歴史から消された
日本人の美徳 
 黄文雄・著 青春出版社 2004年刊

 戦後消された「日本精神」

 敗戦のショックゆえであろうか、戦後の日本人は、戦前の価値観どころか先人、先祖のことまでを否定し、嫌うようになった。伝統的な文化や、価値観、精神をすべて否定する傾向が強くなった。市民運動家、平和主義者、教育者、司法官に至るまで、いわゆる反日文化人にそうした傾向が顕著である。ことに飽食に浸り、暇をもてあます主婦たちは、言葉狩りに熱心で、そのためにタブー語、差別用語が増えていった。「和魂」、「大和魂」から「日本精神」に至るまで、それらが日本侵略のシンボルとされ、使用禁止にされようとしている。
 そんな状況のなかで、最も被害を受けているのが台湾人だ。「和魂」や「日本精神」といえば、台湾では勇気や尊敬の象徴として語られている。台湾人学生は、日本でそうした言葉を口にして、教授たちや日本の進歩的主婦たちから「迫害」されることもあるのである。
 では戦後の日本人は、なぜそれほどに、先人、先祖たちの「魂」を嫌うのだろうか。進歩的な哲学者から有閑主婦まで、大和魂、日本精神への忌避の主旨を要約するとこんなことになる。
「和魂、日本精神などの言葉は、国家、国旗とともに日本のアジア侵略につながるものである。また、労働者階級弾圧のシンボルでもあり、日本人民に敵対する観念であって、唯物論とは相容れない」
「理性に背く、盲目的な必勝の信念を支える、反動的、神話的イデオロギーを象徴する言葉で、ファシズム時代の産物である」
「軍国主義や、皇国史観のシンボルである日本精神とは、一九三〇年前後から敗戦に至るまで、戦意高揚のために、国民に植え付けられたものである。狂信的かつ排外主義的なイデオロギーであり、反社会主義、反共産主義、反民主主義、反自由主義のために作られた、反人民的なイデオロギーだ」
「日本精神とは、侵略的帝国主義による冒険的な戦争のためのスローガンの思想であり、植民地拡大のための戦争の神聖化、日本民族の比類なき優秀性の強調、さらに神がかり的な日本帝国主義のイデオロギーだ」
「大和魂は、本質的には自由民権運動の防波堤として、民主主義社会を弾圧し、日本皇道主義、軍国主義の対外侵略のイデオロギーになった」
 そしてその極め付きは、
「日本精神や大和魂そのものは、そもそも存在しない。あるのは実体のない軍国主義やファシズムのイデオロギーのみである」
 果たしてそうだろうか。
 開国維新後、明治政府が独立自尊を保つために、列強に対抗するために和魂を再認識し、「富国強兵」政策を取ったことはやむを得ざることであり、「和魂」を育てるために、武士道精神を再評価するのは、いったいどこが悪いというのか。
 
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