われら神人類
山川天声・著 市民出版社 1993年刊 
★なわ・ふみひとの推薦文★
 「感謝をする」ことの本来的意味を意識レベル(霊的視点)から捉えています。単に「ありがとうと何回も唱えると運が良くなる」といった自分の利益のための感謝行のすすめではありません。宗教的に感じる点があるかもしれませんが、著者は宗教団体の教祖というわけではないようです。内容は間違いありません。ご一読ください。

●「感謝する心」でみる意識レベル

 感謝するとは頭や知識でするものではありません。当り前だと思っていたようなことでも、よく考えてみて当り前ではないことに気づき、自分のためにこれだけ奉仕されているんだと、心の中からありかたいという気持ちが湧いてくる感謝のことを意味しています。この世でもあの世でも価値観、意識レベルは同じです。
 6次元意識レベルは、「生かされている」、「与えられている」、「奉仕されている」、本当にありかたいと「心から感謝できる」、神の子を実感できる人の意識をいいます。
 5次元意識レベルは、「私は自分で生きてる、自分でやっている、だれにも迷惑をかけているわけではない」、「お世話してやったから返してもらって当然」、といったような考え方でこういう大は感謝を頭で知っていて心で知らないために、人に感謝を押しつける人の意識をいいます。
 4次元の幽界意識レベルは、与える、奉仕する、感謝する心を忘れ、「不足の心」が常に潜在していて、もっともっといくらでもほしい、なんでももらうことがうれしいという価値基準をもっている意識の人をいいます。
 3次元意識レベルは、悪いことをしないから問題ないという考え方をする意識の人です。天上界の常識では、良いことができない人は、みな悪い人になってしまいます。
 地獄界意識レベルは、乾いた砂漠に水をいくらやっても、いくらでも吸い込んでしまうような「奪う心」です。心がズタズタに傷ついているため、その苦しさから逃れるために奪って、盗んで、脅かして、おまけに殺してでもほしいという価値基準をもった人のことをいいます。
 最低限、6次元意識を目標に努力しなければ、真の幸せである心の調和と安らぎは得ることができません。以上は無意識に出てくるその人の価値
基準です。あなたはふだん、どの考えが中心になっているでしょうか。これがあなたの還っていくあちらの世界への案内板です。

●感謝行

 この世の3次元で生活するための肉体をもっている人間は、頭の中で魂が主人公で、自分は「神の子」ということが分かっていたとしても、どうしても肉体や物質が中心になって自我にとらわれ、自分さえよければと、感謝の心を忘れてしまうものです。
 本当に「感謝する心」が分かるということは、「自分は感謝を実践できる」という、その想いを行為であらわすことができることです。その結果、それを感覚で分かっていくことになります。
 言葉だけの分かったは、小学生でも知っています。「感謝の心」を心から体得していくためには、「感謝行」という奉仕の行動ができてはじめてスタートできるのです。
 感謝行には(1)財施(2)心施(3)法施があります。
 「財施」とは物やお金を施すことで、感謝の心をあらわし、物欲を断っていく行にもなるという意味です。
 ここで気をつけることは、本当に相手に見返りを求めないで、喜びを与えたかどうかということです。自分のエゴを満足させるためだったり、見返りを求めるようであったら、はじめから誤っていますので考え直すべきで、それは財施とはいいません。
 同じ財施をしても(1)地域社会へする(学校、保育園、病院、公共事業など)場合、(2)災害や人命救助などの被災者のために行う場合、(3)法施(魂を磨くための教えに対して)のための活動の援助などで行う場合があります。
 財施は表面意識のとらわれを解放することに影響してくるので(1)よりも(2)、(2)よりも(3)の財施の方が意識レベルが高くなります。しかし、(3)でも宇宙法則、心の法則を正しく指導し、人間は神の子であることを教えない宗教団体やグループに財施しても、感謝行からは縁遠くなり、自我にとらわれ、カルマを積み上げてしまいますので、注意したいものです。
  「心施」とは、人の心の苦しみを取ってあげることによって感謝の心をあらわし、それは自分の潜在意識の汚れを解放することに影響してきます。
 同じ心施をしても(1)自分が楽しい気分で気の向いたときに、気に入った人だけに苦しみを聞いてあげるというレベル。(2)自分も少し苦しいが、もっと困っている人の悩み、苦しみをとってあげるというレベル。また自分で解決してあげられない場合、できる人のところへ連れて行って解決してもらうというのも同じです。(3)自分が本当に苦しくて困っている場合でも、ほかの困っている人の悩み、苦しみを取ってあげるというレベル、これは最高の心施になります。自分が苦しいのに人のことどころじゃあないというのが自我意識というものです。
 「法施」とは「宇宙の法則」「心の法則」を人々に伝え導き、神の子の自分自身に気づかせることで感謝の心をあらわします。それは自分の超意識を大きくしていくことにたいへん影響します。
 気をつけなければいけないことは、他力信仰や御利益信仰などのように、教えを勝手に解釈して誤ったことを伝えたり、エゴの心をもって相手の魂を汚してしまうようなことを指導したりいていると、地獄霊に憑依され、どちらも地獄へいくことになります。
 この世では殺人はもっとも罪が重いが、魂が中心のあの世では、魂を汚したり歪めたりすることがもっとも重い罪となります。現在、そのようなことを行った教祖、盲信者、狂信者が、地獄の底の無間地獄で苦しんでいます。
 法を説くことは神の代理人ということで、最低6次元以上の高い意識をもたなければ、神の心からはずれてしまうことになります。しかし、法施はこの世で意識波動を高めていく最高の「感謝行」といえます。
 以上のように感謝行を簡単に説明しましたが、この行為にも因果の法則が働いて、それぞれの行った内容により、近くは将来に、また、遠くは来世に必ずそれ相応の結果が返ってきます。
 問題は、感謝行をするときの心の状態がそのまま返ってきますから、形だけはととのっていても、自分の利益のためだったり売名行為だったり、あるいは見返りを求めるためだったり、恩きせがましい施しであったら、「感謝行」からはまったくはずれたものになってしまいます。
 神の子の自分を高め、奉仕させてもらうことで、その喜びを知っていくという心が必要です。法施とは知識や哲学を勉強することではありません。真実の当り前のことに気づいてもらい、温かい思いやりの心を伝えていくことです。
 以上のように感謝の心を体得していくために感謝行が大切であることを述べましたが、あなたはどう思われるでしょうか。
 もうすでに分かっていて毎日実践されている人もいるでしょう。
 しかし、「感謝行」なんて何だか修行者みたいでイヤだと思われる人、なるほどもっともだと、左脳で知識として分かっていても、まるで金縛りにあったように一歩も前に進めない人などには、はっきり申し上げますが、私たちはこの世に遊びにきたのではありません。自分の魂を修行にきたのです。毎日の生活、仕事という手段を通じて、自分以外の人に奉仕できるようになるために、いまあなたがあるのです。
 奉仕するということは、能力があるということです。奉仕されるということは、能力がないということです。
 例えば、母親と赤ちゃんの関係を考えてみたら分かります。母親は能力があるから子どもに奉仕できる、子どもは能力がないから奉仕されるというように、質の高い奉仕をするためには高い能力が必要なのです。奉仕できることが魂の喜びであり「誇りだ」と思ってください。できないことは「恥」だと思ってください。
 では、やりたくてもできない条件下にある人はどうしたらよいでしょう。病気で寝たきりとか、高齢のためだとか、学生で親に世話になっているとかの場合は、小さなできることからやってください。
 生かされて生きている、ありがたいという「感謝の心」を心で伝えてください。例えば優しい眼差しを送ってください。明るい笑顔を送ってください。智慧や勇気、希望や喜びが湧いてくるような言葉を送ってください。こんな小さいことからはじめてください。こんな小さいことをあなたはできていますか。生活の中では小さなことから、仕事では質の高い能力を磨くために、あなたでなければできないというプロになって、奉仕してください。
 理屈を言ったり悩んでいる暇があったら、行動する、やってみる、やり続ける、これこそが「感謝行」そのものなのです。
 
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