日本人が知っておくべき
この国根幹の重大な歴史 
加治将一 × 出口汪  ヒカルランド 
 

 本物の錦の御旗は孝明天皇が旭形亀太郎に託していた

■加治■ 徳川慶喜は優柔不断のヘナチョコで、結果、ずるずると家来を裏切ることになってしまう。どうにもならない最低の将軍です。こんなことを言うから、僕は今の徳川家から嫌われるんですけど(笑)。
■編集部■ 榎本武揚は最初から新政府軍に通じていたのではないか、とお書きになっていますね。最後まで戦ったというイメージがあるんですが、明治以降、榎本武揚は大臣にまでなっている。
■加治■ 「蝦夷共和国総裁」。いってみれば敵の大将ですよ。普通だったら処刑されるでしょう。
 ところが、あれよあれよと逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣と総ナメです。榎本と五稜郭に立てこもった部下の林董なんて、後に英国公使になりますが、堂々と英国フリーメイソンのエライさんになっている。

※林董とフリーメイソン
 林董(1850〜1913)は幕末の幕臣で、1902年(明治35)1月30日に、在英日本公使としてロンドンで日英同盟に調印した。1903年5月、イギリスのエンパイアーロッジにてフリーメイソンに入会した。

 しかも、林は岩倉使節団にもちゃっかり入っている。反政府勢力として最後まで籠城した男が、なんでそんなことになるのか。
 林董は榎本の腹心ですから、やはり薩長の手駒として動いていた。それしか考えられません。
 客観的に見て、徳川慶喜は敗軍の大将で、周りが会津も含めて次々と滅ぼされているのに、1人生き残って、明治維新後に結構な貴族になる。裏取引の成果です。どこかで密約があった。
 徳川慶喜は最後まで裕福です。明治政府がつくった国策会社の株を相当もらった、とんでもないやつですよ。普通だったら腹を切れ! でしょう。フランス革命ならギロチンですよ。
■出口■ 確か正一位にまでなっているんですよね。敗軍の将が正一位に上りつめるなんて、普通だったらあり得ない。
■加治■ 幕府軍をうまく武装解除し敗北させたという論功行賞でしょうね。
■出口■ 鳥羽・伏見の戦いのときには、トップが戦をする前に逃げ出したわけですからね。
■加治■ 将軍が、戦う前に「俺、やめた」だもの。
■編集部■ 軍事的には幕府軍は決して負けるほど弱くはなかったと言われていますね。
■加治■ 数から言ったら、圧倒的に多かった。
■出口■ だから、その前に何かがあったはずですね。
■加治■ 鳥羽・伏見のとき、薩長軍はたった3,000人たった。大げさかもしれないが、幕府側は旗本八万騎とうたわれていたんですよ。それがなぜ数千人しか動かなかったのか?
■出口■ 錦の御旗を揚げられて幕府軍は戦意を失ってしまったと言われていますが、あれはニセモノだったんですよね。本物がなくて、慌ててつくった。
 先ほど、禁門の変のときには御所にも銃弾が撃ち込まれて貴族たちはみんな逃げてしまった話をしましたが、そのときに旭形だけは自分の体を盾にして孝明天皇を守ったとされています。
 そのことに感謝した孝明天皇は錦の御旗を旭形に渡したんです。僕もとても信じられない話だと思ったのですが、実は宮内省もこのことは認めているのです。
 だから鳥羽・伏見のときには本物の錦の御旗がなくて、勝手にニセモノを薩長がつくって、幕府軍が戦意を失ってしまった。ある意味、幕府はこけおどしに負けてしまったわけです。
■加治■ 薩長の旗じゃ誰もついていきません(笑)。
 
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