「お金をほしがる癖」は
欲を助長する
2020年6月29日(月) 
 
 
 お金は人間の「欲」の象徴です。昔はお金に執着する人を「守銭奴」と呼んで、多少の軽蔑的意味合いが込められていました。今は「守銭奴で結構、金持ちが勝ちだ」という世の中です。
「お金で人の心も買うことができる」と豪語するホリエモンのような人まで出現するようになりました。資本主義(欲望主義)社会のなれの果てという感じがします。
「欲」は善くないカルマを作ります。「欲」は基本的には「我欲」から始まり、ほとんどの人が「我欲」で終わります。自分や自分の家族、自分の会社の利益のために、他を犠牲にすることもいとわないという生き方です。
 神示は、それを「我善し」として戒めているのです。「我善し(利己主義)」とは「自分が得をしたい、楽をしたい」という考えで、私はこれを「楽得思考」と呼んでいます。「楽をしたい、得をしたい」という考えを表現した言葉です。「人生での苦労は避けたい、損になることはしたくない」という意味でもあります。
 今ではほとんどの日本人が「楽得思考」の生き方を選んでいると見ています。
「楽得思考」の反対が、他者の幸せや喜びのために損をしたり、苦労をしてもかまわないという生き方です。一口に「利他」と表現すると誤解されやすいのですが、もっとも価値のある利他とは、他人からの感謝や賛辞が得られない形の行為を言います。
 たいていの場合は、他人のためにしたことは必ずお礼や賞賛が得られますので「天の蔵」に善いカルマを積むことにはならないのです。この世で報酬を受けてしまうからです。
 現代の資本主義そのものが「利己主義」を基本理念としていますので、「利他」の考え方は影が薄くなっています。
 たとえば「経済の発展のための投資」という名目の「株」は、楽をして自分の手持ちのお金を増やすための手段でしかありません。できれば一番高いときに売り、最大の利益を上げるために買うものです。売ったあと、その株が下がれば、よいタイミングで売却したと喜ぶのが普通でしょう。その株を買った人が損をしていることは自分の責任ではないと考えるからです。要するに「自分が儲かることが大切で、その結果、他人が損をするかどうかは関係ない」という「我善し」のシステムと言えるでしょう。
 そして「株」などの投資によってうまくお金を増やすことのできる人は「成功者」としてあがめられます。これが拝金主義社会なのです。虚業の成功者がちやほやされるのは、「欲」の象徴としての「お金」が神様のように尊重される社会だからです。
 しかしながら、いずれ「拝金主義」の考え方は崩壊する運命にあります。それが終末なのです。これから日本を襲う巨大地震は必ず世界大恐慌を引き起こします。そもそも世界大恐慌を起こすことが世界支配層の目的であり手段だからです。彼らが望む形で世界統一政府が樹立されるかどうかはわかりませんが、ハイパーインフレによって世界中のお金の価値が暴落するのは確実でしょう。人々がせっせと蓄えていた「お金」というこの世の神様が力を失ってしまうのです。
 イエス・キリストは早くからそのことをお見通しで、次のように戒めています。以下の青い文字の文章は拙著『日本沈没最終シナリオ』(たま出版)の「新約聖書編」の抜粋です。

 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはなりません。むしろ自分のため、虫も食わさず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すことのない天に、宝をたくわえなさい。だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方を親しんで他方をうとんじるからです。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできません。(マタイによる福音書)

 結論から申しますと、この世(三次元の物質世界=地)での富 richesすなわち「現世利益」を追求する人は、天の蔵に富を積むことはできないということです。「人は神 God と富 money に兼ね仕えることはできない」からです。英文では、この部分の「富」は money(お金)と表現して、他の部分の「富 riches」とは区別しています。
 お金はこの世でしか通用しない「現世利益」の象徴です。これまで人々は、自分の願いごとや幸せの実現のためのバロメーターとして、お金を追い求めて来ましたが、終末のあとに訪れる新しい世界(神の国)ではお金は必要とされないということです。「大本神諭」や「日月神示」にも全く同じことが述べられています。

 資本主義(欲望主義)社会となっているこの世で成功したと思っている人は、基本的にお金をたくさん稼ぐことのできる境遇にいます。そして、お金をたくさん稼ぐことのできる人は、企業人であれ、芸能人であれ、スポーツ選手であれ、芸術や小説の作家であれ、みな成功者だと見なされます。
 同じ分野で努力していても、お金を稼げない人はこの世では成功したことにならないのです。ここで、たとえば自分の命の危険を伴うような消防のレスキュー隊の仕事をしている人のことを考えてみてください。お金の面での損得勘定からすれば、命がけで人の命を助けても大きな収入が得られるわけではありません。それなのになぜそのような危険な職業を選ぶのでしょうか。それよりもうまくサッカーボールを蹴れる人、野球のバットを上手に振り回せる人のほうが世の中からちやほやされ、大きな収入を得る可能性が高いはずです。
 マスコミもスポーツなどでたくさんのギャラや賞金を稼げるようになった人をこの世での成功者であるかのように取り上げます。だから、多くの若い人たちがスポーツ選手にあこがれ、自分もそのような選手になりたいと考えるのです。逆に、命の危険を伴うのに収入は多いと言えないレスキュー隊のような仕事は敬遠されることになります。
 さて、どちらの生き方が価値が高く、また人生の「成功者」と呼んだらよいのでしょうか。
 ここに紹介したイエス・キリストの言葉は、ずばりそのことに答えているのです。

 イエス・キリストを登場させたら、この人にも登場していただかなくてはいけないでしょう。
 最後にお釈迦様(ブッダ)の言葉をご紹介しておきます。以下の青い文字の文章は、拙著『心のクセが人生をつくる』(たま出版)からの引用です。

「お金をほしがる癖」は欲を助長する

G むさぼらない

「むさぼらない」はずばり「むやみに現世利益を追いかけない」ということです。「人よりも得をして、人生を楽しもう」という「楽得思考」に陥らないことが大切です。「必要以上にほしがってはいけない」ということです。
 人がほしがるものの代表となっている「お金」の場合は、「持っても持っても欲しくなる」という「心の癖」が身につくことになります。というよりも「持て持つほど欲が出る」というべきかも知れません。
「拝金主義」ともいえるもので、「奥の心(無意識)」に「お金をほしがる癖」が根付きやすいということです。
 今日では「お金をたくさん稼ぐことができる」ことを「人生の成功」と考える風潮がありますが、このことについてはお釈迦様(ブッダ)もイエス・キリストも正反対のことを言っているのです。
 お金にはここで述べられている「むさぼる」気持ちを助長する働きがあります。お金さえあれば大半の欲望が充足されるからです。「人の心もお金で買える」と豪語した人もいました。
 そのような考え方が善くないカルマを生む危険性を含んでいるということに気づかなくてはいけません。「できるだけ楽をしてお金を増やそう」と考えるのが資本主義が生み出した「落とし穴」と言ってもよいでしょう。多くの人がこの「落とし穴」にはまって身動きできなくなっているのです。
 イエス・キリストはそのことを「金持ちが天国に行くのは駱駝(らくだ)が針の穴を通るよりも難しい」というたとえを使って戒めています。
「むさぼらず」ということは、自分が働くことで得られる収入の枠内で生活するように心がければ、善くないカルマをつくらなくてすむということを教えているのです。
 この項の最後に、お釈迦様(ブッダ)の言葉を紹介しておきます。人の「心の癖」を鋭く見通しておられることがわかる言葉です。

 人間の欲にははてしがない。それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きが止まらないのに似ている。
 人はその欲を満足させようとするけれども、不満がつのっていらだつだけである。
 人は欲のために争い、欲のために戦う。また人は欲のために身をもちくずし、盗み、詐欺をはたらき、姦淫する。
 また、欲のために身・口・意の罪を重ね、この世で苦しみを受けるとともに、死んで後の世には、暗黒の世界に入ってさまざまな苦しみを受ける。

 ――『仏教聖典』(仏教伝道協会)


 次回は「自分に宿る神の力を信じましょう」というタイトルにする予定です。

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