反日国家・日本
名越二荒之助・著 山手書房 1985年刊
  バッファ
★なわ・ふみひとの推薦文★
 本書の著者は「反日」という言葉を初めて使った人と言ってもよいでしょう。この本では、東京裁判(この時点では「極東裁判」)の不当性を、戦勝国側の判事が明言している事例を紹介しています。大変説得力がありますが、いまなおアメリカ(を裏から支配する層)の呪縛のなかにある日本のマスコミや政治家、官僚たちはこの種の情報は無視しています。結果として、明治以降の日本の歴史は「ロバの歴史」となって子どもたちに教えられているということです。

レーリング極東裁判判事の見解

 昭和五十八年六月、「極東裁判シンポジウム」がサンシャインビルで開かれた時、オランダのレーリング極東裁判元判事が出席した。彼はその時、「日本の戦争は、東南アジアを侵略していた軍隊と戦ったのだから、侵略とは言えない。ヒトラーの場合とは違う」と、明言していた。
 ヒトラーは周辺の独立国に対して侵攻したが、日本は独立を奪った元凶と戦い、独立を与えたのである。それはヒトラーと違うばかりではない。スターリンとも異質であった。ヌターリン・ソ連は、正常な独立国であるバルト三国や、東ヨーロッパ諸国を、「解放」の名で共産化した。それに対して日本は、数百年にわたる侵略者を追い出すために戦った。

 しかも苛烈な大戦のさ中、昭和十八年には、ビルマ、フィリピンの独立を見、二十年八月十七日にはインドネシアの独立宣言を見たことは、厳然たる歴史上の事実である。不幸にも、日本の武力戦の敗北によって一時の停滞はあったが、これらの国々は皆独立を完うし、さらにアジア、アフリカ、太平洋諸島に至るまで、ほとんど全世界の植民地の独立を見たことは、世界史上空前の偉観である。そのかげには、幾多の将兵の献身と一般国民の苦難があった。これらの歴史を公正に記してこそ日本の教科書といえよう。
 (原告・木下甫氏「森文相への要望書」から)


 このように当時の日本には、日本の正義があり戦争目的があり、戦争論があった。このことを教科書に書かなければ、最後は特攻隊を繰り出し、一億玉砕まで誓って戦った民族のエネルギーの爆発が、説明つかないではないか。

(注)満州事変から大東亜戦争に至るわが国の進路について、読者には反発も批判もあろう。私にもある。
 しかしその批判を述べだしたら際限はない。批判したり、否定したりすることが歴史ではない。歴史はその時代に参加して、当時を生きた人々の心になって追体験しなければ、生きた姿が浮びあがらない。
 あの当時、なぜ日本は戦争に訴えたのか。その頃米・英・ソ等は、どんな野望を持ってわが国の膨張を阻止しようとしたか。彼らの野望と日本の対応を、国際戦略の目をもって描かなければ、動く歴史にはならないのである。
 我国だけを侵略視するのは、「歴史の遠近の判らない片目史観」であり、「コップの中の歴史観」であって、ピエロのような日本像しか出てこないのである。

パール博士の講演
「子弟に罪悪感を植えつけてよいのか。あやまった歴史を書きかえよ」

 極東裁判で最も公平な判決書を書いたインドのパール博士は、昭和二十七年十一月、広島の弁護士会で講演し、次のように述べている。

 要するに彼ら(欧米諸国)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間(昭和三年の張作霖爆死事件以来)のいっさいを、罪悪と烙印することが目的であったに違いない。……私は一九二八年から四五年までの十七年間の歴史を二年七カ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である、ということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、『日本は犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢てしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して充分研究して頂きたい。日本の子弟が、ゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されてゆくのを、私は平然と見過すわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の偽瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えられねばならない。
 (田中正明著「パール博士の日本無罪論」)


 外国の圧力に便乗して、得たりと自国の歴史を「侵略」と書きたてた教科書執筆者たちは、パール博士の文を読んで何と反論するであろうか。また今はこの世にないパール博士だが、教科書騒動に屈服してしまった一連の日本の動向を見て、何と嘆いていることであろうか。

いかなる国も自国の正当性を主張する

 そもそも「侵略」の用語は、不戦条約以来、国際法上定義できないものであった。当該国が侵略と認めれば、侵略となるのである。だからどこの国も、自国を侵略国家と認めようとはしない。
 最近の例でいえば、ソ連がアフガンを侵略しても、ソ連は善隣友好条約に基づいて進駐したと言い、時に「解放戦争」を強調する。また朝鮮動乱の時、北朝鮮が国連で侵略者の烙印を押されても、北朝鮮は、韓国の方こそ侵略者であったと強弁してゆずらない。もしソ連や北朝鮮が、「侵略」を認めれば、世界中から「侵略国」のレッテルを貼られ、国家としても存立の意義を喪うのである。
 それと同じように日本が、自国の近現代史を(極東裁判の判決通り)、教科書を通じて「侵略国」と教え続けるならば、どういうことになるであろうか。国連憲章第一条は、「侵略行為その他平和破壊」に対して、集団で鎮圧することを謳っている。それに憲章には敵国条項があって日独等の旧敵国の侵略政策を警戒している。そういう中にあって教科書で侵略を追認すれば、日本にとって屈辱の敵国条項を削らせることもできなくなるではないか。
 パール博士もいうように、「侵略」の用語は、自国の侵略を隠蔽するために、相手国を攻撃する外交的政治的爆弾として使われるのである。自らが、自国の歴史に対して爆弾を投げる愚国が、世界のどこにあろうか。
 例えばかの悪名高き阿片戦争だが、イギリスの教科書は、「当時のシナ商人が、英国に対し不当行為を働いたので、制裁を加えた」という記述になっている。当時のイギリスの立場に立って、自国の正当性を述べている。
 そもそも自国の歴史を犯罪史のごとくに書いている例は、世界のどこにもない。それどころか、各国の歴史教科書は、自国の伝統と誇りと、民族の魂の記録になっている。歴史を貫いた民族の精華は何かを浮びあがらせる努力のあとがうかがえる。
 ここで思い出すのは、イギリスのジャーナリスト、タイトルマンである。彼は戦後日本の教科書を読んで、次のように評価している。

ロバの歴史か、感動の国家の物語か
 ――タイトルマンの戦後教科書批判――

 タイトルマンが批評した教科書は、昭和二十一年にできあがったCIE検閲になる「くにのあゆみ」についてであった。この教科書は、現在のものよりもはるかにバランスがとれており、偏向事例が少ない。しかし基本的パターンは変らない。彼は言う。

 イギリスの歴史教科書は、少年少女の幼な心に、イギリスの伝統と誇りと、イギリス人の魂の意義を植えつけるようにできている。またアメリカの歴史教科書は、偉大なるアメリカ共和国の物語を述べており、この教科書を読んだ時には、まっさきに浮んでくるのは、これがアメリカだという感じである。
 ところが日本の『くにのあゆみ』はこんなものではなく、日本の国民精神を全然無視している。その結果日本人が、その島国で何をしたかについて物語になっているが、日本人がなぜそれを行ったか、あるいは日本人は何を考えていたかについては、全く語られていない。
 日本を鎖国した中世紀的国家から、僅かの年月の間に、世界の強国の一つに発展させた日本民族の理想と、その社会的努力については、そのヒントさえ書かれていない。ところが実際には、近世における日本の発展は、現代史の中で最も驚くべき、偉大な業績の一つである。
 また日本を結合させた努力についても、一つも語られていない。『くにのあゆみ』は、ただ人間集合の物語であって、民族の魂と習慣と信念をもった国家の物語ではない。もし日本歴史が、この教科書に書かれたようなものに、すべてがつきるならば、日本は祖先の誇りもなく、子供の希望もないドンキー(ろぱ)に似たものであろう。
  (昭和二十二年『改造』誌二月号)


 比較的客観的に書かれた『くにのあゆみ』でさえ、日本人が何を考え、なぜそれを行なったかの記述がなく、魂の抜けたろばの国の歴史だと痛罵している。そのタイトルマンが、自国の歴史にドロを塗り、あたかも犯罪史であるかのように書かれた現行の教科書を読んだら、おそらく「健全な精神を喪った異常心理」と指摘するに違いない。
 
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