最善を尽くしたあとは
神に全託する
2020年6月17日(水) 
 
 
 本日も拙著『日本沈没最終シナリオ』(たま出版)のなかの「神示編」の内容を抜粋してご紹介します。「ほっとする内容」と予告しましたが、人によっては「ますます心が折れる」ということになるかもしれません。もしそうであれば、お詫びします。
 青い文字は拙著『日本沈没最終シナリオ』の内容、黒い文字は、今回新たに書き加えたものです。

 最善を尽くしたあとは、神に全てをまかせよ

 終末は善くないカルマの大掃除ですから、天変地異や外国の侵略、食糧危機など、心を痛める出来事のオンパレードとなり、つい心が折れそうになると思いますが、それでも自暴自棄になったり、自ら命を絶とうとしたりしてはいけないのです。最後まで耐える人(魂)を神は決して見捨てないからです。「闇のあとには夜明けが来る」という以下の神示で元気をもらってください。

 天道人を殺さず。食べ物がなくなっても死にはせぬ。ほんのしばらくぞ。木の根でも食うておれ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから心配するな。(日月神示)

 日月神示の神様は、世界支配層による「日本沈没テロ」によって日本と日本民族が直面する事態を、早くからお見通しなのです。木の根っこでも掘り出して食べなくてはならないような深刻な食料危機が訪れると述べられています。しかし、そのような事態は長くは続かないのです。漆黒の闇のあとには必ず夜明けが来るから心配しなくてよい、とおっしゃっています。遠方に明かりが見え始めました。

 富士はいつ爆発するのざ、どこへ逃げたら助かるのぞ、という心我善しぞ。どこにいても救う者は救うともうしてあろうが。(日月神示)

 どこにいても救う必要のある者は救う、ということです。救う必要があるのは「身魂が磨けている者」という意味でしょう。つまり、メグリ(善くないカルマ)の清算が終わった人です。
「どこへ逃げれば命(=肉体生命)が助かるのか」と考えるのは「我善し(自己中心主義)」で、身魂が磨けていない証拠だ、ともおっしゃっていました。では、首都直下地震や南海トラフ巨大地震の被災地にいても、身魂が磨けた人は心配ないのでしょうか。そう考える人があるかも知れませんが、この神示はそういう意味ではないのです。
 首都直下地震による建物の倒壊や火災に見舞われても助かるということであれば、まさに超能力者です。南海トラフ巨大地震の津波に襲われて、家が流され、波に呑まれても命が助かるという人も超能力者でしょう。
 新約聖書にはイエス・キリストが海の上を歩いたという記述があります。イエス・キリストは超能力者だったからです。終末の大艱難のあとは、選ばれた人はみなイエス・キリストと同じような超能力を発揮することになると言われているのです。
 しかし、大事なのは、それは「大艱難のあと」だということです。自分が選ばれた者かどうかがわかるのはその時ですから、その時まで生き延びることができるかどうかはわからないのです。
 つまり、日本に住んでいて、首都直下地震や南海トラフ巨大地震、あるいは富士山の噴火によって命(=肉体生命)を失うことがないのかどうかはわからないということです。ですからこの神示は、身魂さえ磨けていれば、そのあとに訪れる食料危機においても、助ける必要のある人は助けるぞ、という意味に解釈する必要があります。どんな大災害に遭っても肉体生命が助かるという意味ではないのです。
 自分が助かるかどうかが心配になるのは、身魂が磨けていない証拠だ、という神示もありましたね。
 身魂が磨けている人は、首都直下地震や南海トラフ巨大地震で直接の被害を受け、肉体生命を失ったとしても、この地球が「神の国」へ次元上昇するときは、肉体を持ったままの人と一緒に復活するのです。イエス・キリストが十字架に架けられて処刑されたあと復活したように、死後復活という形で生き返る人(霊)がいることが聖書には述べられています。「神の国(ミロクの世)」の住民となるのは、終末の大艱難で生き延びた人だけではないのです。そのことが新約聖書には「天(霊界)と地(この物質世界)から人(魂)を集める」と述べられています。
 ただし、日月神示の神様は「神が憑かるための肉体がたくさん必要だ」とおっしゃっています。次元上昇するときに、神様が身魂磨きの済んだ人(霊)に憑かって、大きなはたらき(奇跡)をされるからです。
 神と人とが一体となって「神一厘の仕組み」が成就するので、やはり身魂の磨けた人(霊)の肉体がたくさん必要なのです。
 いずれにしても、神が憑かることのできるような魂になっておくことが大切で、その結果、この世での命(=肉体生命)が助かるどうかは問題ではないということです。すでに十分に身魂が磨けて、メグリ(善くないカルマ)は残っていないという自信のある人は、巨大地震や富士山の噴火によって被災する可能性の高いエリアにいても心配しなくてよいでしょう。命(=肉体生命)は失っても、最後は復活させてもらえるからです。
 ただ、そこまでの自信がない人は、やはり自分の命は自分で守る努力をする必要があります。当然、深刻な被害があると予測される場所からは離れて身を守る努力をすべきです。「君子危うきに近寄らず」という言葉の通りです。
 結論としまして、この神示のなかの「救う」という意味は「肉体生命を助ける」という意味ではない――と私は解釈しています。

 外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来られる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ。(日月神示)

「岩戸を開く」というのは、日本の神話に出てくる話ですが、これは終末の大艱難(大峠)のあとにこの地球とともに生ある物が次元上昇することを意味しています。「神の国(ミロクの世)」がスタートすることを端的に表現した言葉です。
「掃除をする」=「心の掃除・洗濯をする」=「身魂磨きに励む」です。善くない心のクセの修正が必要ということで、日月神示の神様が一貫して述べておられることです。
 それでも、やはり「ついてこられる人民は少ない」と述べられています。西洋の「学」に惑わされ、自分の肉体生命に執着してこの世での欲得に目がくらんでいる人、この世の愉楽から心を解き放つことができない人が多いということでしょう。

 神はこの世におらんと臣民申すところまでむごいことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の代近づいたのぞ。(日月神示)

 身魂が磨けた人は神様が楽をさせてくださるわけではありません。やはり人類や日本民族の善くないカルマを一掃するためには、多くの人と一緒に「この世に神様はいないのか」と思うようなむごい体験をしなくてはならないのです。巨大地震の被災地にいてもいなくても、その覚悟はしておかなくてはなりません。

 神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくした後のことじゃ。(日月神示)

 最終的に、身魂さえ磨けていれば心配は要らないのです。日本の神様の言葉を信じましょう。信じる者は救われるのです。ただし、自分が最善を尽くすことが必要で


 もっとも大切なのはこの神示です。
 最後は神様に全託(=運命をすべてお任せする)としても、自分のできる努力はすべて行なう必要があるということです。くどいようですが、大本神諭や日月神示の神様が「日本人は肉は食べてはならん」と口を酸っぱくして警告しておられるのに、「肉は美味しいし、栄養もあるから食べていいじゃないか」と考えて肉食を続けている人は、「最善を尽くした人」とはならないでしょう。神様はすべてをお見通しなのです。もっと謙虚になり、真摯に努力することが大切です。これから迎える終末においては、西洋の「学(=栄養学、医学、科学」)に惑わされてはいけないのです。

 いかがですか。前方に明かりが見えてきましたか?
 それとも乗り越えられない高い壁が見えてしまいましたか。これから漆黒の闇が始まる時ですから、まだ明かりは見えていないのです。でも、夜明けが必ず来ると信じて、自分にできる最大の努力をする覚悟が必要なのです。「神様、ちゃんとお祈りするから助けてね」という気持ちの人は、神様といえども助けようがないのです。
 「善い」と思うことを一つずつ着実に実行すると決意しましょう。

「身魂磨き編」をもう少し続けます。そのあとは「覚醒編」に進み、最後は「Xデー」に備えての「カウントダウン編」を書き下ろしていきたいと考えています。
 次回のタイトルは「終末には人の二極分化が進む」の予定です。
 
 
ご意見・ご質問はこちらへどうぞ
個別に回答はいたしませんが、
「つぶや記」に反映させていただきます。 
 
 
[TOP]