歴史から消された
日本人の美徳 
 黄文雄・著 青春出版社 2004年刊

 戦後廃止された道徳教育の落とし穴

 日本は儒学思想を受け入れ、さらに日本は独自の儒学思想をうち立てたとも述べた。しかし、日本の儒学そのものに、疑問をもつ人々も相当数いたのである。
 歴史学者津田左右吉は、その疑問を最も先鋭に言明した人である。
 「要するに、儒教が日本化した事実はなく、儒教とはどこまでも儒教であり、支那思想であり、文学上の知識であり、日本人の生活には入り込まなかったものである。だから、日本人と支那人とが儒教によって共通の教養を受けているとか、共通の思想を作り出していると考えるのは、まったくの迷妄である」(『支那思想と日本』・津田左右吉)
 先に触れた本居宣長は、古典を読み解こうとするならば、まず漢意(中華思想、漢学)を排除しなければならない、と考え、大和心の真髄に迫ろうとしたのである。これは宣長の師である賀茂真淵の意を受けたもので、真淵は「からごころを清くはなれて、古のまことの意をたずねる」と説き、古言によって古意を得ることだと、国学を提唱した。この師弟は『万葉集』、『源氏物語』から、古語を解きほぐし、やまとごころを発見していった。
 少なくとも90年代のバブルがはじけてから、日本で凶悪犯罪が増えた。ことに外国人による犯罪がはびこっている。
 これは道徳の退廃によるものだと嘆く人は少なくない。だから、道徳教育の必要性を主張する論調が再燃している。戦後に道徳教育が廃止されたことが、大きく影響しているという人も多い。
 戦後の日本人は、戦前に比べ、不徳になりつつあるのはたしかである。老若男女を問わず、正義感も責任感も、道徳心も、茫漠として世の中に見えてこない。これは私の実感である。日本人が、エコノミック・アニマルといわれ出した60年代から、その兆しはあった。私の滞日40年間で、年々悪化の一途をたどっており、それにつれて道学者たちからの批判の声も高まってきているのだ。
 すでに70年代に入ってから、私がよく見聞きした世相、世態は、道義がまったく地に堕ちたものだった。以下は、昨今の世情を嘆く言葉である。
 「世情は酷薄をきわめた。小手先の欲望を刺激する情報ばかりが氾濫し、無責任の言動が平気で飛び交う。誇張と煽動と欺瞞の充溢(じゅういつ)する乱世である」
 「国民道徳は地に堕ちて、ついには経済動物なりと、外国から罵言を浴び、実に名誉ある日本民族最大の恥辱を受けた」
 「世は滔々として、軽佻浮薄に流れ、人は贅沢に慣れ、華美を競う。質実の風は地を掃(はら)い、剛健の気はさらに微塵もなし」
 「親が我が子を平気で殺し、また子が親や兄弟を傷つけて、平然としている。眼中、ただ我が身の利害あるのみで、他人の迷惑など知ったことではない」
 「礼之国と称せられてきた我が国が、今や昔日の面影はなく、経済動物なる汚名を頂戴するにいたった。まことに日本人としてこれ以上の恥はなく、何の顔あってか、父祖の霊にまみゆるを得んや」
 などなど、拾い集め切れないほど、戦前世代の人間からは、今の世情を嘆く声が上がっている。まさに終末史観や末法思想に覆われた世の中だ。
 この歳まで生きていたくはなかったと、私に告げる年輩者もいたほどだ。その理由は、祝祭日のたびに日の丸の国旗を掲げることについて、孫とケンカになるからだ。孫は大きな声で、「おじいちゃん、やめなさい。あれは赤い血を染めた侵略のシンボルじゃないか」と叱るのだそうだ。もうこの世は終わりだと……。
 それはそうだろう。古来礼儀に厚い日本人が、無責任、不作法な人種になり果てて、和を貴しとした大和民族が、今や互いに自我を剥き出しにして、日本列島が私利私欲の万人闘争の修羅場となっているのだ。日本人は変わった。
 いや、ユダヤ人のトーマス・M・トケヤー氏は「日本人は死んだ。日本人お得意の、仕方がない、の哲学では蘇生できない」と宣言をしている。
 では、なぜ、日本人は死んだのだろうか。多分、国民主義に代わって、戦後は市民主義と平和主義が台頭し、伝統的文化、伝統的価値観、伝統的精神までが否定され、これまであった美徳が捨てられてしまったからである。もちろん、その理由は、きわめて多元的で決して単一の理由ではない。
 しかしその元凶の一つは、戦後の民主主義のイデオロギーが、自由、平等、博愛を標榜する進歩的といわれる思想であり、その虚妄と欺瞞に気づくことなく社会主義的イデオロギーに遭遇したことも、伝統的な美徳を粉砕し尽くした最も強大な要因であろう。
 
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