歴史から消された
日本人の美徳 
 黄文雄・著 青春出版社 2004年刊

 はじめに

 時代によってそれぞれの時代の道徳がある。万物は流転、もちろん道徳も決して永遠不変なものではない。倹約や清貧が美徳の時代もあれば、消費こそ高度経済成長期の美徳となる時代もある。
 「自由」が生命以上の価値とされることもあれば、「犠牲」や「滅私奉公」が社会最高の美徳とされる時代もあった。古来、日本にはそれぞれの徳や美があった。「和」や「誠」はそれである。
 日本が有史以来、新しい文明と遭遇したとき、決して「文明の衝突」という事態を招かなかったのはなぜか。「文明の改宗」とまでいわれる開国維新後も西風東漸、西力束来の事態を「和魂洋才」で乗り切り、それが近代日本をつくった原動力でもある。もちろん、社会が変われば社会規範である道徳も変容を迫られる。
 かつての日本は、犯罪が少なく、世界でも治安の優等生であった。しかし少なくとも90年代のバブルがはじけたころから、日本での凶悪犯罪が増えている。これを道徳の退廃と嘆く人は少なくない。だから今道徳教育の必要性を主張する論調が再燃しているのであろう。戦後に道徳教育が廃止されたことが、大きく影響しているという人も多い。
 戦後の反日教育、偏向教育、ゆとり教育の結果、しつけがおろそかにされ、学級崩壊、学力低下をもたらし、なかでも最も深刻なのは、道徳の荒廃というわけである。
 だが、では道徳教育を復活させ、道徳教育さえしっかりやれば、道徳の荒廃を克服できるのかというと、そうとは思えない。その好例が隣国中国である。
 中国文化の最大の特色といえば、倫理道徳を最高の価値とする社会であり、それが最大のお国自慢でもある。しかも二千年以上にもわたって、「道徳教育」を最も口やかましく叫び、実践してきた。
 しかし、数千年にわたる道徳教育の結果、中国という国は最も不道徳な国の代名詞になっているのだ。実際この国では、世界で最も戦乱が頻発し、殺し合いが行われてきた。その過酷な社会で、民衆は「戮民(りくみん)」といわれるほどの殺戮される悲惨な民と物騒な国民性をもつに至っている。
 「賊のいない山はなく、匪(ひ)のいない湖がない」といわれ、匪賊が跋扈する社会であった。「何もかもが嘘、嘘をつかないのは詐欺師だけ」という諺さえある、詐欺横行、人間不信の社会である。今でも「欲望最大、道徳最低」の国であり、その上「貧官汚吏、不正横行」の社会である。
 さらに「幹部𢭐、班長肥、三千職工、二‘千賊」という諧謔まで出現している。つまり幹部がかっぱらい、班長は潤い、三千人の労働者がすべて泥棒であるという意味である。十数億人の汚職、私腹肥やし、詐欺、窃盗が横行しているということである。
 では、「真」や「美」ではなく、「善」を社会最高の価値として、数千年にもわたって、それほどまでに道徳教育を、教育の核にしてきた国であるにもかかわらず、なぜ今日に至って、世界で道徳最低の国になってしまったのだろうか。
 その歴史的背景は、すでに儒家の始祖である孔子の時代から存在する。これについては老子がずばりと「大道廃れて仁義あり」と指摘している。しかも「棄仁絶義」(仁義を棄てる)すべきだと提言している。にもかかわらず、儒家の道徳は生きつづけたのだ。
 しかし、「仁義道徳は、書物に山のように書いてあるだけ」という柏楊氏の指摘は、今ではすでに常識となっており、実際の中国社会には、道徳を体現している人間など見当たらない。
 「衣食足りて礼節を知る」という言葉もあるが、実際中国では衣食の足りない人間が多く、「倫理道徳」をうんぬんするどころではないのだ。
 数千年の「道徳教育」の結果、「道徳最低」の国家になってしまった理由について、私か永年思索しつづけて得たのは、儒教倫理は家族倫理であって、社会倫理ではないということである。儒教は、教という名が付いてはいても、信仰に基づいた宗教ではないのだ。したがって内心から出た道徳心ではなく、あくまでも外からの強制によって成り立つ教えであり、規範なのである。それゆえに、良心というものを育てず、逆に人々から良心を奪ってしまったのだ。そして儒教は偽善者しか育てられなかったのだ。
 この、道徳教育が、道徳の荒廃をもたらすという、歴史的大実験の結果を、日本人は見逃してはならない。
 では、なぜ日本は、今日、このような道徳的退廃を招いてしまったのだろうか。道徳教育の復活で、克服できるのだろうか。この問題を再考せざるを得ない時期に来ていると思うのだ。さらに大切なのは、その道徳教育の根源をあらためて究明せざるを得ないこととも思う。
 歴史を振り返ってみると日本社会が絶えざる発展と進歩を遂げ、より高次元の境地を究めることができたのは、勤勉や誠という美徳があった上に、求道、すなわち「道」を究める精神が大きな役割を果たしてきたことが分かる。
 日本は有史以来、新しい文明と遭遇したとき、決して「文明の衝突」という事態を招かなかった。文化摩擦はそれなりに起きているが、それでさえ、唐風か、国風か、欧風か、といった波風が見られる程度である。
 隋唐文化が日本列島に入ってきたときは、「和魂漢才」と称して穏やかにそれを受け入れ、仏教伝来についても神仏習合という手法で、長い歴史のなかで神と仏を共存させた。また近現代の明治維新前後の西風東漸、西力東来の事態も、「和魂洋才」で乗り切ってきたのは前述の通りだ。その上で、日本独自の文明を作り上げている。
 このように、すべての文化文明を習合していく日本社会には、神代の時代から「和」の原理が存在しており、それが超安定社会に大きく寄与している。その原理に支えられていたからこそ、伝統的な美徳も守られてきた。
 戦後日本は「市民主義」と「平和主義」が跋扈し、それが国民主義にとって代わろうとしている。だから伝統的な文化、精神、価値が否定され、伝統的な日本人の美徳が歴史から消されたのである。今日本人が「道徳的退廃」と嘆くのも現実そのままがそうだからである。
 かつて台湾人は「日本植民地時代を美化する」と誤解されるほど戦前の日本人を敬愛していた。私が学生のころ、母は説教でよく二宮尊徳や小野道風といった日本人を模範とすべき人物として実例にあげていた。今もなお台湾で神様として祀られている日本人警察官に森川清治郎、広枝音右衛門等がいるのは有名な話である。反日国家中国・韓国・北朝鮮とは対照的に台湾人が親日だといわれるのは、決して間違いではない。それは日本教育を受けた年輩者とは限らず、青年層にも多い。
 それは、日本人の先人たちが国を愛し、土地を愛し、「お国のため」に一筋に、進取の精神に富み、日本人としての誇りと気骨をもっていたからである。それが台湾人にとって素晴らしくまぶしく見えたのである。
 現代日本の道徳の退廃、その最も根源的な因果を辿れば、日本の伝統的な美徳が抹殺された一方、今それに代わる新しい美徳がいまだ創出の途上にあるからではないだろうか。
 この退廃に立ち向かうには、単なる道徳の復活を叫ぶことではなく、まず日本の伝統的美徳がいかなるものであるのか、もう一度その原理をよく知り、その価値を問い直すことが必要なのではないだろうか。
 本書が他山の石になれば、幸甚である。

  平成16年11月
         黄文雄
 
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