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『みすゞコスモス…わが内なる宇宙』 矢崎 節夫・著 JURA出版局 |
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【著者解説】
子どもは不思議がりの天才です。みすゞさんは子どもの時だけでなく、大人になっても不思議がりの天才でした。 東京に丸ノ内線という地下鉄があります。地下鉄なのに、始発の池袋から六つ目の淡路町までの間に、茗荷谷、後楽園、お茶の水と三回も地上に出ます。その度に、後楽公園や東京ドーム、遊園地や神田川と変化に富んだ風景が楽しめます。 この丸ノ内線に、始発の池袋から三歳くらいの男の子とお母さんがのってきました。二人は空いた席に座ると、男の子はすぐに靴を脱いで、窓の方に向きました。地下鉄が動き出し、淡路町までの間、地上に出たり、もぐったり、男の子は窓ガラスに顔をおしつけるようにして見ていました。やがて淡路町をすぎると、あとはずっと暗いトンネルの中。それでも男の子はじっと外を見つめていましたが、とうとうお母さんにたずねました。 「どうして外が見えないの」 「地下鉄だから」 お母さんが答えました。 しばらくして、また、男の子はたずねました。 「どうして見えないの」 「地下鉄だから」 お母さんの声が少し強くなりました。 三度目にたずねようとした時、お母さんは寝たふりをしていました。これは危険信号だったのでしょう。男の子はあわてて前を向いて座り直すと、お母さんと並んでぎゅっと目をつぶりました。それから――、しばらくたってから、男の子はぽつんと、こうつぶやきました。 「地下鉄でも見えることあるよ」 本当は二つ手前の駅で降りるところだったのですが、気になってのりこしたおかげで、「地下鉄でも見えることあるよ」という男の子のことばが聞けて、感激しました。坊やはきらきらと輝いて見えました。 「だから」と「でも」、みすゞさんは、〔あたりまえだということが〕不思議でたまらないといっています。しかし、大人は「だから」で、不思議を消してしまいがちです。おかげで、感動することもなくなるのです。 “生きているということは、感動すること”です。 みすゞさんのまなざし、目の位置を変えてまわりを見ると、不思議なことばかりです。 小さい頃、たんぽぽの花が日によって、ひらいたり、つぼんだりしているのを見て、とっても不思議でした。あとで、天気によって、ひらいたりつぼんだりすること、わた毛をつけると、くきがぐーんと空に向かってのびることを知りました。「たんぽぽって、すごい!」と感動しました。 芸術も、科学も、宗教も、数学も、みんな不思議に思う心から出発したのでしょう。 私たちのまわりは、不思議でいっぱいです。 |
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