命を預けることによって
恐怖心を克服する
2020年6月19日(金) 
 
 
 本日も引き続き拙著『日本沈没最終シナリオ』(たま出版)のなかの「神示編」の内容をご紹介します。「神示編」はこれが最後になります。
 青い文字は拙著『日本沈没最終シナリオ』の内容、黒い文字は、今回新たに書き加えたものです。

 極限的状況のときに、人は仮面の下の顔を見せる

 ここでさらに「恐怖心」について考えてみましょう。
 物質界に生きる私たちの潜在意識の中には誰もが「恐怖心」を宿しています。それは、人類が長い間に蓄積してきた集合意識とも言えるものです。この集合意識に蓄積された人類意識の中には「恐怖する気持ち」が蓄積されていると思われますので、私たち一人ひとりの潜在意識もその影響を受けるのです。
 それは、「ホモサピエンス」という種を守るために身につけた本能であり、もともと人類がこの物質界で生き伸びて魂を進化させていくために必要な心の働きでもあるのです。そういう意味では、この肉体生命を失うことに恐怖心を持ち、その結果として生命そのものを大切に思う「心の癖」を持っていることは大変意味のあることなのです。
 自分の命と同じように他の人の命を尊重し、また人間に限らずこの地球に棲息するすべての生き物の命を大切に考えるようになるための入り口として、私たちが自分の命を失うことに恐怖心を持つことは、決して間違った心の持ち方ではないのです。むしろ、自分で自分の命を絶ったり、他の人や生き物の命を粗末に考えるような「心の癖」を身につけることのほうが問題なのです。
 しかしながら、この終末の土壇場においては、私たちが本能的に持っている「命を失うことの恐怖心」そのものを手放すことが求められているのです。
 「命を大切にする(尊重する)」ということと「その命に執着しない」という、一見矛盾するような心の整理が求められることになります。その答えをひとくちに申しますと、「命を預ける」ということです。「この命をどうぞお使いください」という心境と言ってもよいでしょう。
 では、私たちは誰に、何者に、この命を預けるのでしょうか。
 これが今回の結論となります。私たちが、これから遭遇するさまざまな試練にたじろぐことなく、覚悟を決めて終末のカタストロフィーを乗り越えていくためには、「命を預ける」という心の状態を作り上げる必要があるのです。
 命を預ける相手とは、もうおわかりかと思いますが、私の表現で申しますと「宇宙絶対神」「スーパーパワー」ということになります。この宇宙全体を司る「法則」「力」、そして「愛」の波長そのものと言われる神様のことです。
 そのような神様の存在を信じ、この物質世界を生きるために必要な肉体生命を預けることができるかどうか――このことが終末における身魂磨きの最も重要なポイントであると確信しています。これこそが終末期における「恐怖心」を克服する唯一の方法と言ってもよいでしょう。

 「日月神示」には、次のような言葉が述べられています。

 どこにどんな事していても、助ける人は助けるのざぞ。神の御用ある臣民安心しておりてくだされよ。(日月神示)

 ミタマ(身魂)磨けておれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ。ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ。(日月神示)

 これから間もなく訪れると思われる終末の大動乱に備えるために大切なことは、核シェルターを準備したり、地下都市に隠れたりすることではなく、「ひたすら身魂を磨いておくこと」なのです。要するに「心の問題」として対処することが大切だということです。身魂磨きによって心の中の掃除ができていれば、どこにいようと、どんなことをしていようと、助ける人は助けると「日月神示」の神様が保証しておられます。そのためには、「善い」と感じたことを先送りせずに「直ちに行なうこと」とあります。このことに関しては後の章で詳しく説明します。


 この世で手に入れた物質的な「富」、そしてその「富」を手に入れる時に魔法のように力を発揮する「お金」――これが物質世界での「幸せ」をはかるバロメーターでした。だから私たちは目先の多少の苦労もいとわず、せっせと「お金」を稼ぎ、貯蓄し、それを増やすためにいろいろ心を砕いてきたのです。
 その「富」の象徴としての財産が、そしてその財産の象徴としての「お金」が、これからあっという間に無価値になっていくのです。終末とはそういうことです。この物質世界で価値があると思ってきたものが、一瞬にして力を失ってしまうのです。
 同時に、この世での名誉や地位もすべて力を失ってしまいます。
 そのような、いわば極限的状況で、人は気づかされるのです。いや、気づかないといけないのです。本当に大切なものは何であったのかということに――。
 そして、最後に直面するのは私たち自身の命が奪われるかもしれないという恐怖でしょう。
 巨大地震の直接の被害がなくても、首都東京が壊滅し、日本の産業の中心地帯が津波で洗われてしまえば、日本は深刻な物不足となり、食料危機が訪れることは避けられません。
 食べる物が手に入らない状況で、多くの人が自分や家族の「死」を予感することでしょう。もちろん私もその当事者のひとりです。
「死ぬかも知れない」という恐怖心に直面したときに人は試される、と述べてきました。そのとき人は二極分化するのです。奥の心(無意識)の中身をあらわにするのです。
 神示編の最後に「恐怖心をどう克服するのか」ということについての私の考え方を述べ、それを裏付けするような日月神示をご紹介しました。
 十分に身魂が磨けているかどうかは自分では判断できませんが、「善いと感じたことをただちに行なう」ことは誰でもできることです。それを先送りしたり、多少の「学(知識)」で判断して取捨選択する人は、最後は恐怖心で身動きとれない自分を見ることになるでしょう。
 善いと思ったことを素直に実行しつづけて、最後はこの世で価値あると思ってきた物への執着心を捨て、命さえも神様にお預けすること――これが本日の結論でした。
 それは「命乞い」することではありません。自分の肉体の命をどうされるかは神様にお任せして、自分は精いっぱい生きる(身魂を磨く)努力をするという決意を固めることで、「死」の恐怖は克服できるはずです。それが終末の時代における正しい生き方であると確信しています。

 次回からは拙著『日本沈没最終シナリオ』の「覚醒編」の内容を抜粋してご紹介します。お説教臭い内容になると思いますが、どうぞおつきあいください。
 
 
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