怒りを持続させないこと
2012年7月掲載分を再編集しました 
 
  私が twitter に綴ってきたツイートのアーカイブ第2弾です。

 怒りのエネルギーは大きい

 人や組織、団体などを恨みに思うという心の癖を作らないために、「赦す」ことの大切さについて述べてきました。新約聖書でもイエスの言葉として「人を裁いてはいけません」と述べられています。「裁かない=赦す」ということで、同じ意味です。

 他を恨む心が根付きますと、そのことで自分の周りに恨みに思う出来事が次々と登場することになるのですから、恨む心は持たない方がよいのはおわかりになったことと思います。それでも他を恨みに思う場合は、その見返りとして自分に不幸な運命が訪れることを覚悟しなくてはなりません。「人を呪わば穴二つ」の原理です。

 「(人を)憎む、恨みに思う」という心の働きは、物理的な表現では「(心で)攻撃する」ということです。その攻撃心のカルマは何倍にも何十倍にも成長して、やがて攻撃した本人のところに返ってきます。自分の発信した念がブーメランのように加速されて戻ってくるということです。

 「(人を)赦す」「(人を)裁かない」ことの大切さは、倫理的な意味よりも、むしろ自業自得を避けるための処方箋だと考える方が理解しやすいでしょう。「自分が痛い目に遭いたくなかったら、他人を痛い目に遭わせることをしない方がよい」という簡単なルールです。

 新約聖書で「自分がしてほしくないことは他人に対してしてはいけない」という意味はここにあります。さらに一歩進んで「自分がしてほしいと思うことを他人に対してやってあげなさい」ということになります。「恨むより感謝せよ」という言葉で記憶しておきたいと思います。

 「恨む」「憎む」とよく似た波動として「怒る(腹を立てる)」という心の使い方があります。仏教では「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の「瞋(じん)」として、よくない心の使い方の代表とされています。

 「怒り(瞋)」のエネルギーは大変大きな力を持っています。「怒り」のエネルギーが潜在意識に蓄積されて行きますと、やがてますます怒りたくなるような出来事を引き寄せてくることになります。結局はブーメランのように戻ってきて自分自身を傷つけることになるのです。

 「すぐに怒る癖」「激しく怒る癖」が身についている人は、これからは大変痛い目に遭う可能性が高いでしょう。瞬間的に腹を立てることがあるのはやむを得ませんが、大切なことは、怒りの念を持続させないことです。仏教では、最上が「水に書いた文字」最悪が「岩に書いた文字」と教えています。

 怒りの気持ちを持続させないためには「赦す」という心の鍛錬(身魂磨き)が必要です。問題は「いつ(までに)赦したらよいのか」ということです。すぐに思い直し、相手に対して「あなたを赦します(私はあなたを裁く資格はありません)。裁きはすべて神さまに委ねます」と何度も何度も心の中でつぶやきましょう。これが「水に書いた文字」です。

 それでも、よほどの心の鍛錬をした人は別として、「水に書いた文字」は普通の人にはなかなかできない芸当でしょう。その場合は、せめて「砂に書いた文字」にチャレンジしましょう。砂に書いた文字は風が吹けば消えていきます。つまり、夜寝るまでにきれいに清算して、次の日に持ち越さないということです。

 眠りにつく前に、今日あなたを傷つけた人の顔を思い浮かべ、「それでも私はあなたを赦します。あなたが私を傷つけたことの裁きはすべて神さまに委ねます」と何度も何度も心の中でつぶやきましょう。

 それでも気持ちが収まらないときは、「この出来事は自分の気づきと進化のために必要なことなのだ。今はまだなぜ必要なのか理解できないが、必ずわかる時がくる。だから、あの人(出来事)を不満には思わないでおこう」と考えましょう。

 自分を傷つける人は、ほとんどの場合、自分に何かを気づかせるために悪役を演じてくれている人なのです。もちろん、当の本人にそのような気持ちがあるケースは少ないと思われますが…。

 「怒り」の対象となる人を赦す方法の3つ目。「あの人はまだ魂が未熟なために、私を傷つけるような行為をしたのだ。いつかは自分の未熟さに気づくことになるだろう。あどけない子どもがしたことは、腹が立ってもすぐに赦すことができるはずです。未熟に思える人に腹を立てるのは自分が未熟な証拠なのです。

 ですから、「私にもまだ未熟なところはあるはずだからお互い様だ。だから私はあの人を裁かない」。と考えるのです。実は、腹立ちを覚える他人の欠点は自分も持っているものなのです。自分が克服した欠点は、それを他人が持っていても腹立たしく思わないからです。大人が子どもの未熟さを見ても腹を立てることなく、むしろほほえましく思うのと同じです。
 
 
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