自殺者は霊界でどうなるのか
2006年12月掲載分を再編集しました 
 

 本日は、『古代霊は語る 〜 シルバー・バーチ霊訓より』(近藤千雄・訳編/潮文社/1984年刊)の中から、「自殺者は死後霊界でどうなるのか?」という質問に対するシルバー・バーチの回答をご紹介したいと思います。

 現在、わが国では子供の「いじめ・自殺」が大きな社会問題になっていますが、自殺者の圧倒的多数は大人であり、しかも最近では中年男性の自殺が増えていると言われています。自殺の理由と考えられるものもいろいろありますが、最も多いのが経済苦によるものです。「格差社会」と呼ばれ貧富の差による二極分化が進む今日の日本の社会においては、“IT長者”など「超」のつくお金持ちもいれば、企業のリストラによって職を失い、家のローンを支払うことができなくなってホームレスに転ずる人も後を絶ちません。
 中には大人の場合でも、「いじめ」などの人間関係を苦にしての自殺もあるとは思いますが、もっとも多いのが「経済苦」と見られているのです。ということは、今後に予測されているわが国の「財政破綻」などによって、国民の多数が経済苦に陥ることは十分考えられます。またエネルギー危機や食糧危機によってハイパーインフレなどが起こった場合、巷には日常の生活にも事欠くような人たちがあふれ出すことになるかもしれません。
 そのとき、人々は私が
『2012年の黙示録』(たま出版)の中で述べている「極限的状況」を迎えるのです。それは私流の解釈では「人の潜在意識の中身が表面化し、その人の本当の姿が明らかにされる時」ということになります。お金や地位など、今日の社会での安定した生活を保証してくれていたモノを失ったとき、本当の自分の心が明らかになるのです。たとえば、日頃は福祉施設に寄付をしたりして慈悲深い人と見られていたお金持ちが、食料不足の中では我先に食べ物を奪い取るといった見苦しい姿を露呈することもあるでしょう。
  あるいは、生きる望みを失って死を急ぐ人も増える可能性があります。まして、霊的な知識のない人は、「この世に望みは持てない」として、一家心中をはかる人たちもたくさん出てくると思われます。特に今日の日本では、お金に最大の価値を置いている「拝金主義」の人が増えていますから、そのお金が紙屑になっていく過程では、自殺者が相次ぐことは十分に予測されます。まさに、終末の時代には、人の心の内側(心の奥の奥にある潜在意識の中身)が表面化することになるのです。
 そのような事態を予測した内容を
『2012年の黙示録』(たま出版)の中から抜粋してご紹介します。

終末現象のなかで人は試される
 カタストロフィーというのは、何も天変地異だけを言ってるわけではありません。人為的な戦争なども考えられますし、もっとも注目しないといけないのは、一人ひとりの人間自身が生み出す終末現象なのです。たとえば、食料が十分に手に入らない事態になったときに、天変地異以上に恐ろしい事態が起こるかもしれません。限られた食糧を巡っての人と人の奪い合い、場合によっては暴力による略奪などの動きです。
 人が終末の時に「光の子」と「獣」とに分けられるといいましたが、この時に人は試されるのです。目の前の食料をめぐってどのような態度をとるか。それは私たちの心の奥深くに沈殿していたもう一つの心、私たちが自覚していない潜在意識が表面に出てくるのです。この潜在意識に影響を与えるのが、普段の心の使い方、そして言葉、食べ物なのです。(中略)

極限的状況で人の本性が明らかになる
 「本性を現す」という言葉がありますが、終末の極限的状況の中で、人は試されるのです。地位や立場が保証された中では悠然と、また慈悲深く振る舞えた人も、それらが失われ、自らの生命の危機に直面する段階になると、心の底に沈殿していた本来の自分が浮き彫りになってきます。「君子豹変」が十分に考えられるのです。自分の心の底にどのような本心が潜んでいるかは、平和な時代にはなかなか分かりにくいものです。(中略)

極限的状況の時に、人は仮面の下の顔を見せる
 これから(たぶん西暦2012年までに)すべての人がそれぞれの極限的状況を経験することになります。「光の子」になるか「獣」になるかは、それぞれの心の癖によって自らが選択するのです。まず食べ物を巡って争いが起こるでしょう。買い占めや略奪、ひどい場合は殺人、そして
自殺など、人は自らの本性を剥き出しにします。このように、今まで自分が拠り所としてきたものを失う事態のことを「極限的状況」と言います。
 財産、名誉、地位、権力、愛する人、健康、‥‥などなどを失いそうになったとき、あるいは失ってしまったとき、人の仮面の下の顔が白日のもとにさらされることになります。(中略)
―― 『2012年の黙示録』(なわ・ふみひと・著/たま出版)

 さて、前置きが長くなりましたが、ここでシルバー・バーチの霊訓に目を向けてみたいと思います。以下は、交霊会においてシルバー・バーチとの間に交わされた会話の内容です。

(問)
自殺した者は霊界ではどうなるのでしょうか。
シルバー・バーチ
) それは一概には言えません。自殺するまでにどんな地上生活を送ったかにもよりますし、どういう性格だったかとか、霊格の高さにもよります。何といってもその動機が一番です。キリスト教では自殺のすべてを一つの悪の中にひっくるめていますが、あれは間違いです。地上生活を自らの手で打ち切ることは決していいことではありませんが、中には情状酌量の余地のあるケースがあることも事実です。
でも、自殺してよかったと言えるケースはないでしょう。
 
それは絶対にありません。自分の生命を縮めて、それでよいはずはありません。しかし、「自殺した者はみんな、死んだ後は暗黒の中で何千年、何万年も苦しむ」という説は事実に反します
自殺行為は霊的進歩のさまたげになりますか。
 もちろんです。

「神は耐えきれないほどの苦しみは与えない」とおっしゃったことがありますが、自殺に追いやられる人は、やはり耐えきれない苦しみを受けるからではないでしょうか。

 
それは違います。その説明として、まずこれには例外があることから話を進めましょう。いわゆる精神異常者の場合、霊的に言えば憑依霊の仕業による場合があります。しかし、この問題は今は触れないでおきましょう。いずれにせよこのケースはごく少数なのです。
 大多数は、私に言わせれば「臆病者の逃避行為」にすぎません。果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れる一番楽な方法だと考えるわけです。ところが死んでも、というよりは死んだつもりなのに、相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が依然として自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを造り出して、それが外界との接触を遮断するのです。そうした状態のまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。
 しかし、既に述べたように、一番大切なのは「どんな動機で自殺したのか」ということです。ままならぬ事情から逃れるための自殺は、思惑通りにはいきませんが、動機が「利己主義」ではなく「利他主義」に発しているとき、つまり「自分がいなくなることが人のためになる」という考えに発しているときは、たとえそれが思い過ごしであったとしても、さきほどの「臆病心からの自殺」とはまったく違ってきます。
 いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分自身の手で自分の人生を書きつづっているのです。ごまかしはききません。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。だからこそ私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。
 いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になればかならず光が見えてきます。魂の内奥に潜む勇気が湧き出てきます。その時あなたはその分だけ魂を開発したことになるのです。霊界からの援助のチャンスも増えます。決して背負いきれないほどの荷物は負わされません。なぜならその荷物は自らの悪業がこしらえたものだからです。決して神が「この人間にはこれだけの荷物を背負わせてやれ」と考えてあてがうようなものではありません。
 宇宙の絶対的な法則のはたらきによって、その人間がそれまでに犯した法則違反の程度に応じて、きっちりとその重さの荷物を背負うことになるのです。となれば、それだけの荷物をこしらえることができたのですから、それを取り除くこともできるはずです。つまり、悪いことや間違ったことをした時のエネルギーと同じものを正しく使いさえすれば、それを元通りにすることができるはずです。

因果律のことでしょうか。

 
そうです。それがすべてです。
たとえば脳神経が異常をきたしてノイローゼのような形で自殺したとします。霊界へ行けば脳がありませんから正常に戻ります。この場合は罪はないと考えてよろしいでしょうか。
 
話をそのようにもってこられると、答え方に慎重にならざるを得ません。答え方次第では、まるで自殺した人に同情しているかのような、あるいは、これからそういう手段に出る可能性のある人を勇気づけているようなことになりかねないからです。もちろん、私にはそんなつもりはまったくありません。
 確かに、結果的に見ればノイローゼ気味になって自殺するケースはありますが、そういう事態に至るまでの経過を見てみると、やはりスタートの時点において「責任からの逃避」の心理が働いているのです。もしもその人が何かにつまづいたその時点で、「私は間違っていた。やり直そう」と覚悟を決めていたら、不幸をつぼみのうちに摘み取ることができたはずです。
 ところが人間というのは、窮地に陥るとつい姑息な手段に出ようとするものです。それが事態を大きくしてしまうのです。そこで神経的にまいってしまって正常な判断力が失われ、ついにはノイローゼとなり、自分で自分がわからなくなっていくのです。問題はスタートの時点の心構えにあったのです。

 ―― 『古代霊は語る』(近藤千雄・訳編/潮文社)

 いかがでしたか。大変説得力のある説明ではなかったかと思います。
 いまわが国で1年間に3万人もの人が自殺するという事態は決して放置できるものではありません。しかしながら、それを単に経済の問題としてとらえても本質的な解決にはならないのです。自殺は文字通り本人(自分)の心の問題に端を発していますし、最終的には自殺によって命を断った人が、霊界ではどのような状態に置かれるのかということが最も重要なテーマだと言えます。
 そういう意味で、このシルバー・バーチの霊界通信の内容は、ぜひ多くの人に広めていただきたいと思います。
 
 
[TOP]