蜂と神さま 

  蜂はお花のなかに、
  お花はお庭のなかに、
  お庭は土塀のなかに、
  土塀は町のなかに、
  町は日本のなかに、
  日本は世界のなかに、
  世界は神さまのなかに。

  そうして、そうして、神さまは、
  小ちゃな蜂のなかに。
 
 
 『みすゞコスモス…わが内なる宇宙』
矢崎 節夫・著  JURA出版局
【著者解説】
 『蜂と神さま』という、こんなにも短い作品の中で、みすゞさんはこの世のしくみすべてを表現してくれています。
 〔世界は神さまのなかに。/そうして、そうして、神さまは、/小ちゃな蜂のなかに。〕
 神さまは特別な存在として、遠く離れたところにいらっしゃるのではなく、私たちすべての心の中にいるのでしょう。
 このことに気づいて行動するのと、そうでないのとでは、大きく違ってきます。

 以前、アメリカ大陸の山脈を飛行機の上から見て、友人の医師山田洋介さんが「胃カメラで、意の壁面を見ているようですね」というのを聞いて、なるほどとうれしくなったことがあります。
 空から見た山脈と胃壁が、同じに見える――すべての動植物を生み出した母なる星、地球と、子である私たちが、同じに見えるものを持っているのは当然でしょう。ただ、いつの間にか、忘れてしまっていたのでしょう。
 蜂と私たち、世界を地球、神さまを宇宙に言い換えると、“宇宙は小ちゃな私たちのなかに。”ということもできるでしょう。
 私たちの中に、宇宙が、もちろん地球もあるのですね。私たちはなんと、すばらしい存在なのでしょう。
 私たちの体を分子、原子、微粒子、さらに細かく研究したら、宇宙全体のしくみがわかる、ということなのでしょう。
 “部分は全体を反映します”
 部分は全体を反映しているということは、部分と全体は同じだともいえるのでしょう。それならば、部分である私たちの心の持ち方や行動が、全体である地球に影響するのではないでしょうか。
 あの時、山田さんが「町が近づくにつれて山が壊されていて、まるで胃潰瘍になっているようです」といっていました。
 私たちは母であり、全体である、地球を傷つけすぎました。
 “地球のいたみを、自分のいたみ”として生きる時期にきているのではないでしょうか。
 いつまでも、「地球にやさしい」という自己中心的で、傲慢であったら、私たちはこの地上で存在できなくなることでしょう。
 インディオのことばに、“地球の自然は、子孫からのあずかりもの”というのがあるそうです。
 “緑豊かなれば、魚多し”ともいいます。
 地球の部分である木が健全に育っていれば、ほかの部分である、魚も健全に育つということでしょう。
 木を1本切ったら、1本植えることのできる人になりたいと思います。
 みすゞさんのおかげで、今、私たちは、この世に存在するすべてにつながっている、ということを知ったからです。
 広大な宇宙にまでつながっている私たちです。私たちの心の持ち方が、地球に、そして宇宙にまで反映するのです。
 “生かされている私たち”という原点に戻って、どう生きるべきかを真剣に考えたいと思います。
 
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