人生の目的は魂の進化
 2006年12月掲載分を再編集しました。
 

 シルバーバーチのスピリチュアルな法則』(フランク・ニューマン・著/近藤千雄・訳/ハート出版)の中から、第4章「魂の進化」の内容を抜粋してご紹介します。この章の要旨をひとくちに申しますと、「私たち人間はこの三次元の物質世界に生きていると同時に、異次元の幽界や霊界にも生きている霊体である」ということです。
 つまり、「私たちは死ぬことによって物質としての肉体を離れた後に初めて霊界に赴くのではなく、この肉体を持ったまま複体や幽体、霊体、本体と呼ばれる身体を持っていて、それぞれの波動(バイブレーション)の世界に同時に生きている」というわけです。
 ただ、この肉体を持って物質世界で生きている間は、物質としての肉体に拘束されて物質世界のことしか認識できないため、異次元に存在する他の身体を感知することができないのです。このことは、信頼できる多くの霊界通信が等しく述べています。
 「では、この物質世界は何のために存在するのか」ということになりますが、それは「人が魂を磨くためにもっとも適切な環境だから」ということなのです。霊としての私たちは、本来は同レベルの波動(バイブレーション)の世界としか交信、交流できないのですが、この物質世界に生まれ出ると、さまざまな波動レベルの他の霊たちと一緒に生活することができますので、人間関係をめぐる喜怒哀楽の体験の中から貴重な教訓を学び取って進化することができるということです。
 そういう意味では、私たちが今生きているこの物質世界は、まさに「魂の錬成道場」とも言える修行の場なのです。ですから、その修行を嫌がったり、耐えきれないといった理由で自ら命を断つ(自殺する)ことがいかに問題が多いかがわかります。勉強のつらさに耐えかねて人生学校からドロップアウトすることになるからです。
 もちろん、自殺をするような人は人生で人並み以上の難しい課題を与えられている場合が多いのかも知れません。かくいう私自身も、かつて学生時代に自分の生き方に自信を失い、自殺を考えたことがありました。しかし、後になって考えると、それは決して死を選ぶほどの重大な問題ではなかったことが理解できるのですが、その時は死ぬ以外に道はないかのように思えていたのでした。
 そういう精神状態を続けていると、波動が霊界の同種の精神状態にある霊や、たちの悪い低級霊と通じ合って、遺書も書かずに衝動的に自殺に踏み切るといった事態を招くことも考えられます。特に、終末期を迎えている今日では異次元との次元の壁が薄くなっていますので、そのように霊界の低い次元と繋がることの危険性が増えつつあります。要注意です。
 自殺に関しては、まだまだ複雑な問題が含まれていると思われますが、本日の結論は、「魂の進化のためには、この物質世界で悩み、苦しみ、難しい問題を克服していくことが必要なことである」ということです。最近では、「その悩みや苦しみから逃れ、楽に生きるにはどうすればよいか」という処方箋を説く書籍が出回っていますが、それは「人生学校での勉強をせずに、楽に卒業するにはどうすればよいか」ということを教えることであって、この宇宙の法則に反する行為といわなければなりません。
 このように、人生を楽に生きようとする心の習慣を身につけることによって、『大本神諭』や『日月神示』などで強調されている“身魂磨き”を敬遠し、安楽な道を追求する社会風潮が広がっているのは大変憂慮すべき事態なのです。
 なぜそのようなおかしな社会になってしまったかということには複合的な要因がありますが、これもひとくちに言えば、世の多くの人が、「人間の命はこの物質世界に生きている間だけのことである」という誤った認識を持って生きているためです。死後にも魂は生きていて、幽体や霊体などに姿を変えながら、現在と同じ意識を持って生き続けていくという事実を知れば、この世界での生き方も変わってくるはずです。そのことをシルバーバーチも力説しています。
 しかも、私たちはこの物質世界に生きているときも、魂自身は霊として幽界や霊界で同時並行的に生きているのだ、という点が本日の内容の大切なポイントなのです。
 それでは、シルバーバーチのメッセージにお目通しください。

 魂の進化

 生命は一つです。が、それにはいくつもの等級があります。人間は物質に勝ります。人間は精神と霊で成り立っており、その精神には精神的生活があり、霊には霊的生活があります。さらにこの物的世界を超越した超物質界に属するバイブレーションもそなえております。

 人間はその2種類の世界、すなわち今生活しているこの世と、いずれ赴くことになっているより大きな世界の、双方のバイブレーションを感知することができます。物質でできた身体と霊でできた身体、そしてその両者を結びつけるコードないしはライフラインがあります。

 あなた方が生き、動き、呼吸し、考え、反省し、決断し、判断し、思いをめぐらし熟慮するのも、霊の力のお陰です。あなたのなすこと全て、あなたの存在を形成するもの全てが霊力のお陰なのです。なぜなら、物質界の全て、あなたの物的身体も、霊的エネルギーの流入があるからこそなのです。

 皆さんには肉体の鋳型としてのエーテル体の身体(ダブル=複体)があります。が、これには筋肉とか胃液とか聴覚とかはそなわっていません。これは霊が肉体として顕現し有効に機能するための中継役的存在であり、死とともに、霊が次の段階の生活にそなえるための基本的な役目を終えます。

 それは程なくして脱け殻のように剥がれ落ち、代わって別の身体が用意されます。霊的純化の過程を重ねるためにはいくつもの身体が必要なのです。皆さんにはそのための身体が幾種類もそなわっています。

 人生の目的は進化であり、成長であり、成就です。進化するにつれて自動的に古い身体を捨てて、次の段階に必要な新しい身体をまといます。

 現段階においても、皆さんにはいくつもの身体がそなわっていて、それぞれの次元で顕現しているのです。肉体を捨てると今度は幽体をまといますが、それは地上生活中もずっとそなわっていて、その次元のバイブレーションで機能していたのです。肉体が今のあなた方には実感があるように、その次元においては幽体に実感があるのです。

 あなた方には複数の身体がそなわっています。それを幽体とか霊体とか本体と呼んでいます。到達した次元にふさわしい身体で自我を表現します。次の次元の階層へ行けば、それまでの身体は毛虫が脱皮するように脱ぎ捨てます。到達して発達段階にふさわしい形態で自我を表現するのです。そうした形で発展が無限に続くのです。

 見方によっては地上界も幽界の一部であると言えないこともありません。全ての階層が個別に仕切られているのではなく、互いに浸透し合っているからです。全宇宙の生命の全階層が互いに混じり合い、浸透し合っており、それに霊的側面、幽的側面、物的側面があるということです。今こうして地上で生活している皆さんも、同時に霊的世界とつながっていることになります。

 全生命は一つで、それに無限の進化の段階があるということです。あなたはいずれ霊界の住民となりますが、今この時点でも立派に霊界の住民なのです。要はバイブレーションの問題です。死んでから霊的存在になるのではありません。

 あなたは霊なのです。これまでもずっと霊でしたし、これからも霊であり続けます。今の自我意識は物的身体を通して顕現した部分だけの意識です。あなた方のおっしゃる“死”のあとさらに進化していくにつれて、それまで未開発の部分が顕現されていきます。しかし、霊そのものはどこかへ行ってしまうわけではありません。これからもずっと存在し続けます。

 もしも皆さんが、自分が肉体をたずさえた霊的存在であること、地上界が全てではないことを自覚してくだされば、賢明なるあなたは自然の成り行きで、未来の生活の場である死後の世界にそなえた生活を送るようになることでしょう。あなたの行為のすべてが、到達した霊的覚醒のレベルに似合ったものになることでしょう。

 オーラを霊視し、その意味を解釈できる人には、その人物の秘密のすべてが丸見えということになります。魂が今どの程度の段階にあるか、精神がどの程度まで発達しているかが分かります。要するに霊的進化の程度をオーラが物語っているのです。

 
あなたが口にしたこと、あなたが心に抱いたこと、あなたが行なったことのすべてが、オーラに刻まれています。外面をいくら繕っても、あなたの内部の本性をそのまま表しておりますから、オーラは言わば永遠の鑑定書のようなものです。

 皆さんと私たちの間では、常に何らかの思念を授かったり授けたりしています。私たちと同じ波長の次元にいる人間、つまり霊性が似通っている人間は、私たちが送る思念を受け取りますし、彼らもまた私たちに通じる意念を送ってきます。その波長は霊性の進化の程度によって決まります。

 結局皆さんは受信局であると同時に送信局でもあるわけです。思想や概念を自分一人でこしらえることは滅多にありません。ラジオにもテレビにもチャンネルないしはバイブレーション(周波数)というのがあり、それに合わせると聞こえたり見えたりするのです。

 
皆さんにも皆さんの波長があり、それと同じ波長をした霊たちから思想や概念、提案、インスピレーション、指導、その他もろもろのアイディアを受けています。それが皆さんの個性によって色づけされて放出され、また誰か別の人が受け取ったりしています。
―― 『シルバーバーチのスピリチュアルな法則』(ハート出版)


 少し解説しておきますと、「あなたが口にしたこと、あなたが心に抱いたこと、あなたが行なったことのすべてが、オーラに刻まれています」というのは、まさに私が拙著の中で説明している「身・口・意」の働きを述べています。
 私たちの言葉(口)、思念(意)、行動(身)が波動として、異次元はもちろんこの物質世界においても同種の波動と共鳴し、「類は友を呼ぶ」の法則によって異次元からその波動に似合ったモノを引き寄せてくることを表現しています。
 私たちが「身・口・意」によって発信した波動は、私たち自身のオーラに蓄積されているということです。それが良くない傾向の波動であれば、修正していく必要があります。良い波動か良くない波動かの判断は、私たちの良心つまり幽体、霊体、本体と呼ばれているなかの“本体”の波動に近いかどうかということでわかるといいます。
 それを短い言葉で言えば「自分さえよければよい」「この人生さえ愉しく生きられたらいい」という自己中心的な考え方が典型的な“善くない波動”で、それを神示では「我善し」「今善し」と表現しています。大切なのは、この物質世界に生きているときに「身・口・意」のコントロールができるように努力することなのです。それが身魂磨きの要諦であると言ってもよいでしょう。
 具体的には、まず不満や愚痴、他人の悪口などのマイナスの波動を口に出さず、またそのような心の癖をなくして、毎日を感謝の気持ちで生きるように努めることです。
 もちろん、人生は苦行をすることだけに価値があるというのではありません。拙著
『2012年の黙示録』(たま出版)では、「与える」「向上心」「楽しむ」といった内容を、波動を高める(身魂を磨く)うえで大切なポイントだと説明しました。
 簡単に解説しておきますと、「与える」は「自分が与えてほしいと思うものを他者に与える」ということです。新約聖書ではイエスの言葉としてそのことの大切さが強調されています。

  「向上心」は非常に幅広い意味での「自己練磨」ということを意味しますが、究極的には自分の心を鍛えるということです。心の中に湧き起こってくるさまざまな誘惑に負けない心、つまり信念を強くするということに集約されます。
  「楽しむ」は享楽を意味する言葉ではありません。「人生で遭遇する(体験する)ことは、どんなことでも楽しく受け止めなさい」ということを述べています。一見、不運と思えるような出来事にも、私たちの魂を磨くための絶妙の意味(「天の配剤」と言ったもの)が含まれていることがわかるからです。自分がほしいと思うものだけを引き寄せようとする「我善し」の気持ちでは、魂を磨き、波長を高めることはできないのです。人生で起こることはすべて意味があるということを信じて、それを乗り越えることに喜びを見出す気持ちでいれば、苦しいこともやがて楽しい思い出に変わっていきます。
  最後に、10数年前、記憶力のトレーニングを兼ねて丸暗記した小倉百人一首の中から、この内容に相応しい歌をご紹介して終わりたいと思います。

ながらへば またこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
   藤原清輔朝臣

 生きながらえたならば、つらいと思っている今日この頃も、なつかしく思い出されるのだろうか。あれほどつらいと思っていた昔が、今となっては恋しいのだから。
 (『百人一首(全)』谷知子・編/角川ソフィア文庫)

 
 
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