治癒力創造
篠原佳年・著 主婦の友社 1997年刊
★なわ・ふみひとの推薦文★
 現役の医師が書いた「病気の治し方」の本です。前著にベストセラーとなった『快癒力』があり、当サイトにもアップしています。著者の結論は「健康を取り戻すのは医者の力ではなく、あなた自身の力です」ということです。病院付け、薬漬けになって今日の日本人に覚醒を促す書と言えるでしょう。

元気をとり戻せる三つのタイプ

 私は今まで多くの患者さんを診てきました。私の専門は難病といわれる膠原病(主に慢性関節リウマチ)ですから、なかなか完全には治らない患者さんが多いのですが、中にはすっかり治ってしまう患者さんもいます。その人たちを診ていて、私はあることに気がつきました。病気が治る人には、三つのタイプがあるということです。
 一つ目は、病気をあきらめた人
 二つ目は、病気を忘れた人
 三つ目は、他人のことばかり考えている人
 です。

病気をあきらめた人

 最初の、病気をあきらめた人というのは、病気のあまりのしつこさに、病気を治すのをあきらめてしまった人のことです。といっても、投げやりになって絶望的な感情になるということではありません。
 むしろ、「もう、病気なんて治らなくてもいいや。一生つきあっていこう」と開き直り、頭の中から病気のことを追放してしまうことなのです。
 たとえば、こんな患者さんがいました。かなり重症のリウマチで、痛みがひどくて、絶対に治らないなと思うほどの症状でしたので、会うのがとても辛い患者さんでした。
 その患者さんが、しばらく顔を見せなかったのですが、ある日突然ひょっこり現れました。顔も、通院していたときとくらべると、生き生きして見違えるように元気になっています。
 私はびっくりして、
「どうしたんです。何かあったんですか」
 と尋ねました。そしたら、その患者さんは、こう言いました。
「先生、私はもう病気を治すのをあきらめちゃいました」
 検査をして炎症の数値を測ってみると、マイナスでした。普通の人と変わらなかったのです。
 あれだけ「痛い、痛い。先生、なんとかしてください」と訴えていた人が、病気をあきらめたことですっかりよくなってしまったのです。
 もちろん、難病のリウマチですから、完全には治ることはないかもしれません。しかし、意識が病気から離れたことによって、驚くほど病状が改善されることは確かにあります。

病気を忘れた人

 病気を忘れた人とはどういう人でしょうか。病気のほかに関心のあることがあり、それに夢中になっているうちに、病気のことなど忘れてしまった人のことです。
 定期的に治療する必要のある患者さんがいたのですが、突然顔を見せなくなりました。しばらくして、来院されたので「どうしていたのですか」と聞くと、「主人が病気になって、世話をするのに忙しくて忙しくて、病院に来られなかったんです」と言いました。
 この患者さんも、検査をしてみると、びっくりするくらいよくなっていました。ご主人を看病しているうちに、忙しくて自分の病気のことなど忘れてしまっていたのです。病気を忘れるようにするには、ご主人の看病でなくてもいいのです。仕事や趣味など、自分が夢中になれることがあり、それに意識を集中させることができれば、病気のことなど考える暇がありません。こういう人は、病気とは無縁で過ごせるのです。

他人のことばかり考えている人

 他人のことばかり考えている人とは、どういうことでしょうか。ご主人の看病で忙しかった人に少し似ていますが、家族のことが心配で心配で、自分の病気のことを考えている余裕のない人です。
 たとえばこんな患者さんがいました。
 まだ私が医者になったばかりのころ、救急病院でアルバイトをしていたときのことです。救急車で一人の高齢の女性が運ばれてきました。重症の心筋梗塞で、誰が見てもほとんど助かる見込みはありませんでした。
 血圧を測ってみると、40から50くらいでした。普通は血圧が80を切ると、意識を失います。それでも、その患者さんは何か大声で叫んでいるのです。目も開いていました。緊急手当ての用意をしていると、突然心臓が停止してしまいました。私は無駄かもしれないと思いながらも、一生懸命心臓マッサージを続けました。
 しばらく続けていたのですが、いっこうに効果が表れません。もうだめだからマッサージをやめようと思った瞬間、だれかが私の白衣を引っ張っていることに気がつき、ほんとうに驚きました。
 深夜の治療室には私と、心臓が停止している患者さんだけだったのですから、いったい誰なのだろうと思いました。それは、その患者さんの手でした。あわてて心電図を見ると、動いているではありませんか。呼吸もしています。こんなに驚いたことはありませんでした。
 患者さんの顔を見ると口をもごもごさせて何か必死で喋ろうとしているので、口元に耳を寄せて聞いてみると、「死ぬわけにはいかん。死ぬわけにはいかん」と繰り返しているのです。
 そのあとも危険な状態が続いたので、翌朝までなんとかもたせて心臓専門の病院に送り込みましたが、私は死ぬのは時間の問題だと思っていました。ところがなんと、二十日くらい入院していたら元気になって、退院してしまったというのです。
 よく聞いてみると、その患者さんには重度の身体障害者の息子さんがいて、その面倒を見なくてはならなかったということでした。自分が助かりたかったのではなく、身体の不自由な息子さんへの思いが強烈だったために、その患者さんは奇跡的に回復したのだと思います。
 また、こんな例もありました。リウマチで歩けないくらい悪い、高齢の患者さんが遠くから来たことがありました。その方は、私の病院の評判を聞いて来られたのですが、今まで通った病院では、ほとんどまともにリウマチの治療をしてくれなかったようで、当院で半年ほど治療したところ、少しずつ症状が改善されてきました。そうすると、その患者さんが、何人も知り合いの病人を紹介して連れてくるようになったのです。
 紹介されて來院した患者さんたちも、たちまちよくなっていきました。別に私か治したわけではありません。「しのはら医院に行けば治る」という評判を聞いたために、私のところに来た時点で、半分治りかけていたのです。自分で治る気になって、治していたのです。
 最初に来た患者さんは、初めは自分の病状を気にしていたのですが、知り合いを連れてくるようになってからは、自分の病気のことはそっちのけで、連れてきた患者さんの病状ばかり気にするようになっていきました。
 そうして、他人の心配ばかりしているうちに、当の本人の病気はすっかりよくなっていたのです。他人の世話をやいているうちに、自分の病気のことを忘れてしまっていたというわけです。

治らない、健康になれない三つのタイプ

 病気が治る三つのタイプに共通するものが何か、お分かりになったと思います。それは意識が病気のほうへ向かわずに、ほかのほうへと向かっていったために、自分の病気のことを忘れてしまっていたことです。
 一番いけないのは、毎日、自分の病気のことばかりに意識を集中している人です。そのように病気に意識を集中させていると、病気が治るどころか、ますます病気を悪化させる結果となります。
 病気があって悪化させるのならともかく、どこも悪いところがないのに、「親戚にガンの人がいるから、きっと私もガンかもしれない」などというように、病気でもないのに、自分は病気ではないか、病気ではないかと常に猜疑心を持っていると、いつしか本当の病気になってしまうものです。
 では、病気が治るタイプとは逆に、治らないタイプを紹介しましょう。
 第一は、治りたくてハタハタしている人
 第二が、治らないと思っている人
 第三が、治らないほうがいいと思っている人
 です。
 
治りたくてバタバタしている人

 まず最初の、治りたくてバタバタしている人とはどういう人でしょうか。誰でも病気を治したいと思っています。それ自体はいいことで、別に問題ではありません。しかし、とり組み方が問題なのです。
 バタバタする人というのは、病気の根本原因に目を向けるのではなくて、表面に現れた症状のほうにばかり関心がいき、その根本原因を除去しようとはけっして思わない人のことです。
「先生、話はいいから、薬をください」
「先生、痛くてたまりませんから、とにかく注射をしてください」
 こんなことばかり言うのです。なんとかしたいというのは分かりますが、注射や薬は症状をやわらげるだけで、根本的な治療にならないのは、賢明な読者ならとっくにご存じでしよう。
 自分の気を病気のほうにばかり向けているから、病気を招いてしまったわけで、「なんとかしなければ。早く治さねば」と焦れば焦るほど、病気は治らなくなってしまうのです。こういう人は、病気が治る人とは逆に、自分で病気を招いてしまっているのだと思います。

治らないと思っている人

 二番目の、治らないと思っている人とは、どういう人でしょうか。難病といわれている病気には、私の専門とする膠原病や、糖尿病、ガン、エイズなどがあります。すぐに生死にかかわるかはともかくとして、こういう難病だと医者に宣告されてしまったら、多くの人は「ああ、自分は治らないんだ」と観念して人生をあきらめてしまうでしょう。
「ちょっと待ってくれ。さっき、あきらめたら病気が治る」と言ったではないかという人がいるかもしれません。しかし、ここでいう「治らないと思う」というのは、「あきらめる」というのとは少し違います。
 私か先ほど「あきらめれば治る」と書いたのは、病気へのこだわりがなくなってしまった、ある種の精神的な高みのことをさしているのであって、医者から「治りません」と宣告されて「はい、分かりました」と言われるままに病気を受け入れてしまうこととは違います。
 こういう人は、薬も治療も医者の言うとおりに従ってくれて、模範的な病人になります。医者にとってはありがたい患者ですが、私からいわせれば、病気になれ親しんでしまって、病気に対する闘争心をなくしてしまっています。
 よく、毎日のように病院に来て、自分の病気自慢をしている老人たちがいます。さながら病院の待合室は老人サロンみたいですが、このような人たちは病気が趣味のようになっていて、自分の気を病気に集中させているのです。

治らないほうがいいと思っている人

 三番目の、治らないほうが都合がいい人のことは、病気になったほうが都合がよい人たち、表面的には「治りたい」と言っていても、心の奥底では「治りたくない」と思っている人たちです。
 これら三つに共通していることは、自分の興味、関心、気やエネルギーといったものを、すべて病気のほうへ注ぎ込んでいるということです。それが病気を引き起こしていたり、病気を治さない根本原因になっています。自分の中に、常に病気のイメージをとり込んでいるから、永久に病気は治りません。

やりたいことを今すぐ実行すれば健康になる

 医者が病気になることが多いのをご存じでしょうか。医者の不養生とはよくいわれますが、忙しすぎて身体を壊すというのとは別の意味で、病気になる人が多いようです。
 不思議なことに、ガンの専門医はガンで、心臓病の専門医は心臓病で死ぬことが多くあります。伝染性の病気を扱っているのなら理解できますが、ガンや心臓病が伝染するとは思えません。どうして、こんな現象が起きるのでしょうか。
 医者は毎日、多くの病人と向き合っています。病気を治すために努力を続けています。ガンの専門医なら、「患者さんのガンを治してあげたい」と思っていると同時に、ガンに対する恐怖心が心の奥深くに刻み込まれている可能性があります。そのガンに対する恐怖のイメージが、医者をガンにさせているのではないでしょうか。
 人間はある程度の年齢になれば、ガンが身体のどこかにできても不思議ではありません。毎日、ガンのことばかり考え、頭の中にイメージしているから、早期ガン程度だったものが急速に成長したのかもしれません。
 私は病院に来る患者さんたちに、常にこうアドバイスしています。
「いいですか。慢性の病気だからといって、もう治らないと考えてはいけません。“病は気から”とよく言うでしょう。“私は治るんだ”というイメージを常に持ってください。“どうせ私は年だし、寝たきりになってもしかたがない”と絶対に思わないでください。あなたがいつも思っている“私は病気なんだから”という気持ちが、あなたを病気にしているんですよ」
 物理学には、「エネルギー保存の法則」というものがあります。エネルギーが熱や力などに変わっても、総体としてのエネルギー量は不変だというものです。人間の気にも同じことがいえるのではないかと思います。
 気とは、人間が生きていくために必要な生命エネルギーのことです。人によって、その生命エネルギーの総量は違っているでしょうが、本人の持っている量は不変なのではないかと私は思います。
 今までは、気が落ちたから病気になったとか、気の量が増えたから元気になったとか考えられてきましたが、けっしてそうではないと思います。病気の人は、気を病気のために使っているだけなのです。
 いつも病気を気にして、せっかくの生命エネルギーを自分の不安や恐怖、心配ばかりに注いでいる。これでは病気から脱出することなど、千年かかってもできません。
 病気のことを忘れ、あなたがやりたいことを今すぐ実行する。エネルギーを病気に使うのではなく、楽しいと思っていることに注ぐ。これが、私か今まで病気治しの旅をしていて到達した、最終的な結論なのです。
 
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