第24章 シュウォーツ夫人

 医学の奇蹟的な進歩とともに、すべてが変わってしまった。医師は心臓や腎臓を移植し、強力な新薬を投与して、患者の寿命をのばすようになった。新しい診断機器によって早い時期から病気がみつかるようになった。一年まえには不治といわれた患者に生還のチャンスがあたえられるようになった。それでも、問題が解決したわけではなかった。人びとはいつしか、医学が万能であると信じこむようになっていた。かつては予測もできなかった倫理的、道徳的、法律的、財政的な問題の数々が浮かびあがってきた。医師がほかの医師にではなく、保険会社に相談してものごとをきめる場面が多くなってきた。
「事態は悪化する一方だわ」わたしはゲインズ牧師にそういった。そう予測するのに天才は必要なかった。病院の壁には、すでにたくさんの書類が掲示されていた。何件もの医療訴訟で訴追されていたのだ。わたしが知るかぎり、訴訟の頻度は高まる一方だった。しかし、医学は変わりつづけ、医の倫理は書き換えを迫られているようだった。「むかしのようなやりかたがいいんですがね」ゲインズ牧師はいった。わたしの解決案は牧師のそれとはちがっていた。「問題の根っこは、ほんとうの意味での死の定義がないというところにあるのよ」とわたしはいった。
 穴居人の時代から、死を正確に定義づけた人はだれもいなかった。ある日、わたしに多くのことを教えてくれ、翌日にはかき消すようにいなくなってしまった、あのエヴァのようなすばらしい患者たちには、いったいなにが起こったのだろうか。わたしはそのことに思いをめぐらせていた。やがて、ゲインズ牧師とわたしは「死んだらどうなるのか」について、医学校と神学校の学生、医師、ユダヤ教の指導者、キリスト教の牧師などのグループに質問をしはじめた。「いのちがなくなったとしたら、どこにいったのか?」わたしは死を定義しようとしていた。
 どんな見解にも、偏見をもたずに耳をかたむけた。夕食のテーブルで子どもたちが語った無邪気な意見も虚心に聞いた。わたしは子どもたちに自分の仕事を隠さなかった。ありのままを話すことが、みんなの助けになっていた。ケネスとバーバラの顔をみながら、わたしは「生まれることと死ぬことはよく似ているのよ」といった。それぞれが新しい旅のはじまりなのだ。しかし、あとになって、誕生と死では、死のほうがずっとたのしく、はるかに平和な経験であると考えるようになった。この世にはナチス、エイズ、がんのようなものが多すぎる。
 たとえ怒り狂っていた患者にも、いまわの際にはいかに静謐(せいひつ)な、リラックスした瞬間がおとずれるものかに、わたしは気づいていた。いよいよ臨終が近づくと、先に亡くなった愛する人だちと再会し、現実そのもののような経験をしているようにみえる患者もたくさんいた。かれらはわたしにはみえない人たちと生き生きとした会話を交わしていた。例外なく、どんな場合でも、死の直前には独特の静けさがおとずれていた。
 そして、そのあとは? それが知りたかった。
 わたしには自分の観察にもとづいた判断しかできなかった。そして、人がいったん死んでしまうと、わたしはなにも感じなくなった。その人は逝ってしまったのだ。ある日は語りかけ、手をふれることのできた相手が、翌朝にはいなくなっていた。遺体はそこにあったが、手をふれても木片にさわっているようなものだった。なにかが失われていた。なにか有形のもの、いのちそのものが。
「でも、いのちはどんなかたちで去っていくのか?」わたしは問いつづけた。「そして、そんな場所があるとしての話だが、いのちはどこにいってしまったのか? 人は死ぬ瞬間に、どんな経験をしたのか?」
 思いはいつしか、25年まえの、マイダネックヘの旅にもどっていった。あのとき、男たち、女たち、子どもたちがガス室で殺される前夜をすごした収容棟を歩いていた。そして、壁に描かれた無数の蝶の絵をみて魔法にかかったように立ちすくみ、自問したことを覚えている。「なぜ蝶なの……?・」
 いまようやく、はっきりとそれがわかった。囚人たちは瀕死の患者と同じように、この先どうなるのかに気づいていたのだ。自分がまもなく蝶になることを知っていたのだ。死んだら、この地獄のような場所からぬけだせる。もう拷問もない。家族と離れることもない。ガス室に送られることもない。この身の毛のよだつような生活とも縁が切れる。蝶がさなぎから飛び立つように、もうすぐ、このからだからぬけだせる。あの蝶の絵は囚人たちが後世に残したかった死後のメッセージだったのだ。
 それ以来わたしは死とその過程について説明するときに、蝶のイメージを使うようになった。だが、それで説明しきれるわけではなかった。もっと多くのことが知りたかった。ある日、パートナーの牧師をふり返って、わたしはこういった。「あなたたちはいつもいってるわね。『もとめよ、さらばあたえられん』って。じゃ、もとめるわよ。死にかんする研究を手伝ってほしいの」牧師は即答しなかった。しかし、わたしたちはふたりとも、正しい問いにはかならずよき答えが返ってくることを信じていた。
 翌週、あるナースから、面接の候補者にふさわしそうな女性がいることを知らされた。シュウォーツ夫人はICUに15回も入ったことがあるという患者だった。そのたびに死の転帰をとるものと考えられていたが、驚くほど強靭で意志の強い夫人は、そのつど生還してきた。そのナースは夫人に畏怖の念をいだくようになっていた。
「ちょっと変わった人だと思いますよ」ナースはいった。「なんだか怖くて」
「死とその過程」セミナーで面接したシュウォーツ夫人は、ちっとも怖くなかった。夫人は夫が統合失調症で、症状が発現するたびに17歳になる末の息子に暴力をふるうと語りはじめた。夫人は、息子の成人まえに自分が死んだら息子が殺されるかもしれないと危惧していた。法的には夫が唯一の保護者になるので、暴れだしたらどうなるかわからないというのである。「だから、わたしはまだ死ねないんです」夫人はいつた。
 夫人の心配のたねがわかったので、わたしは法律扶助協会の弁護士にたのんで、その息子の後見人を社会的に安定した親戚のひとりに変えてもらった。シュウォーツ夫人はまた退院していった。これで残された時間を平穏にすごせるはずだった。わたしはもう夫人に会うことはないだろうと思っていた。
 しかし、一年もたたないうちに、夫人はわたしのオフィスにやってきて、もう一度セミナーで話をさせてほしいといった。わたしは断った。同じ被験者を二度以上参加させない方針だった。死というもっともタブー視されているテーマにかんして学生がしゃべる相手は、まったく未知の人に限定すべきだと考えていた。「でも、だからこそ、わたしは学生たちに話をする必要があるのです」夫人はいった。そして、長い間を置き、こうつけ加えた。「そして、先生にも」
 一週間後、気がすすまないままに、わたしはシュウォーツ夫人を会場に案内した。学生たちは前回のときの顔ぶれとは変わっていた。夫人は前回と同じ話をしはじめた。幸いにも、ほとんどの学生にとってははじめて聞く話だった。再度被験者にしたことを後悔しながら、わたしは夫人の話をさえぎって、こうたずねた。「どうしてもまたセミナーで話したいというのは、どんなことですか?」その質問をきっかけに、夫人の話題ががらっと変わった。そのころにはまだ「臨死体験」ということばはなかったが、夫人がくわしく述べはじめたのはまさにその体験についてであり、わたしたちははじめてそれを直接耳にすることになったのである。
 そのできごとはインディアナ州で起こった。内臓出血でたおれたシュウォーツ夫人は病院にかつぎこまれ、個室に入れられた。容体は「危篤」と判定され、とてもシカゴに送り返せる状態ではなかった。今度こそ死ぬのかなと思いながら、夫人はナースを呼ぶべきかどうかを考えていた。そして、生死のはざまを往復するという試練をあと何回くり返せばいいのかと自問していた。息子にも後見人がついたことだし、もう死んでもいい時期なのかもしれない。
 夫人はなかなか決心がつかなかった。半分は死にたがっていた。あとの半分は息子が成人するまでは生きたいと願っていた。
 自問自答をしているとき、ナースが入ってきた。ナースは夫人をひと目みると、顔色を変えて飛びだしていった。夫人の話によれば、ちょうどその瞬間、意識がからだから離れ、天井に向かってふわっと浮きあがった。蘇生チームが駆けこんでくるのがみえた。蘇生チームは夫人を生き返らそうとして、死にもの狂いで働いていた。
 夫人は天井のほうから一部始終をみていた。こまかいところまで観察していた。チームの会話は一言もらさず聞いていた。口にださなくても、それぞれが内心に浮かべている想念さえ読みとることができた。驚いたことに、痛みはなにも感じなかった。からだからぬけだしていることにたいしては、恐怖も不安も感じなかった。ただただ好奇心にかられ、チームの人たちが自分の存在に気づかないことがふしぎでならなかった。そんな無理なことはしないで、わたしはだいじょうぶだからと、くり返し声をかけた。「でも、その人たちには聞こえないんです」と夫人はいった。
 しかたなく、夫人は下降していき、レジデントのひとりの腕をつついてみた。ところが、なんと夫人の手はレジデントの腕をつきぬけてしまった。蘇生チームの医師たちにおとらず無力感にとらわれはじめた夫人は、その時点で、意思を疎通させようとする努力をあきらめた。「そこで意識を失ったんです」と夫人は説明した。45分にわたる蘇生の試みが失敗に終わろうとしていた。夫人が最後に覚えているのは、顔までシーツがかけられ、死亡の宣告をされたこと、そして、狼狽していたレジデントがジョークをいったことだった。ところが、それから3時間半後、遺体を片づけにきたナースは、夫人が蘇生しているのをみて仰天することになったのである。
 会場にいた全員が夫人の驚くべき話に魅了されていた。だが、学生たちはたちまち、となりの人と顔をみあわせ、聞いたばかりの話を信じるべきかどうかの詮索をはじめた。けっきょくのところ、そこにいたのは科学の信奉者ばかりだった。学生たちは夫人のあたまがおかしいのではないかと考えはじめた。シュウォーツ夫人も同じ疑問にとらわれていた。なぜその体験を話してくれたのかとたずねたわたしに、夫人はこう答えたのだ。「わたしも精神病になったんでしょ?」
 けっしてそんなことはなかった。話を聞き終わった時点で、わたしはシュウォーツ夫人が正気そのものであり、真実を語っていたことを確信していた。だが、夫人は自信を失っていて、正気であることを確認してほしがっていた。会場から去るまえに、夫人はもう一度質問した。「先生はわたしが精神病だとお考えですか?」夫人の声は悲しげだった。面接の時間を早く終わらせようとしていたわたしは、大きな声でこう答えた。「医師エリザベス・キューブラー・ロスとして、わたしはあなたが現在も精神病ではなく、過去においても精神病ではなかったことを証明できます」
 それを聞くと、シュウォーツ夫人はようやく枕にあたまを落とし、大きな吐息をついた。ぜったいにあたまのおかしい人の反応ではなかった。夫人は冷静そのものだった。

 後半の討論の時間になると、学生たちはわたしがシュウォーツ夫人の話を幻覚とみとめず、夫人を信じるふりをしたことの理由を知りたがった。驚いたことに、シュウォーツ夫人の経験が事実であること、死の瞬間にも意識が存続し、観察や思考ができること、痛みも感じないこと、それが精神病理学とは無関係な現象であることを信じた学生はひとりもいなかった。
「では、先生はその現象をどう呼ぶのですか?」学生が質問した。
 すぐには答えがでてこなかった。学生は不満を表明した。わたしは科学で解明されていないことはたくさんあるが、だからといってその存在を否定することはできないと説明した。「いまここで犬笛を吹いても、みなさんには聞こえないでしょう」わたしはいった。「でも、犬ならみんな聞こえます。だからといって、犬笛の音が存在しないっていえるかしら」シュウォーツ夫人はわたしたちとは別の波長の世界を経験したとは考えられないだろうか? 「夫人はあとになって、レジデントがいったジョークを正確に報告しています。どうしてそんなことができたのか、説明してください」夫人の体験した世界がわたしたちにはみえないからといって、夫大がみた世界のリアリティーを度外視することができるだろうか?
 いずれ、もっと科学的な説明がつくときがくるだろう。だが、その時点では、シュウォーツ夫人がセミナーに登場してきた動機について説明することで講義を終えなければならなかった。その動機がわからないという学生たちに、わたしは「純粋に母親としての配慮からだ」と説明した。シュウォーツ夫人はセミナーが録音されていることも、80人の証人がいることも知っていた。「もしその体験が精神異常だと判定されたら、息子の後見人は法的に無効になるのよ」わたしはいった。「そうなれば、ご主人が後見の権利をとりもどして、夫人のこころの平和が乱されることになる。それでも夫人は精神異常? ぜったいにそんなことないわ」
 それから何週間も、シュウォーツ夫人の話があたまから離れなかった。夫人に起こったことが夫人だけの、例外的な現象だとはとうてい思えなかった。生命の徴候が消失したあと、蘇生の試みがおこなわれているあいだに味わった、そのとてつもない体験を、あとで思いだせる人がひとりでもいる以上、ほかにもいてもおかしくなかった。
 ゲインズ牧師とわたしは、にわか探偵になった。生命の徴候が消え、死亡が確認されたあとで蘇生した人をそれぞれ20人ずつ探しだして、面接するつもりだった。わたしの勘があたっていれば、わたしたちはまもなく人間のまったく新しい一面につうじる扉をひらき、いのちにかんして新しい気づきを得ることができるはずだった。
 
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