エンデの遺言
「根源からお金を問うこと」
河邑厚徳+グループ現代  NHK出版

 利子が利子を生むお金の錬金術

 紙幣発行が何をもたらしたのか? 一つの実例が、ビンズヴァンガーの著書に出ています。たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の1匹まで採り尽くされてしまいました。
 どうしてそうなったかというと、ある日、紙幣が導入されたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるをえませんでした。そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。
 競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が1匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。これは一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります。


 エンデは悪魔的な原理について語ったことがあります。それは人間のもつ霊性を否定して、人間とはあくまでも物質からできていると説き伏せる原理だというのです。人間の苦悩はつねに、一方では精神的存在であり、一方では物質的存在であることに起因しており、この緊張関係が絶え間ない苦悩をもたらします。苦悩は人間が霊性をもつ証なのです。
 しかし、悪魔はいつの時代も人間に「すべて忘れておしまい。もう悩み苦しまなくてもいいんだよ。苦しむのはよそう。現世から自分を解放しよう」と呼びかけます。すべてが物質的な存在だとすれば、人には苦悩も歓喜もないわけですから。
 エンデは、経済は人が生活を営むための社会的行為である以上、そこには善悪やモラルの規範が含まれるべきである、と考えていました。しかし、現実の経済活動はそうはなっていません。わかりやすい例として、経済活動の前提条件であるはずの自然資源を破壊してしまう経済システムの矛盾に、エンデは目を向けます。

 私が読んだあらゆる経済理論も、原料はそれが作業過程に入って初めて経済的要因とみなされます。換言すると、地中に眠る原油はまだ経済的要因とみなされないわけです。熱帯雨林は、それだけではまだ経済的要因ではありません。伐採され、製材されて初めて経済的要因となります。
 ここで問われるべきは、私たちはあたかも短期的利潤のために、おのれの畑を荒らし、土壌を不毛にしている農夫と同じことをしているのではないかということです。私たちは世界の自然資源が、資源の段階ですでに経済的要因であり、養い育てられなくてはならないことを学ばなくてはなりません。
 現在大きな利を得ているのは、非良心的な行動をする人たちで、件の農夫のように短期的利潤のために、上地を破壊するような行動が利を得るのです。4年に1度は畑を休ませ、化学肥料を使わず、自然の水利を使ってという責任感の強い農夫は経済的に不利になるのです。つまり、
非良心的な行動が褒美を受け、良心的に行動すると経済的に破滅するのがいまの経済システムです
 この経済システムは、それ自体が非倫理的です。私の考えでは、その原因は今日の貨幣、つまり好きなだけ増やすことができる紙幣がいまだに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯誤にあります。これはとうの昔にそうでなくなっています。貨幣は一人歩きしているのです。
 重要なポイントは、パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、2つの異なる種類のお金であるという認識です。大規模資本としてのお金は、通常マネジャーが管理して最大の利潤を生むように投資されます。そうして資本は増え、成長します。とくに
先進国の資本はとどまることを知らぬかのように増えつづけ、そして世界の5分の4はますます貧しくなっていきます
 というのも
この成長は無からくるのではなく、どこかがその犠牲になっているからです。そこで私が考えるのは、再度、貨幣を実際になされた労働や物的価値の等価代償として取り戻すためには、いまの貨幣システムの何を変えるべきなのか、ということです。これは人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いであると、私は思っています。

 現在のお金のシステムがもたらしたもの

 誰もが日常、何らかの形でお金にかかわっています。しかし、私たちはどれほどお金について知っているのでしょうか。お金が足りない、お金が欲しい、働いても働いても余裕のある暮らしが得られないといったお金への「欠乏」と「渇望」の感覚、そして揺れ動く経済への根本的な「不信」など、お金についての悩みや不安を抱くことがあっても、私たちはそれがお金の何に由来するものか、あまり考えることはありません。
 エンデのお金に関する蔵書の一冊『利子ともインフレとも無縁な貨幣』の著者マルグリット・ケネディは建築家です。ドイツのハノーヴァー大学でエコロジーと都市計画を専門に研究しています。経済学者でも金融の専門家でもない彼女がこの印象的なタイトルの本を書くようになったのはなぜなのでしょうか。
 ケネディは1979年から84年の5年間、西ベルリンでの国際建築博覧会(IBA)で、エコロジー/エネルギーという研究領域を主宰していました。ここで都市空間における包括的なエコロジー・プロジェクトを計画し、実施するという経験をもち、大きな注目を浴びました。しかし、その一方で彼女はひとつの大きな壁に突きあたります。

 「確かにそのプロジェクトは重要であるし、美しい。しかし非経済的で採算が合わない」と、多くの人たちからいわれました。実際、エコロジー・プロジェクトを手がけてきた私の友人の多くも失敗しています。そのプロジェクトの採算が合わないかぎり、資金が得られないからです。彼らは、それを個人的な問題としてとらえていました。しかし、それは個人的な問題ではありません。

 ケネディはどのようなエコロジー上の問題も実は技術的には解決可能なのだといいます。そうした解決策を幅広く実施するための経済的な前提が欠けていること、簡単にいえばお金が足りないことが、あらゆるエコロジー・プロジェクトの障害となっているというのです。

 それで、お金のテーマに取り組みはじめました。というのも、ある日、こういうことに気づいたからです。いってみれば、木の成長はいつかは止まりますが、お金の成長は数の増大という点で果てしがなく、その2つの成長の間には、橋を渡しようのない食い違いがあります。それは、政府のプログラムによっても、人々の善意のプログラムによっても繋がりがつけられません。そのとき、ようやく私が気づいたのは、どのようなエコロジカルな対策も、資本市場で調達した利子を支払えるものでなければならないという事実でした。

 ケネディはエコロジー建築のプロジェクトが抱える経済的な問題は、たんに建築士の問題ではなく、いわば人類の生き残りがかかった経済システムそのものの問題でもあることに気がついたのです。

 1枚の金貨の2000年後の利子

 ‥‥利子が利子を生む複利というものがいかに非現実的なものであるかは、次の例でおわかりいただけると思います。
 ヨゼフが息子キリストの誕生のときに、3%の利子で1プフェニヒ(1マルクの100分の1)投資したとします。そして、ヨゼフが1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4000万個、引き出すことができるのです。永久に指数的な成長を続けることが不可能なのは火を見るよりも明らかでしょう。


 私たちが依って立つ現代の経済システムがいかに荒唐無稽なものであるか、エンデもまたこのヨゼフのたとえ話を対談やインタビューでよく引用していました。ケネディはいいます。

 このまま利子が膨れあがっていくとしたら、計算上、遅かれ早かれ、だいたいは2世代後に、経済的な破滅か、地球環境の崩壊かのいずれかへと突きあたります。それが根本問題です。信じる、信じないの問題ではなく、誰でもコンピューターがあれば計算できることです。そして、国が最大の債務者です。資金を借金によって調達し、それに対して利子を支払っているわけですから。国は、このシステムによって、最悪の当事者といえます。しかも、多くの国は、今日、個人としてなら銀行から一銭も貨してもらえない局面に立ち至っています
 そして、もちろん、もう一方には資産の所有者がいます。このシステムから利益を得ているのは、ほんの一握りです。
いま、アメリカでは、人口の1%が、その他の99%よりも多くを所有しています。ドイツでも、遅かれ早かれそうなるでしょう。つまり、一方で、どんどん貧しくなる国があり、自然環境も奪われつづけていきます。その一方で少数の者たちが、法外な利益を吸い上げていく。それがいまの経済システムです。

なわ・ふみひとのミニ解説 
 既に終末に向かってのカウントダウンが始まっていると思われますが、これからこの世界がまず直面するのはお金の問題でしょう。つまり、ここで弊害が指摘されている「紙幣」の持つ矛盾点が表面化するということです。いまではお金は「紙幣」から「電子マネー」に形を変えつつあり、その問題性を膨らませていますが、時間の加速現象とあわせて、これからお金の膨張のスピードもますます速くなり、やがて破裂することになるはずです。その結果として起こる現象が世界大恐慌ということです。そこまで行けば、終末のカウントダウンの足音を多くの人が認識することになるでしょう。
 では、私たちは何を、どう備えたらよいのでしょうか。いまさらお金や物(食糧などの備蓄)で備えようとしても、問題は解決しません。間に合わないのです。「終末」はつまるところ私たち一人ひとりの「心の問題」だからです。
 
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