『新カルマ論』(ポール・ブラントン著/大野純一・訳/コスモス・ライブラリー)の内容を抜粋して、私のコメントを挟みながらご紹介します。
この本の正式のタイトルは「真の自己責任と自己実現の教えとしての新カルマ論」となっています。このタイトルがカルマの意味するところを端的に表現しています。
カルマのことを「善因善果」「悪因悪果」といった因果応報の理として理解したり、あるいは最近ベストセラーになった本の影響で「原因と結果の法則」として理解している人も多いと思います。
昔の日本では、「悪いことをしたら罰が当たる」という言葉でカルマの法則を表現していたものです。「お天道様が見てござる」という表現も、ある意味ではカルマの法則を述べていると言えます。「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉も同じ意味ですが、「誰にも知られないところで行なった私たちの行為に対しても、きっちりと“報い”がある」という教えです。
その“報い”が本人にとって快いものであるか不快な内容であるかは、その行為の裏付けとなった「動機」にかかっています。たとえば、親がかわいい我が子の成長のために涙をのんで厳しく叱る場合と、親の言うことを聞かないことに腹を立てて感情の赴くままに叱る場合とでは、返ってくる“報い”は全く異なる内容になるのです。
前者であれば、成長した子供が親に畏敬の念を持って接することになるでしょうし、親の死後も墓前で感謝の気持ちを強く示してくれるはずです。その感謝の念は、霊界に行った親の霊格向上にプラスの作用をすることにもなります。
一方、子供への愛情からということでなく単に親としての面子のために感情にまかせて叱って育てた子供は、いつしか親に反発し、親に暴力をふるうような子供に育っていくかもしれません。
後者の場合、暴力をふるうようになった子供の反応を見て初めて、子供に対してどのような気持ちで接するべきであったかを気づかされることになります。カルマはこの「気づく」ということを促す作用ということができます。そのことによって身魂が磨かれ、自己実現をしていくというわけです。
極端な例を挙げますと、育て上げた我が子から感謝され、いたわられることになるか、暴力をふるわれ、虐待されることになるかは、子供の育て方に対して親が責任をとらされるという意味で「自己責任の法則」が働いています。そのことを通じて、子供を育てるにあたっての親としての問題点に気づき、反省し、懺悔する気持ちになれば、その人は魂が磨かれ、よりよき人になって(=自己実現して)いきますので、ここで「自己実現」ができるのです。
そういう意味を込めて、この本には長いタイトルがつけられているのでしょう。この長いタイトルの意味が、本文を読んでいくとよくわかります。
それでは、本文をご紹介しましょう。
カルマについての教えによれば、われわれの各々は内なる力と一定の自由を持っている。その力をどのように使うか――または使うか使わないかのどちらを選ぶか、それ次第で、その結果がずっと木霊(こだま)のようにわれわれの人生についてまわる、生きていくにつれて、木霊はますます複雑に鳴り響くようになる。
同様の選択が再三再四なされると、それは傾向になる。傾向は習慣になる、習慣的思考、習慣的感情、習慣的行動がわれわれの世界観全体を引き継ぎ、染め上げ、そして形づくる。
── 『新カルマ論』(ポール・ブラントン著/大野純一訳/コスモス・ライブラリー)
私たちがいま体験しているこの世界は、実はそれぞれ自分の心(正確には潜在意識)が作り出しているものです。ではその潜在意識の内容はどのようにして変えることができるのかと言いますと、同じような心の使い方を再三再四繰り返すことです。やがてその心の使い方は習慣となり、潜在意識の中に定着するというメカニズムになっているのです。
「感謝する」という心の働きを例に考えてみてください。「同様の選択が再三再四なされる」というのは、「いつでも、どんなことに対しても感謝をする」という行為を続けることを表しています。そうしますと、「それは傾向になる」そして「習慣になる」というわけです。つまり、感謝癖が身につくということです。
その結果は、感謝したくなるような出来事が「ヤッホーと叫べばヤッホーと返ってくる木霊のように」その人の人生についてまわるようになるのです。カルマとは、自分が投げたものが返ってくるということだからです。ただし、すぐに返ってくるのでなく少し時間差があるので、木霊をたとえに使っています。
新約聖書などでは「蒔いた種が芽を出す」という表現が使われていますが、これも使った心の結果が現実化するまでには少し時間がかかることを意味しています。そのために、自分が作った原因(心の使い方)と結果(出来事・運命)の関係がわかりにくいのです。しかし、じっくりと人生を振り返って見ますと、私たちの人生は過去において習慣的に使ってきた心の反映であることがよくわかるようになってきます。不満癖を持つ人にはどうしても不満に思う出来事が降りかかり、世の中や人を恨んで人生を終わることになります。
心は言葉や行為として表現されますから、その言葉や行為をコントロールすることも大切です。不満癖のある人は、まず「不満の言葉を口に出さない」ということを習慣にしなくてはなりません。あるいは不満が口に出たらすぐに打ち消し、感謝の言葉に置き換えることです。私が拙著『2012年の黙示録』(たま出版)でご紹介している「水に書いた文字」「砂に書いた文字」「岩に書いた文字」の意味をかみしめていただきたいと思います。
※『新カルマ論』の紹介と解説は今後も続けていく予定です。
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