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政府はなぜフルベッキ写真を回収しようとしたのか ■編集部■ 薩長連合の頃に、長州は薩摩に天皇のすり替えのことを伝えていたんでしょうか。 ■加治■ 大室寅之祐の存在については、薩摩の大久保利通、西郷隆盛、吉井幸輔あたりは知っていたけれども、それ以外は知らされていなかったと思う。 ■編集部■ 加治さんの本には西郷も南朝の菊池家の子孫だと書かれていますね。 ■加治■ 菊池家の分家で、まぎれもない事実です。大室寅之祐を天皇に担ぎ上げて政府を転覆するという秘密結社がつくられたけれども、このすり替えはトップシークレットとしてごく一部の人たちしか知らされておりません。例えば、土佐だったら中岡慎太郎レベルでしょう。 坂本龍馬は外されていたと思う。なぜかというと、坂本龍馬の親分は幕臣の勝海舟ですから、それを教えると話が徳川へ漏れる恐れがある。 坂本龍馬と中岡慎太郎の決定的な溝は、その辺から生じていたと思うんです。 ■出口■ フルベッキは、いつの時点で知ったんでしょうか。 ■加治■ どんなバカでも、集合写真の時点では知っているはずです。何せ階級社会ですから傍目から見たらあんな小僧がど真ん中に座る。「誰だ?」つてことになるわけですから。 ■編集部■ フルベッキ写真を撮影したときが最初の集まりで、そこでみんなで計画を実行しようと誓い合ったという感じなんでしょうかね。 ■加治■ それはわかりませんけれども、大室寅之祐はフルベッキから英語を習っていたのではないかと思うんです。明治天皇になってから、記録に残っているだけで3回もフルベッキと会っていて、―度は天皇自らわざわざ東大まで出向いています。 現人神ですよ。師弟的な関係がないと、そんなことはやりません。それに外国人は穢れていると公言していた孝明天皇の表向きの子どもだったら、そんなこと絶対しないですよ。 ■出口■ 僕がフルベッキ写真は血判状のようなものだと思ったのは、本当に真ん中にいる少年が大室寅之祐だとするならば、ここにいる連中はみんなそれを知っているわけですね。ということは、これはその陰謀に加担したという証拠写真にもなりますよね。 この人数だから、かなり大がかりな陰謀がここであったと推測できるんですね。 ■編集部■ だから政府はこの写真を回収したのではないかというのが加治さんの意見ですものね。 ■加治■ その頃には皆さん知っていた。ほぼ全員が紋付の正装ですよ。ふだんは紋付なんて着ていないもの。正式な写真を撮るべくして集まっている。 ■編集部■ 極秘行動の証拠が残ってしまいますよね。 ■加治■ そうなんてすが、そこまで深く考えずに撮ったような気もします。ひたすら、南朝革命に命をかけるぞ! ってな具合で。 ■出口■ 陰謀が本当にあったとすると、普通は証拠になるから写真は残さないのに、あえて撮った。ということは、やはり血判状で、これでもう逃げられないというか、ここに写っているからおまえらも一味だ、裏切ったらアウトだぞということではないかと推測したんですけどね。 ■編集部■ フルベッキの子どもは、その後、お父さんを手伝ったりしたんでしょうか。 ■加治■ その後、海軍大学の学長にまでなった、堂々たるフリーメイソンです。 ■編集部■ この時点でフリーメイソンも関わっていたんでしょうか。 ■加治■ 古部付きがフリーメイソンだったという証拠はありません。 もちろんグラバーも証拠はない。ただ、処分したのか、その当時のフリーメイソンのロッジの名簿自体がないんです。 本来なら名簿は本部であるロンドンのグランドロッジに送られるんですが、それも消滅していると言われています。パークスあたりが消したのでしょうか? 証拠は一切失われてしまっているわけです。 |
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