前回に続いて拙著『日本沈没最終シナリオ』(たま出版)のなかの「神示編」の内容をご紹介します。
青い文字は拙著『日本沈没最終シナリオ』の抜粋、黒い文字は、今回新たに書き加えた解説です。ご参考まで。
大峠になってからの改心では間に合わん
「大本神諭」や「日月神示」は、これから迎える終末の大峠において、人類はそれぞれの善くないカルマの清算をさせられると教えています。それは、私たちが新しい世界(ミロクの世、神の国)へと移り住むためには避けられない宿題なのです。
しかしながら、多くの人はそんなことには無関心で、毎日の自分の生活を維持することに心を奪われ、むしろ新たな善くないカルマを生産≠オているのではないでしょうか。子供のころ、遊びに夢中になっていて、夏休みが終わりに近づいてからあわてて宿題に取り組むことがありましたが、そういうことではもう間に合わないのです。残った宿題が多すぎて、とてもやり終えることができなくなります。大峠に差し掛かると、個人のカルマはもちろん人類や地球全体のすべてのカルマが一斉に噴き出して、世界は大混乱に陥り、心静かに身魂磨きに取り組めるような平穏な世の中ではなくなるからです。
そのことを警告するメッセージが「大本神諭」や「日月神示」には繰り返し出てきます。以下にその一部を抜粋してご紹介しますので、しっかり心に留めていただきたいと思います。
これだけ気をつけて(=警告して)いるのに、聞かずして、我と我が身が苦しみて、どんじり(=最後)で改心をいたしてももう遅いぞよ。厭な苦しい根の国、底の国へ落とされるから、そうなりてから地団駄踏みてジリジリ悶えても、「そんなら許してやる」ということはできんから、十分に落ち度のないように、神がいやになりても(=嫌がられても)人民を助けたい一心であるから、何と言われても今に気をつけるぞよ。(大本神諭)
「根の国」「底の国」は、大本では「地獄」のことを意味します。「人民を助けたい一心」という言葉は、親が幼い我が子の安全を気遣う姿と重なります。
めぐり(罪科償却)の出てくるのは、世界はこれからであるぞよ。高いところへ上がりて偉そうにいたしておりた人民、これからは気の毒なことに変わるぞよ。そこになりてから神に縋(すが)りたとて、聞き済みはないぞよ。(大本神諭)
「めぐり」に(罪科償却)という注釈がつけてあります。カルマ編を読んでいただいた方はわかると思いますが、「めぐり」は自分が他に与えたものが、めぐりめぐって自分に返ってくるという意味からきています。
「与えたものが自分に返ってくる」という意味をうまく表現した言葉に「情けは人のためならず」ということわざがあります。「人に与えた親切はめぐりめぐっていつの日か自分に返ってくる。だから、人のために親切にしているようでも実は自分のためになることなんだよ」という教えです。この場合は「善いカルマ」ということになります。
逆に「人を呪わば穴二つ」という言葉は「善くないカルマ」が返ってくることを表しています。わら人形に釘を打ち付ける「丑の刻参り」という呪法で人を呪い殺したら、その呪いの念は自分に返ってくるので自分も死ぬことになるというものです。そのため埋葬する「穴」が二つ必要になるよ、という警告です。
この神示の「めぐり(罪科償却)」は注釈どおり「善くないカルマ」のことを意味しています。人類全体でつくったカルマ、日本国民がつくったカルマ、個人がつくったカルマなど、さまざまな未償却の「善くないカルマ(罪科)」がこれから出てくるということです。
まずは、世界支配層が仕掛けた3つの時限爆弾によって日本全体が善くないカルマ(罪科)の償却をさせられますが、本当のカルマが出てくるのはそれからあとのことです。電気もない、食料もない、治安も悪化した社会で、日本国民が路頭に迷う姿が目に浮かびます。それが終末の試練です。その厳しい試練に負けず、しっかりと耐え抜かないといけないのです。
「高いところにあがりて」というのは社会的な地位の高さ、有名人、お金持ち、といったイメージです。自分は人生の成功者だと思って高慢になっている人は特に注意が必要という意味です。
「九分九厘になりたら、手のひらを返すぞよ」と申してあるが、そうならんと守護神も人民も改心をいたさんが、恐さ(ゆえ)の改心は真の改心ではないから、間に合わんぞよ。(大本神諭)
「手のひらを返す」のは神様です。最初はいろいろと人民のことを心配して助けようとされていますが、土壇場になってすがってきても助けようがないということです。ですから「手のひらを返したように態度を変えるぞ」という警告です。高をくくらないほうがいいと思います。生まれ赤子の気持ちで素直に身魂磨きに励むべきでしょう。
大峠の最中になったら、キリキリ舞いして、「助けてくれ」と押し寄せるなれど、その時では間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。皆おのれの心であるからぞ。今のうちに改心(するのが)結構。(日月神示)
このように、終末の土壇場ともなれば、大天変地異などに遭遇して誰もが神にすがるしかなくなるのです。その時になって、神様に命乞いをするような心の持ち方では、もはや救済することはできないとの警告です。
しかも、今回の魂の格付けは「末代のこと」なのです。つまり、未来永劫その状態が続いてしまうということです。今回の終末試験は卒業試験ですから、落第した人(魂)に再試験のチャンスはなく、その居場所が永遠に定まってしまうということです。場合によっては動物や昆虫のような生物と化し、そのまま固定されることになるのかも知れません。私が「高をくくってはいけない」と警告的に申しあげているのはそのためです。この項の最後に、そのことを伝えている神示をご紹介しておきましょう。
今度役目きまったら、末代続くのざぞ。神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ。悪も末代ぞ。(日月神示)
今度神の帳面から除かれたら、永遠に世に出る事できんのであるから、近欲に目くらんでせっかくのお恵み外すでないぞ。(日月神示)
「永遠に世に出ることができん」ということがどういう意味か推測してみましょう。
おそらく魂(霊魂)が霊界の低い階層(地獄的世界)に留め置かれることになるものと思われます。「根の国」「底の国」という表現もありましたから、間違いないではずです。これはずばり「地獄で苦しみ続ける」という意味です。
これまでは人の魂は、一度地獄的世界に行っても、やがてまた生まれ変わってこの世での修行(苦労)をすることでカルマの償却が進み、やがて普通の霊界に戻ることができるとされてきました。この世でいかに悪いことをした霊魂でも、永遠に地獄にとどまるということはないのが、これまでの生まれ変わり(転生)のシステムだったのです。
しかし、「ミロクの世」になると人は病気をすることはないため寿命も長くなり、生まれ変わるということはなくなる、と神示には述べられています。ですから、地獄的世界に行った霊魂は永遠に低層霊界で苦しみ続けることになるということです。
私も地獄的な霊界がどういうものかわかりませんので、ただ「苦しみ続ける」とだけ表現しておきます。要するに、自分の心(潜在意識)の波長が引き寄せる世界です。「恐怖心」は恐怖の世界、「恨み心」は怨念渦巻く世界、というように、奥の心(無意識)の波長が強調される世界です。いずれにしても、神様も口を酸っぱくしておっしゃっていますように、行かないほうがよい世界であることは確かでしょう。
次回は拙著『日本沈没最終シナリオ』の「陰謀編」のなかから「世界支配層」に関する内容を紹介します。世界を実質的に動かしている陰の超国家権力がいるという事実を確認していただきたいからです。タイトルは「大統領を処刑できる世界支配層」とする予定です。ご期待ください。
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