前回までは、過去の善くないカルマの在庫を減らす(先食いする)方法、および現在作りそうになっている善くないカルマを作らないようにする、ということについて考えてきました。
つまり、マイナスを減らす方法、新たなマイナスを作らない方法に関する処方箋でした。
今回からは、逆に「いかにブラスを増やすか」という観点からの身魂磨きについて考えていきます。「善いカルマづくり」についての処方箋ということです。
以下は、拙著『日本沈没最終シナリオ』の「覚醒編」から、そのことに関する内容を引用したものです。
それでは、次は「天の蔵に善いカルマ貯金をする」項目です。
A 天の蔵に善いカルマの在庫を増やす。(善のカルマ貯金)
善のカルマを増やすキーワードは「与える」ということになります。新約聖書の中でも「与えなさい。そうすればあなたも与えられるでしょう」というカルマの法則が述べられています。大切なことは、誰に(どんな相手に)、何を与えたらよいのかということです。
あなたの持つ「価値あるもの」を世の中に与えましょう。
「価値あるもの」とは何でしょうか。他の人が喜ぶものです。もちろん、与える対象は「人」だけとは限りません。植物を含め、生きとし生けるものに、あなたは与えることができるはずです。
「価値あるもの」と言われて、すぐに「お金」を思い浮かべる人は、これからの世の中では通用しなくなります。お金以外のもので、あなたが与えられるものとして何があるか考えることから始めてください。あなたがもらって嬉しいと感じるものです。カルマの法則を生かすならば、「自分が人にしてほしいと思うことを、人にもしてあげなさい」ということになります。
仏教では、「無財の七施」という教えがあります。「施す」とは「与える」こと、「財」はお金ですから、「お金以外のもので与えて喜ばれる七つのもの」という意味です。「やさしい言葉」「にこやかな笑顔」「席を譲ること」「優しい心配り」などがあげられています。
まずは人と出会ったときの「にこやかな笑顔と挨拶」から実践してはいかがでしょうか。人の心を温かくするような素晴らしい挨拶ができれば、天の蔵にたくさんの善いカルマが積み上げられ、それは日本人全体の善いカルマとなって、この国の進化にも貢献していくことになります。もちろん、この国のことだけを考えるのでなく、世界の他の国の人たちのことを考えていろいろと行動することはさらに価値のあることです。
ただし、自分が与えたことを人に知られたいと思ったり、自慢したり、心の中で満足感に浸っているようでは、天の蔵の善いカルマは増えていかないのです。各神示も新約聖書も、「人に知られずに善いことをしなさい」と教えていました。せっかくの善き行為が無駄にならないように注意しなくてはいけません。
他者に与える場合に気をつけなくてはいけないルールの一つが、最後に述べている「自慢しないこと」です。自慢する気がなくても、人に知られればせっかくの善き行為も善いカルマを積むことにはならないのです。
そのことの延長線上にある重要なことが「決して見返りを期待しないこと」です。
「報い」を計算しての行為は価値が低いのです。というか、無価値もしくはマイナスの価値と言っても良いでしょう。
見返りを求めるのでなく、与えたら人に喜んでもらえるものを自分が持っていることに感謝する気持ちが大切なのです。
笑顔を例にとって考えてみましょう。人があなたの笑顔を期待しても、あなたが笑顔を作れなければ与えることはできません。無理をして笑顔を作ろうとすると顔が引きつって、逆に恐い顔になってしまう人だっているのです。ビジネスの場合は、口に割り箸をくわえることからはじめ、鏡を見ながら繰り返し繰り返し笑顔づくりの訓練をします。そのくらい、人を喜ばせるためには技術や訓練が要るということです。
その技術が既に身についているのであれば、大いに使わなくてはいけません。「笑顔を与える」ということです。仏教で言う「和顔施(わがんせ)」になります。
このように、与えたら喜んでもらえるものを、まずは人に与えることが大切です。人が喜ぶかどうかの判断は、自分をその人の立場に置き換えてみればよいのです。自分がその人だったら、何をもらったらうれしいと思うだろうか、と考えてみることです。
善悪の判断はすべて、自分が受け取って心地よいものが「善」、不愉快に感じるものが「悪」でよいのです。最初はひとりよがりで一般的でないところがあったとしても、その気持ちで努力しているとちゃんと善悪の基準が整ってくるものです。
次回は「善いと思ったことはすぐ実行しましょう」というタイトルにする予定です。
現在過去の「つぶや記」をまとめた「2020年8月/首都直下・南海トラフ/日本消滅」の校正(一部手直し)中です。6月中に完成させ、皆さんにもご協力いただいて拡散したいと思っています。そのことに注力していますので、「つぶや記」のほうにあまり時間が割けません。
拙著の紹介中心の内容になっていますことをお詫びします。
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