話である。 実は、サヘルの「旱魃による飢え」が世界的に報道されて以来、飢餓難民に対する救援物資が、セネガルの首都ダカールの港に送られていた。ところが、救援物資が荷揚げされているその横で、本来国内に供給されるべき農畜産物が大量に船積みされていたのである。71年の1年間だけで、落花生、野菜、牛肉など6万トン以上が輸出され、それはサヘル諸国の全人口を1年間養うのに十分な量だったという。
 では、サヘルの国々から輸出された農産物はどこへ行ったのか。
 その6割はアメリカとヨーロッパに向けられ、残りの4割はアフリカ諸国の富裕階層の胃袋に消えた。そしてこの輸出で大儲けしたのが、かつて植民地支配をしていたフランスに代わって進出した、フランス資本のドレフェス社など数社のアグリビジネスだった。外資を稼ぎたいサヘル諸国政府の弱みにつけ込んで、貿易の密約を交わしたのである。
 巨大アグリビジネスは、アフリカの飢餓に追い討ちをかけ、その傷をいっそう深くさせている。主要な食糧の流れを思うままに操作し、アフリカ農業を取り巻く構造を植民地時代と少しも変えていない。彼らこそ、飢餓と飽食のはざまで利潤を追い求める現代企業帝国の犯罪的立て役者なのである。

 ゼロに等しい日本の穀物自給率   [TOP]

 日本の穀物自給率は著しく低い。1999年現在、24パーセントである。1960年の82パーセントから、信じがたいスピードで落ち込んできている。 
 日本の自給率24パーセントというのは、世界178カ国中130番目という位置である。
穀物自給率が日本より低い国をあげると、コスタリカ(21パーセント)、フィジー(10パーセント)、パプアニューギニア(2パーセント)などがあるが、日本はこうした途上国並みの水準にしかない。いわゆる先進国の中で最低の位置にあると言っていいだろう。
 カロリーベース(国民消費カロリーに対する国内生産カロリーの割合)も、わずか39パーセントで、この数字も、主要先進国の中で最低水準に位置している。カナダの152パーセント、フランスの139パーセント、アメリカの132パーセントは別格にしても、ドイツの97パーセント、イギリス、イタリアの77パーセント(いずれも98年実績)に比べ、どう考えても心もとない低さである。

 別な言い方をすれば、日本の総人口1億2000万人のうち、約7300万人分の食料は輸入でまかなっていることになる。米、麦、大豆などの穀物類(自給率24パーセント)に限ると、さらに上回り、9000万人を超える分を輸入に頼っていることになるのである。
 まさに日本の食料生産は弱体化をきわめ、自給率は危機状態にあることがわかる。そして残念ながら、この「自給率」について、さらにしっかりと認識しておかねばならないことがある。(中略)
 トウモロコシを例にとろう。トウモロコシは98パーセントが輸入で、自給率が2パーセントである。日本で消費しているトウモロコシの2パーセントは国内の畑で生産しているわけだ。しかし、そのトウモロコシの種は、パテントを持つアメリカの穀物メジャーから買っているものなのだ。
 それは、フォーミュラーワン(F1)というハイブリッド(一代雑種)の種である。「ハイブリッド」は、人間に例えれば、人種の違う両親を持つハーフのような優れた性質を持つ。が、そこに大きな落とし穴がある。それは、名前の示すとおり、一代しかその性質が維持できないからだ。1年目の収穫がよかったからといって、その年に採った種を翌年に使うことができないのだ。したがって、F1の種を使ってトウモロコシを作り続けるためには、毎年新たにその種を買い続けなければならない。しかし、生育には決められた肥料や農薬を使う必要があるため、それも毎年買い続けなければならない。つまり、日本で消費されているトウモロコシの2パーセントは、たしかに国内で生産されてはいるが、穀物メジャーの支配下に百パーセント置かれているのだ。トウモロコシの自給率は、厳密にいえば0パーセントということになるのである。
 このことは他の穀物にも言える。大豆や小麦の国内生産も、穀物メジャーから買い入れた一代雑種の種を使っているものが多いのだ。こうなると、「穀物自給率24パーセント」という数字もかなり怪しくなってくる。世界的有事など何らかの理由で穀物メジャーから種が入らなくなったとき、日本の穀物自給率そしてカロリーベースは、いったいどんな数字が示されるのだろうか。

 捨て去られた米の文化   [TOP]

 家畜のエサである飼料穀物となると、自給率はゼロに等しい。国内消費のほぼ全量がアメリカから輸入される。その飼料用穀物の増大もまた、米食から小麦食に転換されたことによってもたらされた。60年の飼料用穀物の国内消費量は590万トンだったのが、98年には1600万トンと約3倍になっている。パンや麺類のおかずには、米食にそえていた魚や味噌汁が合わず、必然的に肉や乳製品を食べるようになる。そして、その肉類を生産するために、飼料用穀物の需要が増え、大量に輸入されるようになったわけである。小麦食が日常化した65年からの30年間に、肉の消費量は12倍にのぼっている。したがって、小麦消費量の増大は肉の消費量の増大を促し、それがさらに飼料用穀物の需要を増やすという仕組みを生み出しているのである。
 アメリカは戦後の一時期、占領国日本に無償で小麦を提供した。そして、その“貸し”を利用して日本古来の米食を西洋型の小麦食に切り替えさせることに成功した。その結果、アメリカは小麦ばかりでなく、小麦食にともなう肉類や乳製品に加え、それらを生産するために必要な飼料用穀物の市場までも手にすることができたのである。

 一方、小麦に市場を奪われた米は急速に衰退する。自給率こそ100パーセント前後を保ってきているが、むろん、これは米の消費量が減ったからだ。年間1人あたりの消費量は、60年の110キロから98年には67キロとなり、40パーセントも減少している。
 当然のことながら、水田面積も減少していく。戦後、戦争で縮小されていた水田面積は徐々に回復し、60年代には330万ヘクタールと史上最大規模に達した。ところが、小麦食の普及で米余りが生じたことから71年に減反が実施されると、以後、激しい勢いで減少していくことになる。そして現在は210万ヘクタールと、60年の約60パーセントに縮小されている。

 食糧自給でよく日本と比較されるのがイギリスである。似たような気候風土の島国であることや、一時期、植民地政策で繁栄を築いたことで共通点が多い。
 イギリスは、第二次世界大戦で戦勝国となりながらも、戦争の代償は大きかった。ドイツの攻撃によって国内の農業は壊滅状態となり、しばらくの間はアメリカからの援助にすがるしかないほど食糧難におちいった。だが、その後が日本と違った。時刻で食糧をまかなうための食糧・農業政策に取り組んだのだ。農作物価格の保証や、生産条件の悪い土地の経済支援など、農業を活性化させるための施策を進め、自給率の向上に力を入れた。その努力が実を結び、70年には穀物自給率を60パーセントに押し上げ、みごとな立ち直りを見せた。そして今日では、自給率116パーセントという数字を達成するまでになっている。
 食糧自給率の向上はその国の義務であり、世界の常識である。そこからはずれてしまっている国は、先進国では日本しかない。アメリカの策略にうまくはめられた日本は、そのままズルズルと食糧輸入国に甘んじてきた。そして食糧の自給などまったくかえりみず、さらには、古来から伝わる日本独自の食文化と伝統をも捨て去ってきたのである。

 肉食が生活習慣病を増やしていく   [TOP]

 戦後日本では、GHQ(連合司令部)の思惑と、アメリカ風の生活を進歩と見る風潮が重なり合って、食生活の改善(改悪)が奨励されてきた。米を主食とする日本の伝統食は、欧米の食事に比べて栄養的に問題があるとされ、また欧米人並みの体位への向上を図るために動物性タンパク質を多く摂る食生活のスタイルが植えつけられていった。
 そのため、肉や卵、牛乳、バターといった高タンパク質食品が急速に普及していく。なかでも肉の消費量は、驚異的な勢いで増加していくことになる。1955年の年間消費量は20万トン足らずだったのが、小麦食が定着した65年には100万トンに達し、その後も消費を伸ばし、2002年現在では560万トンにのぼっている。50年の間になんと30倍にも増えたのである。

 肉はたしかにうまい。そのうま味が、まず好まれるのだろう。肉がうまいのは、そこに脂肪が含まれているからだ。だが、この脂肪がくせものなのだ。肉の主成分はタンパク質と脂肪だが、分子構造上、高分子のタンパク質は味がなく、低分子の脂肪は味があるのでうまく感じる。牛肉でも豚肉でも、ロースのほうがモモ肉よりもうまいのは脂肪が多いからである。(中略)肉を食べる際には、うま味のある脂肪の多い肉を、つい選ぶようになる。するとタンパク質よりはるかに多く脂肪を摂取してしまう。
 脂肪は、植物性と動物性に分けられる。植物性には、必須脂肪酸であるリノール酸が多く含まれ、体内のコレステロールを下げる働きを持つ。コレステロールはご存知のように、血管内にたまって動脈硬化の原因となる物質である。動物性には飽和脂肪酸が多く、コレステロールを体内に蓄積しやすい。
 動物性脂肪を摂りすぎると、コレステロールの蓄積によって動脈硬化性疾患を引き起こし、心疾患や高血圧症、糖尿病、脳血管障害などの生活習慣病にかかることが、すでに指摘されている。アメリカ公衆衛生局の報告によると、アメリカ国内の病気による死亡者の70パーセントが動物性脂肪の過剰摂取が要因と思われる生活習慣病で死亡しているという。

 食肉消費国の欧米では、こうした動物性脂肪の摂取過多による慢性病が大きな社会問題になっているが、さらに最近増加しているのが、ガンの発生である。ガンの発生は、もちろん脂肪の摂りすぎも関係しているが、動物性タンパク質も、また大きな要因となっている。タンパク質が体内に多くなると、トリプトファンという必須アミノ酸が腸内の細菌によって分解され、発ガン物質あるいはこれを生成する物質が促進されるからだという。
 近年、アメリカでは肥満や生活習慣病を防ぐために、脂肪の少ない赤身の肉を食べる女性が多い。しかし、赤身の牛肉を毎日食べている女性は、肉を全く食べないか食べても少量の女性に比べ、大腸ガンにかかる確率が2.5倍も高かった。動物性タンパク質とガンの関連性を調べた調査では乳ガンの発生率も多かったという。また、肉の中に含まれる多量の鉄分も発ガンを促進するといわれる。つまり脂肪の多い少ないにかかわらず、肉食自体がさまざまな病気を引き起こす原因になりうるということなのである。

 日本でも、肉食の増加にともなって生活習慣病が確実に増えてきており、ガンの発生も多くなっている。それまで日本人にはほとんど見られなかった大腸ガン、乳ガン、前立腺ガンなど、食肉消費国の欧米に多いガンが顕著な増加をしている。たとえば、大腸ガンによる死亡率は、まだ肉食の習慣がなかった1944年には、10万人にわずか2人だった。当時、アメリカでは10万人に16人と日本の8倍におよんでいた。その後、日本での大腸ガンによる死亡は68年に4人、88年には12人にのぼり、そして2000年には30人と、50年でほぼ15倍に増えているのである。
 アメリカやイギリスなど食肉消費国40カ国を対象に、統計調査が行なわれたことがある。その結果、肉食による脂肪とタンパク質の摂取は、いずれの国でも動脈硬化にともなう心臓疾患、大腸ガン、乳ガン、子宮ガンなどと強い相関関係があることが示された。そして、とくにガンにおいて、米、大豆、トウモロコシなどの穀物は、その発生を抑制する働きを持つことも明らかになったという。
 また、カナダの専門家による調査報告では、食肉(特に牛肉)が、ガンの発生、進行を促すことは否定できないとし、野菜や繊維質食品を多く摂取する食生活に変えなければ、ますます病気が増えていくおそれがあると警告している。

 子供の健康を害する学校給食   [TOP]

 戦後、肉食を中心とした欧米風の食生活の推奨によって、日本人の体格はどんどん向上した。体が一回りも二回りも大きくなっただけでなく、脚もすらりと長くなり、スタイリッシュな体型に変わった。
 が、その一方で、ゆゆしき問題が持ち上がっているのだ。それは最近、子供たちの間にも、生活習慣病が急速に増えていることである。東京女子医大が首都圏の小、中、高校生を対象に調査した結果、20人に1人が動脈硬化や高血圧の傾向にあることがわかったという。 
 子供の生活習慣病の増加には、学校給食が大いに関係しているといっていい。
 現在の学校給食には、大きく言って2つの問題がある。1つは、肉や卵、乳製品を重視した献立である。子供の発育には動物性タンパク質の摂取が不可欠であるという栄養観に立っているから、どうしても献立の食材は動物性食品に偏ってしまう。
 もう1つの問題点は、子供に動物性食品偏重の栄養知識を植えつけてしまうことだ。学校という教育環境の中で出される食事だから、頭から肉や卵、乳製品が健康に最も大事な栄養源だと信じ込んでしまう。その栄養観が家庭に持ち込まれ、つねに動物性食品がメインの食事を摂るようになる。次第にコレステロールなどの有害物質が蓄積されていき、高血圧や動脈硬化を引き起こしていく。

 今、日本人の平均寿命は、男性が77.9歳、女性84.7歳で、世界一の長寿国である。これはうれしいことだが、この長生きを現代の子供たちに求めるのは無理だろう。
 人間の健康維持能力の基礎は、だいたい15歳から20歳くらいまでの間に形成される。日本人の寿命の長さを支えているともいえるお年寄りの人たちは、明治、大正、そして昭和初期に生まれた人たちである。この人たちは、戦前、戦後を通じて、粗食とはいえ欧米化されない日本伝統の食習慣を持って生きてきた。つまり、生命力の基本を作る青春期を、日本古来の食文化の中で育ってきた人たちなのである。現代の子供たちを取り巻く食環境は、この人たちと正反対のところにある。飽食と動物性食品の食事にどっぷりとつかってしまっている子供たちは、だから短命に終わる可能性が高い。成人に達する頃にはさまざまな病気に苦しむことになるのではないか。

 世界に広がる日本の伝統食   [TOP]

 食生活の欧米化が推奨され、動物性食品を多く摂るようになって、日本人はさまざまな疾患に悩まされることになったわけだが、一方で、今、アメリカでは皮肉な現象が起こっている。日本食ブームである。
 アメリカの多くの大都市で寿司バーが続々とオープンし、スーパーでもパック入りの寿司が売り出され、テイクアウト食品として人気を集めてきている。また、豆腐やそば、そしてこれまではほとんど見向きもされなかった梅干し、納豆なども流行しだしているのだ。ハリウッドのある有名なレストランでは、カボチャや大根、ヒジキなどの煮物料理が、スターたちの間で好評を得ているという。
 食肉の日常的摂取が健康に悪いという知識が、アメリカ国民の間に広まってきている証左といえるが、この日本食ブームは、アメリカ政府が1977年に発表した「理想的な食事目標」がきっかけである。通称「マクガバン・レポート」といわれるもので、アメリカ国民の動物性食品の摂取が危機的過剰レベルにあるとして、摂取量の抑制基準を作成、国民に報告して食生活の改善を呼びかけたのだ。
 その内容は、戦後、西洋化する前の日本人の食事における栄養摂取と非常によく似ている。何のことはない。日本の伝統食を参考にしたものなのである。日本人にさんざん肉を食わせておきながら、日本食を「理想の食事」とは、何とも無節操な、日本を小馬鹿にした話である。

 ところが「マクガバン・レポート」を発表した後も、アメリカ国民の肉類の過剰摂取になかなか歯止めがかからない。年々、心臓病やガンなどの生活習慣病の発生が増加、死亡者が多くなっていく一方だった。国民は健康に不安感を強く募らせるようになり、肉食を中心とする食生活を改める動きが広がっていった。 
 最近、アメリカだけでなく、ヨーロッパ諸国でも肉類の過剰摂取の問題が注目され始め、日本食を採り入れることで、その量を抑える動きが見られる。ドイツやフランスでは、米と野菜の雑炊や豆腐ステーキ、豆腐サラダといった豆腐料理などが、すでにポピュラーになっている。肉食過多に対する見直し、そして低脂肪、低カロリーの日本の伝統食の普及は、今後、世界的な流れになっていくのではないか。

 日本の伝統食とは、一般的に、米を主食とし、その副食としてその土地で産する豆、野菜、魚、海草などを取り合わせた食事とされている。たしかに、猪、鹿、ウサギ、野鳥のほか、鶏や豚、農耕用に使えなくなった牛馬なども食べられていた。しかし、それらの肉を食べることを「薬食い」と言っていたことからみると、肉食は、通常の食生活におけるタンパク質源としてではなく、病気やハレ(祭りや祝い事)の日など、何か特別なときに口にするものだったのではないかと思われる。
 日本では古来から肉食はタブーとされてきて、その背景には殺生を罪とする仏教観があったからだ。天武天皇が肉食禁止令を出して7世紀より19世紀(江戸末期)までの間、公的には肉食は禁じられていた。ただし、魚肉は例外で、魚の殺生は許されていた。海に囲まれた日本は昔から魚を日常的な糧としてきたため、おそらく魚肉までは禁止することをしなかったのだろう。 
 こうしたことから、日本は米を基本に植物性食品を主体とする食事を何世代にもわたって守ってきたのであり、その食事が「日本の伝統食」であると理解できるのではないだろうか。

 肉食は人類を破滅に導く   [TOP]

 欧米諸国になぜ肉食文化が生まれたのか。それは、端的に言えば風土と思想に起因する。つまり、ヨーロッパは農業に依存できない気候風土であるために、必然的に肉食が中心の生活にならざるを得なかったのである。
 また、彼らの肉食には、キリスト教的世界、あるいはそれ以前のユダヤ教的世界の思想が背景にある。「すべての動物は人間が利用するために作られたものであり、神は家畜や鳥、魚、すべての地球上の生き物を人間が食べるように用意してくれた」という『旧約聖書』の教義である。旧約聖書は、すべての生き物は人間のためにあり、自然は人間が征服するべきものと説く。この自然観は、我々日本人(東洋人)にはとても理解しがたい。 
 地球上には、多種多様な動植物が複雑にからみあった生態系を形成して生きている。植物は太陽エネルギーを受けて無機物を有機物に変え、動物のエサとなる。動物は、さらに上位の食性順位にある大型の動物に捕食される。このように自然界では、食を通して相互に依存し合うシステムが機能している。
 人間が食肉とする牛や豚、羊などの動物は、人間と同じ哺乳動物である。したがって、彼らは自然界にあって、食性順位が人間にきわめて近しい地位にあるといえる。その人間と生物学的に近親で、ある種、同族に近い動物を食するということは、カニバリズムに接近することであり、非常に危険な行為なのである。 
 ところが、「肉食動物」となった人間はこのタブーを犯し、人類を破滅の方向へと向かわせていると言えるのだ。現在、世界において、一方で肉の飽食が問題に上がり、他方で飢えで苦しむ人たちが多数いる状況の中にあって、なおのこと肉食から離れるべきなのである。

 日本の食文化を守っていく   [TOP]

 人間は、その土地の歴史に育まれた固有の食物を柱に、それぞれの食文化を形成してきた。食物に調理の工夫をこらし、味を深め、個性豊かなものにして生活の糧としてきた。人間が食を選ぶのではなく、住みついた土地の自然がもたらす食物を巧みに活用してきたのであり、食生活は、土地や風土を抜きにして考えることはできないのである。
 たとえ、さまざまな食品の流通が盛んになったとしても、食の地域性は尊重されてしかるべきである。我々が日常、物を食べるのは、空腹を満たす生理的栄養の摂取のためだけではなく、精神的、文化的滋養の充足もまた求めているからである。
 しかし、現代の日本はそれから遠く離れてしまった。悲しいことに、米を食べると頭が悪くなるとか、肉を食べると元気になるとか言いくるめられ、欧米文化に劣等感を抱きながら「西洋化が食生活の近代化であり高級化である」という考え方に洗脳されてしまった。そして、この考え方が伝統的な食の軽視、ひいては国内の食糧生産の衰退や、農地の荒廃を招くことになってしまった。
 こうした発想は、敗戦直後の食糧難や栄養不足におちいっていた頃には、それなりに意味と合理性があった。だが、狂牛病を始め、さまざまな食肉汚染問題が深刻の度を増している現在、肉食中心の食生活から脱却する食の転換が必要なのではないか。
 それぞれの民族はその風土で育ち、これからも生活を続けていく。それが宿命でもある。ならば、生活の基礎となる食は、その民族、国の自然環境に一番ふさわしい生産性を軸にしてつくり出していくべきだろう。
 肉食生活に終止符を打ち、古来からの伝統食の原点に立ち返る。それが、真の食生活の向上と未来の活力を生むのであり、そのための知恵が、今、我々に求められているのではなかろうか。
 
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