逆境(不運な出来事)を
楽しみましょう
2020年6月23日(火) 
 
 
 前回に引き続き拙著『日本沈没最終シナリオ』(たま出版)のなかの「覚醒編」の抜粋で、今回は「悪想念を残さないための処方箋」というべき内容です。
 青い文字は拙著『日本沈没最終シナリオ』の内容、黒い文字は今回新たに書き加えたものです。

 逆境(不運な出来事)を楽しみましょう。

 個人の善くないカルマが形をとるときは、この世界では病気や事故、仕事の失敗、人間関係のもつれなど、不運と思える出来事、嬉しくない出来事となって現象化します。「その人の弱点に気づかせる」というカルマの法則が働くからです。
 自分に降りかかった不運な出来事に反応して、不満に思ったり、怒ったり、悲しんだりすると、再び同じような善くないカルマを天の蔵に積み上げることになります。そのカルマは繰り返し形をとって降りかかってきますので、善くないカルマが循環していくのです。どこかで悪い流れを断ち切るには、自分に降りかかる不運な出来事が何を気づかせようとしているのかを考え、決して不満に思わないことです。特に、他の人と比較して「自分はなぜ運が悪いのか」という考え方をすることはよくありません。人それぞれにカルマの種類も違いますし、その表れ方も違うからです。荷物をたくさん背負うだけの体力(生きる力)がある人には、一度にたくさんのカルマの在庫を背負わされますが、そういう人は、「これで在庫が減った」と考えればよいのです。そして、新たなカルマの在庫を増やさないためにも、現在の境遇に不満な気持ちを持たないことです。
 要するに、不運な出来事に遭遇した時は「すべて自分の進化のために必要なことが起こっているのだ」と考えることが大切です。そのように対処していると、不運な出来事の意味、すなわち何を気づかせようとしているのかということが必ず分かる時が来ます。


 前回は「過去に作った善くないカルマを償却する方法」をご紹介しました。忘れたつもりの過去のいやな出来事の記憶は、善くないカルマを育てて人生の不幸の種となる。だから、「いやな出来事を思い出して、その評価を変えなくてはいけない――という内容でした。
 今回は、いま直面している様々な逆境(いやな出来事)をどう受け止めるか、ということを述べています。病気や事故、仕事の失敗、人間関係のもつれなどは、普通であれば避けたいこと思うのが人情です。
 神頼みをする場合も、「無業息災」「家内安全」「商売繁盛」「夫婦円満」など、それとは反対のことを祈願します。しかし、いくら神頼みをしても、病気をしたり、けがをしたり、商売かうまくいかないといったことは日常茶飯事のように起こるのが実情です。
 そのとき、どのような心の持ち方をすればよいのかということが今回の内容のエッセンスです。すばり「不運な出来事を楽しみなさい」と言っているのですが、それはなぜでしょうか。決して「やせ我慢をしなさい」と言っているわけではありません。
 それを理解していただくために、以前にご紹介視した日月神示を再掲しますので、もう一度じっくりと味わって読んでください。

 損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。それによってメグリ取っていただくのぞ。メグリなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済ましぞ。世界のメグリ大きいぞ。(日月神示)

 この道に入ると、損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、またメグリが一時に出てきて、その借銭済ましをさせられているのじゃ。借りたものは返さねばならん道理じゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。(日月神示)

「損もよい」「病気もよい」と繰り返しおっしゃっています。損も病気も、普通は「不運な出来事」として避けようとします。しかし、それは避けないほうがよいことなのです。なぜなら、それによって「必ず払ってしまう必要のある借銭(善くないカルマ)を払っている」ことになるからです。借銭が残っている間は不運な出来事が次々と起こりますが、逆境を体験することによって借銭済ましができれば、つまり善くないカルマを償却してしまえば、「日本晴れ」のような快適な人生が待っているということなのです。
 逆境は、その「日本晴れの人生」にたどり着くまでに必ず乗り越えなくてはならない峠だと思い、いやがることなく、むしろ楽しむつもりで乗り越えるほうがよい、――というのが本日の結論です。

 次回のタイトルは「肉を食べる習慣をやめましょう」の予定です。この言葉を聞いただけで読みたくない気分になる方は、ずばり「危ない人」です(笑)。たとえ多数派であったとしても、です。
 ――と挑発しておきます。ぜひ避けずに(逃げずに)ご一読ください。
 
 
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