「ええもん食いたい、楽したい、ものはついでにゼニほしい、どこかにええ女(男)おらんかな」――関西弁で語られるこの言葉は、今日の一般的な人たちの心情をよく表しているような気がします。「おいしいものが食べたい、楽をしたい、お金もほしい、いい女(男)と恋もしたい」という潜在的な欲望(煩悩)をうまく表現しているからです。
本日は、この中の「楽をしたい」という気持ちについて考えてみたいと思います。はたして人は人生で楽をするために生まれてきたのだろうかという問いかけです。つまり、人生では苦難に遭遇しないことがよいことなのか、苦労しない人生が素晴らしいのか、ということについて考えてみたいと思います。
ということで、いきなり結論に入りますが、表題にもありますように「人生でさまざまな困難に直面することによって人は磨かれるのである」という考え方をご紹介していきます。
まずは『ダイアー博士のスピリチュアル・ライフ』(ウエイン・W・ダイアー著/三笠書房)の中から参考になる内容を抜粋してご紹介します。次の文章は、私が 「絶対神」「創造神」「宇宙の法則」「スーパーパワー」などと呼んでいる「神」の概念について、たいへんわかりやすく説明してくれています。
「あたなは花を育てることができるか?」――こう尋ねられたら、たぶん、あなたは次のように答えるだろう。
「簡単なことだ。土に種を蒔いて日光と水を与えれば、やがて花が咲く。その証拠に、今この瞬間にも、世界中で無数の花が咲いているじゃないか!」
たしかにそのとおりだ。だが、質問にもう一度目を通してから、花を育てる生命の源が誰(何)か考えてほしい。
誰(何)が種から花を咲かせ、小さな胚から人をつくっているのか? 誰(何)が人間の指の爪を伸ばし、眠っているあいだも心臓の鼓動を打たせているのか? 誰(何)が、感じるけれども目には見えない風を吹かせているのか? そして惑星を定まった位置に配置し、地球を猛スピードで銀河系に投げ込むこの力はいったい何なのか?
――『ダイアー博士のスピリチュアル・ライフ』(ウエイン・W・ダイアー著)
ダイアー博士はこの「花を咲かせる力」の源を「無限の力」と呼び、その「無限の力」を味方につけることがスピリチュアル・ライフだと述べています。以下にそのさわりの部分をご紹介します。
■ 「認識」――「無限の力」の存在を認める
多くの人がスピリチュアルな力の存在に無自覚であり、その存在を認めようとしない。
たとえば、病気の治療一つをとっても、高度な医療技術や薬剤で何でも治ると思っている。あるいは、経済状態を改善するには一生懸命に働き、勉強し、レイオフされたら履歴書を送って面接を受けるしかないと信じている。
しかし、このように自分の知覚を超えた神秘の力を無視して生きることは、あなたの無限の可能性を無視することに等しい。
生命、自然、そして宇宙の源である偉大な力があなたの手の届くところに存在している。それを認めることが、自分の中に眠っている無限の力を働かせる最初のステップなのだ。
だが、夢占いについて書かれたものを読めば「いい夢」が見られるわけではないように、他人に教えられたり書物を読んだりしただけでは、こうした力を得ることはできない。
「自分には宇宙に通じる無限の力がある」と深く信じることで、はじめて無限の力に目覚めることができるのだ。
たとえば、あなたが何か大きな問題にぶつかっているとして、どうすれば解決できるのか、今のところは正確にはわかっていないとしよう。しかし、「解決できることは十分承知している」と自分に言い聞かせていると、必ず、天から助けのロープが降りてくるように解決策が見つかるものだ。
本章の冒頭の問いに答えると、物質的な存在として、私たちは花を育てることができる。だが、あらゆる生き物に命を吹き込んでいる“目には見えない力”の謎を解き明かすのがいかに難しいかに気づくだろう。
それでも、至るところに存在するこの全知全能の力こそ、あらゆる問題、悩みを解決してくれる、あなたの最大の味方なのだ。
――『ダイアー博士のスピリチュアル・ライフ』(ウエイン・W・ダイアー著)
この文章は、「神様の無限の力の存在を信じてさえいれば、人間的努力をしなくてもあらゆる問題は解決する」というふうに解釈される恐れがあります。ここが難しいところです。
「苦しい時の神頼み」という言葉がありますが、人生で行き詰まったときに「神(無限の力)」に救いを求めるのは昔から行なわれていることです。しかしながら神様は、困っている人をいつでも無条件に困難から救済してくださる訳ではありません。なぜなら、人が人生で直面する苦難はすべてその人の成長を促す“試練”として準備されたものだからです。
「可愛い子には旅させよ」という諺があるように、子どもの成長を願う昔の親は、あえて子供が幼いうちから他家に奉公に出すことをしました。親のそばに置いて生活万般の面倒をみてあげたい気持ちを抑え、自分の目の届かない他人の家に送り出す親の気持ち――その親心こそが深い深い神の愛と言ってもよいでしょう。
人間の進化に“試練”すなわち苦難は必要なのです。それは、重い荷物を背負うことによって肉体の力がついていくのと同じ原理だからです。ただし、ありがたいことに神様は、その人間が背負いきれないほどに重い荷物(=試練)は決して背負わせないのです。その人の体力(=精神力)を見抜いた上で、最も効果的な重さの荷物を与えることになっています。決して簡単には背負うことはできませんが、本気になって力を発揮すれば、必ず背負うことができる重さの荷物なのです。
そして、“荷物を背負う力”が強くなるのに応じて、更に重い荷物(=試練)が与えられていくことになります。ちょうど重量挙げの選手が、少しずつバーベルの重さを上げて力をつけていくのと同じ原理です。
その“人生における試練”ということについて大変参考になる考えを述べた文章があります。以下は、私が毎朝の通勤時にイヤホンで聴いている「速聴テキスト」の中の『ノーマン・V・ピール博士の教え』(光輝・著)の一文です。
■ 逆境は最大のチャンス
わたしたちは、のんびりと気楽に毎日を過ごせればそれでよいと思うかもしれません。しかし、「人生学校」は、努力なしで卒業させてくれるほど甘い学校ではありません。授業に出て、教科書を読んで、与えられた宿題をちゃんとこなしていかないかぎり、新しい学科の習得はできません。
やはり、さまざまな困難にチャレンジしながらそれを乗り越えていく、という過程を経なければ人間は成長できないのです。
「艱難汝を珠(たま)にする」というのは本当です。これを、ピール博士は、「苦労、困難、貧乏は3人の優れた教師である」と表現しています。
また、逆境は、「人格的な成長」という単位を克ち取るためにも不可欠な課題です。逆境は、好ましくない性格を変えるきっかけにもなりうるのです。「人間は長い間つらい経験をしないでいると、自信過剰になり、配慮がなくなり、ひとりよがりになりやすい」とピール博士は言います。そして、つらい経験をこやしにして、より円満な人格に成長することができるのです。
ただ、別段「人生学校」は順位や偏差値に関係ある学校ではありません。積極的で前向きな心構えで、与えられた課題に立ち向かっていき、少しでも新たに成長した場合には、必ず、「喜び」と「充実感」という報酬が与えられるのです。
同じ意味のことを述べている文章を、次は『自分を磨く方法』(アレクサンダー・ロックハート著/ディスカバー)からご紹介します。
■ 逆境に立ち向かう
「雨風は材木を強くする」という格言がある。人間も同様だ。逆境にさらされると、人間は強くなる。逆境は永遠には続かない。だが、逆境に屈してしまうと、逆境はいつまでも続く。
自己啓発の大家ナポレオン・ヒルは「すべての逆境には、それと同等かそれ以上に大きな恩恵の種子が含まれている」と言っている。恩恵の種子を見つけるのは難しいかもしれないが、すべての試練には必ず解決策が隠されており、多くの場合、その解決策を実行すれば大きな恩恵を受けることができる。
逆境は日常的なできごとであり、あなたの実力の試金石である。あなたの心の持ち方しだいで、それは障害物にもなれば跳躍台にもなる。こすらなければ宝石を磨くことができないのと同じように、逆境がなければ人格を磨くことはできない。
逆境とは、未解決のチャンスのことだ。すべての問題には解決策があり、いったん解決すれば、それはもはや問題ではない。小さな挫折は、あなたが遭遇する次の試練にうまく対処する能力を高めてくれる。逆境に遭遇したからといって、「これでもう終わりだ」と考えてはいけない。逆境とは、「いったん立ち止まって解決策を考えろ」という意味なのだ。
■苦闘を大切にする
ある日、少年が外で遊んでいると、木の葉にまゆが付いているのが見えた。少年はそのまゆを部屋に持ち帰った。数日後、チョウがまゆを破って外に出ようと苦闘し始めた。長くて厳しい戦いだった。少年にはチョウがまゆの中に閉じ込められているように見えた。チョウの動きが止まったことを心配した少年は、ハサミでまゆを切ってチョウを助け出した。
しかし、そのチョウは翼を広げて飛ぶことができず、ただ這い回るだけだった。本来なら、まゆの小さい穴から苦闘しながら出ることによって体液が翼にまで行きわたり、チョウは飛べるようになるはずだった。
この教訓は私たち人間にもあてはまる。人生は苦闘の連続だが、もし苦闘しなければ、私たちは本来の強さを発揮することができなくなる。苦しい思いをするのは誰でも嫌だが、苦闘は成長の機会でもある。自分の人生を切り開く人は、逆境が人格を鍛えることを理解し、苦闘を歓迎する。
ほんの少しの努力で成し遂げられることばかりしてきたなら、あなたは今以上に成長することはないだろう。チョウの苦闘が翼に強さを与えるのと同じように、あなたの苦闘も強さを獲得するうえで必要なのだ。
―― 『自分を磨く方法』(アレクサンダー・ロックハート著/ディスカバー)
そういう生き方をしている人の心の底には「お金さえあれば、この世では幸せになれる」という考え方が横たわっています。これが資本主義社会が生み出した弊害の最大のものです。つまり弱肉強食の「お金至上主義」だと言えます。その考え方、そのような生き方が、これから終末の中で見事に崩壊し、清算されていくことでしょう。人生で遭遇するさまざまな“試練”を避けてきた人は、まとめて大きな“荷物”を受け取ることになります。その荷物は、別な表現をするならば「カルマの詰め合わせセット」とでもいうべきものです。
「楽をしよう」「苦しいこと、辛いことは避けよう」と、人生の試練から逃げ回ってきた人は、背負いきれない荷物を一度に背負わなくてはならなくなり、押し潰されてしまうことになるでしょう。なぜなら「身魂が十分に磨けていない」からです。苦難に耐える得るだけの精神力が育っていないため、終末の大混乱の中ではすぐにくじけてしまうのです。
「人生で直面する苦難や困難にくじけず、自らの努力によってそれを乗り越える」ということは最も大切な“身魂磨き”なのです。それは、子どもを育てるときの親の気持ちになって考えてみるとわかります。子どもを甘やかしてばかりいれば、将来どんな大人になるでしょうか。親の庇護がなければすぐに挫折してしまう弱い人間になるかもしれません。あるいは、非行に走って犯罪を犯すような人間になることも考えられます。(現代社会はまさにそのような状態になりつつあるのではないでしょうか)
ですから、昔の人は小遣いなども子どもが欲しがるままに与えたりはせず、辛抱させて、お金や物を大切にするようにしつけをしてきたのです。そういうしつけがされず、親を親とも思わなくなった最近の子どもたちが迎える未来社会は大変悲惨な姿になることが予測されます。そのままの心の状態では、とても終末の大きな苦難や混乱に立ち向かうことはできないと思われます。
もちろん、最近の大人たちは、子どもと似たような心のレベルにあるのかも知れません。つまり、我善し(自分さえよければよいという利己主義)の生き方をする人が増えつつあるからです。
そういう生き方をしている人が“大峠”の土壇場になって救済を求めてきても、「その時では神といえども助けることはできない」と『日月神示』の神様は述べておられました。それは、「身魂が磨けていない」から、つまり、よくない心の癖を身につけてしまっているからなのです。
本日の結論を私流の表現で簡単にまとめておきましょう。
@ 人生に“試練”はついてまわる。それは人を磨くために神様から与えられた宿題のようなものである。
A その宿題には必ず解決策(答え)が隠されている。真剣に取り組めば答えは見つかるようになっている。行き詰まったときは、人事(自分ができる努力)を尽くしたうえで、あとは天(神様の無限の力)に任せれば、かならず解決策がみつかることになっている。その無限の力が働くことを信じることが大切である。
B 宿題から逃げても、同じ問題が必ず人生のどこかの局面で突きつけられることになる。つまり、解き終えるまでその宿題はなくならない。
C 一つの宿題を解き終えると、少しレベルを上げた次の宿題が出される。
D そのようにして、次々と試練を乗り越えながら、人は成長していく(させられていく)のである。
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