水野 南北
『日本霊能者伝』より
中矢 伸一・著 廣済堂文庫 1994年刊 
★ なわ・ふみひとの推薦文 ★ 
 観相家としても知られる水野南北ですが、その食に関する造詣の深さには驚かされます。しかも、そのすべてが自らの体験に基づくものだけに大変説得力があります。幕末の名医として知られる石塚左玄にも影響を与えたと言われている人物です。南北の教えで特徴的なのは「食べ物が人の運命に影響する」という点です。なぜそのような考えに至ったのかといういきさつは本文中に詳しく触れてあります。
 今日、わが国ではグルメブームということで、テレビでも食べ物を題材として美食を推奨するような番組が増えていますが、私たち日本国民の運勢がどんどん悪化の方向をたどっているように思えてなりません。こんな世の中だからこそ、水野南北の教えを謙虚に受け止めたいものです。

 「人の運は食にあり」と啓示される

 江戸時代中期の頃に生きた水野南北は、日本一の観相家といわれ、「節食開運説」を唱えた人物である。いわゆる霊能者と呼ばれる類ではないが、その人物史を見てみると、霊妙不可思議な出来事に何度も遭遇している。
 まだ幼児の時に両親を失って孤児となり、鍛冶屋をしていた叔父に引き取られるが、性格はすさみ、10歳の頃から飲酒を始め、喧嘩ばかりしていたという。そして18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、入牢するに至っている。
 だが、牢内での生活を通じて南北は、人相について興味深い事実を発見する。罪人として牢の中にいる人の相と、普通に娑婆生活を送っている人の相の間に、明らかな違いがあることに気づくのである。これがきっかけとなり、南北は観相家というものに関心を持つようになった。
 出牢後、南北はさっそく、当時大阪で名高かった人相見を訪れ、自分の相を見てもらった。するとなんと、「剣難の相であと1年の命」と宣告されてしまった。愕然とした南北が、助かる方法はあるかと問うたところ、その唯一の方法は出家であると言われた。
 南北は天下稀に見るほどの悪相・凶相の持ち主だったのである。
 そこで禅寺を訪れて入門を請うが、住職は南北の悪人面を見、断ろうと思い、「向こう1年間、麦と大豆だけの食事を続けることができたなら、入門を許そう」と告げた。
 助かりたい一心の南北は、この条件を忠実に実行に移す。港湾労働者として従事しながら、1年間、麦と大豆だけの食事を実践するのである。
 こうして1年が経過し、約束通りのことを実行した南北は、禅寺の住職のところへ行く途中に、再び例の人相見を訪ねてみた。と、この人相見、南北の顔を見るなり驚いて、「あれほどの剣難の相が消えている。貴方は人の命を救うような、何か大きな功徳を積んだに違いない」と言った。南北が、食事を変えて1年間貫き通したことを話したところ、それが陰徳を積んだことになって、彼の凶相を変えてしまった、というのである。
 これで禅寺に行く必要のなくなった南北は、自分も観相家の道を志そうと決意し、諸国遍歴の旅に出た。水野南北、21歳の時である。

 南北はまず髪床屋の弟子となって、3年間人相を研究し、続いて風呂屋の手伝いをして、やはり3年間、全身の相について研鑽を深め、さらに火葬場の作業員となって、ここでもまた3年間、死人の骨格や体格などを詳しく調べ、人の運命との関連について研究を重ねたという。
 この修業時代に南北は、相学の淵源は仙術にありとの思いから、仙師を求めて深山幽谷に分け入ったりしている。そして25歳の時、奥州の金華山山中でようやく求める仙人と出会うことが叶い、100日間に及んで相法の奥義を伝授されているのだ。
 この仙師は、「これすなわち相法の奥秘にして寿を保つの法なり。たとえ俗人といえどもこの法を行なう時は寿命百歳に至りなお天気に至ること自らやすし」と教えたという。
 仙道には、食について厳格な規則がある。その理想とするところは、不老不死である。相法の奥義も、病まず弱らない体のまま長寿を全うすることにあるとすれば、「運命(長寿)」と「食」とを関連づける両者の接点は大いにあると考えられる。
 さらに南北は後年、そのことを確信させる神秘な体験をしている。
 おそらく50歳頃のことであったと思われるが、彼が伊勢神宮へ赴き、五十鈴川で21日間の断食と水ごりの行を行なった際、豊受大神の祀られている外宮で、「人の運は食にあり」との啓示を受けるのである。
 豊受大神は、五穀をはじめとする一切の食物の神で、天照大神の食事を司ると言われる。
 南北は、「我れ衆人のために食を節す」という決意のもとに、生涯粗食を貫いた。その食事の内容とは、主食は麦飯で、副食は一汁一菜であった。米は一切口にせず、餅さえも食べなかった。また若い頃はあれだけ好きだった酒も、1日1合と決めて、けっしてそれ以上は飲まなかったという。
 このような食生活を、盆も正月もなく続けたのである。南北はひどい凶相で、短命の相の持ち主であり、長生きしたり成功する相などは持ち合わせていなかった。しかし、食を慎んだことで運が開け、健康のまま78歳まで生き、大きな財を成したのである。
 水野南北による「幸運を招来する法」とは、一言で言えば食の節制である。次にその要点を現代語訳したものの一部を挙げてみる。(佐伯マオ著・徳間書店刊『偉人・天才たちの食卓』所収)

● 食事の量が少ない者は、人相が不吉な相であっても、運勢は吉で、それなりに恵まれた人生を送り、早死にしない。特に晩年は吉。

● 食事が常に適量を超えている者は、人相学上からみると吉相であっても、物事が調いにくい。手がもつれたり、生涯心労が絶えないなどして、晩年は凶。

● 常に大食・暴食の者は、たとえ人相は良くても運勢は一定しない。もしその人が貧乏であればますます困窮し、財産家であっても家を傾ける。大食・暴飲して人相も凶であれば、死後入るべき棺もないほど落ちぶれる。

● 常に身のほど以上の美食をしている者は、たとえ人相が吉であっても運勢は凶。美食を慎まなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まして貧乏人で美食する者は、働いても働いても楽にならず、一生苦労する。

● 常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしている者は、人相が貧相であっても、いずれは財産を形成して長寿を得、晩年は楽になる。

● 食事時間が不規則な者は、吉相でも凶。

● 少食の者には死病の苦しみや長患いがない。

● 怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しない者には成功はない。成功・発展しようと思うならば、自分が望むところの一業をきわめて、毎日の食事を厳重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに変える時には自然に成功するであろう。食を楽しむというような根性では成功は望めない。

● 人格は飲食の慎みによって決まる。

● 酒肉を多く食べて太っている者は、生涯出世栄達なし。


 また南北は、「運が悪くて難儀ばかりしているが、神に祈れば運が開くでしょうか」という質問に対して、こう答えている。

 真心をこめて祈らなければ、神は感知してくれない。真心をもって祈るとは、自分の命を神に献じることである。そして食は、自分の命を養う基本である。これを神に献じるということは、自分の命を献じるのと同じことである。
 どうするかというと、いつもご飯を3膳食べる人なら、2膳だけにしておいて、1膳を神に献じる。といっても本当に1膳分を神棚なら神棚にお供えする必要はなく、心の中で念じればよい。自分が祈りを捧げたい神仏を思い浮かべて、その神仏に向かって『3膳の食のうち1膳を捧げ奉ります』という。そうして自分で2膳を食べると、その1膳は神仏が受け取ってくれる。
 そうすれば、どんな願いごとでも叶えられる。小さい願いごとなら1年で、普通の願いごとなら3年、そして大望は10年で叶うのである。


 また、食の面以外にも、強運をもたらす秘訣として――、

● 毎朝、昇る太陽を拝む。
● 朝は早く起床し、夜は早めに就寝する。
● 夜に仕事をすることは大凶。
● 衣服や住まいも贅沢すぎるものは大凶。
● 倹約は吉であるが、ケチは凶。


 ――などといったことも挙げられている。
 南北の説いたこのような観相学の要諦は、岡本天明が書記した「日月神示」に示された開運の法とも酷似しているのである。

こちらも参考になります。 → 人類を救う霊性と食の秘密
 
 
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