人生の登場人物に
お礼を言いましょう
2020年6月21日(日) 
 
 
 拙著『日本沈没最終シナリオ』(たま出版)のなかの「覚醒編」の内容をご紹介します。終末の時代においては、私たちの個人のカルマだけでなく、国単位、人類全体の集合的無意識が作ってきた集団のカルマも一度に現象化してきます。
 善くないカルマは人類が心を痛める出来事として表出しますので、自然災害やテロ、戦争、暴動、内乱、各種凶悪犯罪などとして体験させられることになるのです。時間のスピードがますます速くなりますので、そのような心を痛める出来事の起きる頻度が高くなり、規模も大きく激しくなっていくのです。そして、最後は「一度にどっと出る」という形で、地球全体が大規模な異変に巻き込まれるという形をとる、と各種予言は語っています。
 世界のひな形としての日本がまずその大異変のきっかけをつくることになりそうです。それが人為的なものであれ、純粋な自然災害であれ、カルマの表出(現象化)という意味では同じことなのです。
 日月神示にもあるとおり、「悪」が日本民族のつくってきた善くないカルマの表出のきっかけをつくってくれるということです。「悪には悪のご用がある」ということです。維新後、そして戦後、急激に劣化した(させられた)日本民族の「うみ」を出す役目をしてくれるということです。
 私たち個人も、それぞれに善くないカルマという「うみ」を大なり小なり「奥の心(無意識)」にため込んでいます。
 これから地球全体の洗濯が行なわれますので、その「うみ」はきれいさっぱり出してしまわないといけないのです。その「うみを出す」という現象が、これから私たちに降りかかる苦難の数々ということになります。それを恐れることなく、嘆くことなく、恨むことなく、淡々と受け止め、新たな「うみ」をつくらないことが大切なのです。日月神示の神様の言葉にあった「悪想念」をつくらないことです。
 今回から、まず過去の「悪想念」の在庫を一掃する方法を述べていきます。

 青い文字は拙著『日本沈没最終シナリオ』の内容、黒い文字は、今回新たに書き加えたものです。

@ 天の蔵に積んでしまった善くないカルマの在庫を一掃する。(借銭済まし)

 時間の渦が中心点に近づくにつれ、現人類が天の蔵に積み上げてきたゴミ(善くないカルマ)がこの世界に形となって現れるスピードが速くなりますので、個人にとっても社会にとっても国にとっても、そして世界の人々にとっても、心を痛めるような出来事が次々と襲いかかってくることになります。
 日本の国の善くないカルマは、いま世界支配層が計画している人工地震・津波テロと、それに続く中国の武装難民による略奪等によって一掃されることになると思われます。私たちは、そのような一連の善くないカルマの大掃除現象を、恐れることなく、悲しむことなく、冷静に受け止めることが大切です。恐怖心や怒り、憎しみの「身・口・意」を発信することによって、新たな善くないカルマを積み上げれば、世の中の混乱はさらに深まっていくからです。

 それでは最初に、自分がどのような善くないカルマを天の蔵に積み上げているかを知って、そのカルマが現象化する前に解消をはかる方法をご説明します。いわば善くないカルマの先食いとでもいうべき方法です。

 これまでの人生に登場した嫌な人の顔を思い浮かべて、お礼を言いましょう。

 子供時代からの過去を振り返り、記憶に残っている出来事と、その時々の登場人物の顔を思い浮かべてみてください。仲の良かった友達、喧嘩をした友達、大好きだった先生、自分をいじめた嫌な先輩など。その中に、顔も思い出したくないほど腹立たしい人はいませんか。「あの人だけは許せない」と、未だに怨みに思っている人がいれば、あなたの潜在意識には善くないカルマが大量に蓄積されており、今もなおその在庫を増やしていると思って間違いありません。
 すでにその人と顔を合わせることがなくても、潜在意識はあなたが「もうこれで終わり」という新たな命令をくださない限り、一度癖をつけられた命令をいつまでも守り、その心の癖を強化していくのです。もしそのような人がいれば、すぐにその人を赦してください。
 「赦す」の反対は「裁く」です。あなたがその人を赦さなければ、心の中で裁いている(断罪している)ことになります。そして、裁く人は裁かれるのです。それが善くないことなのです。「第四章/カルマ編」で「丑の刻参り」の例を紹介しましたが、呪って人の命を狙うことに比べれば程度は軽いにしても、カルマの働く原理は同じです。新約聖書でも、「人を赦さなければ、天の父もあなたを赦されないだろう」ということがイエスの言葉として述べられていました。「裁いてはいけない。自分が(神から)裁かれないためである」と。
 「赦す」という第一段階が済んだならば、次は「詫びる」のです。何を詫びるのかと思われるでしょう。これまで潜在意識の中で裁き続けたことを詫びるのです。無意識ではあっても、相手を傷つける矢を放ち続けていたわけですから、その同じ矢がカルマの働きによって自分に向けられないようにするためには、しっかり詫びておく必要があります。
 かなりの年月が過ぎて既に思い出のフィールドの落ち葉の下に隠れてしまっていたとしても、その落ち葉をかき分けてみるとやはり不愉快な姿で現れてくるわけですから、その間に膨大な「善くないカルマ」が蓄積されているのは間違いないのです。途中で自分の運命にマイナスの作用をする形で少しはそのカルマを消化してきたとしても、いまなお天の蔵にはたくさんのカルマが積まれていると考えるべきでしょう。「岩に書いた文字」となっているのです。
 最後にさらにもう一段階、努力していただく必要があります。それは「お礼を言う」ことです。自分を不愉快な気持ちにさせた相手に対して、とてもお礼など言えないのが普通でしょうが、それでも、相手の行為には、あなたに何らかの気づきを与える働きがあったはずです。いま冷静な気持ちでそのときの情景を振り返ってみれば、自分の弱点を教える働きが見つかるに違いありません。その弱点に気づくことができれば、残っている善くないカルマの在庫は一掃されるでしょう。いくらかは「小難」という形で身に降りかかるとは思いますが。


 悪質なセクハラ、パワハラが一般的になった今日の日本社会においては、人はそれぞれに傷つけ合って、恨みや憎しみの念を生み出す原因をつくっていると思われます。感謝よりも恐怖や憎しみの気持ちが強い社会と言えるでしょう。
 まして、今回の新型コロナ騒ぎによって、「人とは距離をおきなさい」と、スキンシップを忌避するような社会規範がまかり通る時代になっています。パソコンやスマホの中の写真と向き合うことで、人との直接の接触を避けることが賢明だと教える社会になりつつあるのです。
「人を見たら泥棒と思え」と教えられた時代がありましたが、今は「人を見たらウイルス(感染者)と思え」と言わんばかりです。
 マスコミの煽動に乗せられやすい日本人は、そのようなおかしな規範を自ら遵守するだけでなく、それをせっせと他人に強要する有様です。このように、御しやすい、操りやすい民族の末路はどうなるでしょうか。このままでは、日月神示にあるように、八分(80%)の人間が救われない世界に行くことになるでしょう。
 隣人を忌避する日本に未来はありません。まずは、奥の心(無意識)にある「他人を恨みに思う心」「他人を憎む心」「他人を許さない心」を見つけ出して一掃しましょう。それが今回の結論でした。

 次回も「善くないカルマ在庫の一掃」について述べた内容をご紹介します。タイトルは「人生の嫌な出来事に感謝しましょう」です。
 
 
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