木 

  お花が散って
  実が熟れて、

  その実が落ちて
  葉が落ちて、

  それから芽が出て
  花が咲く。

  そうして何べん
  まわったら、
  この木は御用が
  すむかしら。
 
 
 『みすゞコスモス…わが内なる宇宙』
矢崎 節夫・著  JURA出版局
【著者解説】
 「本を読むということは、あなたが直接会うことのできない世界中のすてきな人に、いつでも会うことができ、また行くことのできないすばらしいとろこへ、いつでも行ける、そんな楽しいことなのです」と、小学生の頃、母によく教えられました。
 本当に、本には私が知らないこと、知りたいことがたくさん書かれています。辞書や百科辞典も含めて、いつもとてもお世話になっているといっていいでしょう。
 私たちの脳にはシワがあって、そのシワをぴちっとのばすと、新聞1枚分の大きさになるといいます。この脳はいろいろなことを記憶してくれますが、忘れることもしてくれます。きっと、“忘れるということも脳の働きの一つ”なのでしょう。
 この忘れたことを思い出させてくれるのも、本の役目の一つです。
 つまり、私にとって“本は外にあるもう一つの脳”なのです。
 それも、私のように内なる脳の整理のへたな人にとって、本はきちんと整理された最高級の脳にさえ思えるのです。ですから、本を開く時は、いつもワクワクします。
 先日、「なぜ木を切ってはいけないのか」という質問に対する、宇宙物理学者で、限りなくオルガニストの佐治晴夫先生の答えをうかがって、思わず、脳の使い方がちがうなと、ため息がでました。
 「なぜ木を切ってはいけないのかというとね、私たちの肺は酸素を吸って、二酸化炭素をだすでしょ。その二酸化炭素を吸って、木は酸素をだしてくれるでしょ。つまり、“木は私たちの外にある、もう一つの肺”なのです。ですから、木を切るという行為は、自分で自分を傷つけることになるでしょ。だから、木を切ってはいけないのです」
 “木は私たちの外にある、もう一つの肺”、なんていいことばなのでしょうか。
 このような発想のできる脳は、大変上質にちがいありません。そこで、佐治先生のもう一つの脳である著書には、私の本棚にたくさんいていただいています。
 佐治先生の発想から進めると、「なぜ木を切ってはいけないのか」ではなく、まず原則として、木を切らないという方向に向かいます。
 私たちは今まで、「まず木を切ることありき」だったのですが、そうではなく、「まず木を切らないという原則ありき」なのです。
 木を切っても、また1本植えればいいという考え方もありますが、植えた木が、失った木の大きさに育つまでには、何年、何十年、時には、何百年もかかるのですから、これは木を切ってもいいという理由にはなりません。
 初めに木を切らないという原則をおいて、そのうえで、どうしても切らなければならないのか、他に方法はないのかを考える――ゆっくりと、時間をかけて、人の側からだけでなく、自然の側から考えるまなざしを持つことが、いま一番必要なのではないでしょうか。
 これこそが、みすゞさんのまなざしです。
 
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