肉食編 F 

日月神示 神一厘のシナリオ

中矢伸一・著 徳間書店



 日本がよくならなければ世界もよくならない

 日月神示に示された「選ばれるための方法論」とは、「マコトの正しき人になりなさい」という、それだけなのである。
 現在、巷に氾濫している宗教団体のごとく、奇跡やお陰を売り物にし、信者集めに汲々としているようでは、何の問題解決にもなっていない。
 日月神示では、そのような安易な信仰を厳しく戒めている。
 神に対して素直になり、神前に額ずいて敬虔に祈りを捧げることは大切である。
 だが、結局は、自分自身の頭で判断し、自分自身の足で歩かなければならない。
 神の道を論ずる以前に、われわれはまず正しき人たらんと努力すべきなのであり、それ以外に進むべき道はないのである。
 神示に示されていることは、よく考えてみれば実に当たり前のことであり、難しい理屈や理論、あるいは教義・教理的なものは一つもないと言える。
 一部の研究家の中にはこの神示に難解な理屈をつけて神意を歪め、かえってわかりにくいものにしてしまう人もいるようだ。
 そうした動きを見越してか、神示にはこうも記されている。

 この道難しい道でないから、そのままに説いて聞かしてやれよ。難しく説くと判らんようになるのぞ。平とう説いてやれよ。難しいのは理屈入るのざぞ。難しいことも臣民にはあるなれど、理屈となるなよ。理屈悪ざぞ。

 難しいこと申しているが、平とう説かねば判らんぞ。世界の説教をよく聞きてくれよ。天の教え、地の導き、よく耳澄まして聞きとれよ。神の心、段々に判りて来るぞ。


 要は、難しい理屈や理論をつけてひねくり回さずに、この神示そのままの内容を日常に活かしながら、それぞれの分に応じた身魂磨きに励むべきなのである。
 しかし、残された時間は少ない。一足飛びには行かないが、慌てず、焦らず、急がなければならない。
 日本は世界の霊的中枢であり、日本がまず立ち直らないことには、世界が立ち直らない。日本人が改心しなければ、世界の人民が改心できないのである。
 神示の一節には、こうも記されている。

 日本良くならねば世界はよくならん。

 日本の人民良くならねば、世界の人民良くならんぞ。日本の上の人良くならねば、日本人良くならんぞ。


 今こそ、心ある日本人は、世界の人民に先がけて、この神示に示された内容を肚に入れ、まことの「日本人」となるべきである。
 だが、その肉身に神の気を受けるには、まず神界からの正流と調和できる身体をつくらなければならない。そのためには、日々の食生活を正すことが極めて重要となってくる。実は、日常生活における実践の中でも、この「食」に対する部分が最も重大かつ急を要するところなのである。

 食体系の破壊が悪神の「日本占領計画」だった
   これが石屋の悪だくみ!

 日本は、いまや空前のグルメブームのまっただ中にある。
 アフリカや、アジア諸地域の飢餓難民を尻目に、日本の国民は、食べたいものを、食べたいだけ、毎日腹一杯に食べている。
 歴史を振り返ってみると、かつては日本にも飢饉というものが幾度となく起こっている。飢えて死ぬ人がいなくなったのは、むしろ戦後であり、経済的繁栄を国民の一人ひとりが享受するようになったのはつい最近のことである。
 スーパーやデパートに行けば、食料品が溢れんばかりに陳列されている。
 なんと幸せなことだろうか――と言いたいところだが、ちょっと待っていただきたい。 われわれ日本人は、この飽食・美食の代償に、実は大変なものを失いかけているのである。医療技術の発達とともに、日本は着実に平均寿命を延ばし、世界一の長寿国となった。しかし、その反面、成人病(生活習慣病のこと――なわ註)をわずらう人の数は増加の一途をたどり、安らかに天寿を全うできる人など滅多にいないという悲惨な状況に直面している。
 ほとんどの人が、最後は病死するか、寝たきりやボケ老人となって人生の幕を閉じている。また、死因となる病気も、次第に難病・業病化、奇病化しつつある。
 日本における死因の第1位はガンである。年々増加の一途をたどるガン死亡者数は、平成2年には21万7千人に達している。(平成13年では30万人を突破しています)
 死因の第2位は心臓病である。この死亡者数も急増し、平成2年には16万5千人を超えるに至った。
 第3位は、脳卒中で12万2千人だが、たとえ死亡しなくても、その後遺症でボケたり、寝たきりになるなどして廃人同様になってしまう。

 何も戦争や天変地異が起こらなくても、日本人の身体は着実に、しかも急速に、死の淵に向かって突き進んでいる。
 ここまで近代的な医療技術が発達した国で、このように病気が蔓延するとは、一体どうしたことだろうか。
 実は、その大きな原因となっているのが、人々が日常に摂取する「食」なのである。
 食と病気との因果関係は、世界の権威筋ではすでに証明されている。日本は、そうした面では先進国の中で最も遅れていると言ってよい。
 食が乱れれば、必ず身体は病む。
 身体だけではない。精神も病み、魂は汚され、霊性は落ちる。つまり、身魂ともども地に堕ちるのである。
 身魂の質が堕ちれば、低級霊と波長が合いやすくなる。肉体をチミモウリョウの容れものと化すことにより、コントロールは思いのままになる。
 これこそが、日本人を「骨抜き」にするための、悪神の日本占領計画の大きな柱であった。そして、その計画は日本人の霊性の凋落とともに、ものの見事に現実化してしまったのである。

 人間の食べ物は定まっている

 日本が終戦を迎える1年前に降ろされた『天つ巻』第五帖には、次のような神示が記されている。

 牛の物食べると牛のようになるぞ。猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の食べ物は定まっているのざぞ。いよいよとなりて何でも食べねばならぬようになりたら虎は虎となるぞ。獣と神とが分かれると申してあろがな。縁ある臣民に知らせておけよ。日本中に知らせておけよ。世界の臣民に知らせてやれよ。

 「臣民の食べ物は定まっている」と、神示はここで明確に告げている。そして、何でも食べるようになった時、すなわち「食」が乱れた時、獣と神が分かれると示されてある。
 獣とは、霊性が堕ち、ゝが抜けて○だけになった獣性人間のことであり、神とは○にゝがしっくりと納まった神人合一の真人のことである。人類はこれから2種類にハッキリと分かれる、というのである。
 現在でも、たいていの宗教団体では、霊的な問題と「食」とはあまり関連づけて考えていない。「食」が乱れれば霊性が堕ちるという考え方はしない場合がほとんどである。
 また、たとえそのような考え方が多少あったとしても、その宗教独自の行法により解消できると説いている場合が多い。
 だが、私はここで強く申し上げておきたいが、どのような救済の方法があろうと、「お祓い」や「お浄め」の業があろうと、食を正さない限り、根本的には絶対によくならない。逆に、食を正せば自然と、曇りは祓われ、身魂は浄められていくのである。
 では、正しい食とは何か。臣民の食べ物は定まっているとは、何を意味するのか。それは『碧玉之巻』第八帖に、具体的に記されている。

 四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ。

 正しい食べ物とは「五穀野菜の類」のことなのである。
 五穀野菜とは、米(玄米)、アワ、ヒエ、キビ、豆、麦などの穀物類、それに葉菜、根菜、および海藻などを言う。
 また、四ツ足というのは、牛や豚をはじめとする獣類のことを主に指す。獣は人間の性に近い生き物であるから、これを食することは「共食い」となる。よって、肉食をしてはならないというわけである。
 さらに『梅の巻』第十四帖には、こう記されている。

 日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、みな人民の食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ。日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食い物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんから、今から心鍛えて食い物大切にせよ。

 ここでは、肉類禁物であると示されている。肉類ということは、正確に言えば「動物性」ということであり、これは食養学の見地から言ってもまさしく正論である。

 穀物と野菜だけが天地から許されている

 大自然から人間に与えられた食べ物は、穀物と野菜の類のみであり、またこれらが、人類にとって最も適した食べ物なのである。
 天地から許された範囲外のものを食べると、それは宇宙の秩序や法則に反することとなり、病気や、怪我、争いなどの不幸現象を生み出す大きな要因となる。
 人間にとって必要な栄養バランスは、穀物菜食によってすべて摂取できるようになっており、むしろ肉類を摂ることによって血液は汚され、身体の調和は崩される。このことは既にアメリカなどでは学術的にも権威筋から認知されつつあり、日本でもいずれ認めざるを得なくなるだろう。

 正食の入門書とも言える『食養ということ』(東明社)の中で、著者の茂兼仁氏は、次のように述べている。

 肉類からタンパク質だけが吸収されるのであればよいが、肉類は腐敗する過程にあるから、硫化水素、アンモニア、その他の毒素が腸管から吸収される。また繊維がないために便秘をきたしやすく、毒素の吸収はさらに高まり、身体を一層不健康にしていく。
 肉類には老廃塩が多く、これは上記の毒素の他にも、エキシュール、プリン塩基、馬尿酸を含み、これらの毒素によって血液は濁り、粘り、痛風・神経痛・リュウマチ・動脈硬化、その他多くの難病を招くことになる。
 また、肉類の脂肪は硬化度が植物油に比べて高く、そのため血管にこびりつきやすく、動脈硬化となり、高血圧の原因ともなりやすい。


 白米などの精製穀物では心身の異常をおこす

 ただし、穀類だからと言っても、その摂り方によっては無意味なものになってしまう。特に穀物の場合は、精製しないものを食べるようにすることが肝要であり、精製してしまうと、本来の穀物の栄養価は失われてしまう。
 精製穀物を食べていると、さまざまな心身の異常が引き起こされる。
(食に関しては重要な情報ですが、ここでは「肉食編」ということで、精製穀物の問題点についての記述はこの程度の抜粋に留めておきます――なわ註)

 古来からの菜食主義で日本に病気はなかった

 日本の歴史を振り返ればわかるように、古来からわれわれ日本人は菜食を旨としてきた。そのころは現代より病気の数はずっと少なく、健康体のまま天寿を全うする人は確実に多かったはずだ。
 戦国時代、数十キロの鎧(よろい)や兜(かぶと)を身にまとい、何十日も不眠不休の極限状態で戦をすることを可能としたのは何であったか。彼らの食べていたものは、今と比べれば考えられないほど質素なものである。

 奈良時代には玄米2食が一般に普及しており、農民の間では雑穀類も食べていたようだが、これは平安、鎌倉の時代になっても変わることはなかった。このように、日本では伝統的に五穀菜食を基本的な食生活としてきたわけであるが、そのことは日本のさまざまな神典類の中に記されている。

 『秀真伝(ほつまつたえ)』には、「常食とすべきは田畑の作物である」だとか、「間違っても四ツ足の肉を食べてはならない」などと示されている。その他、『上つ記(うえつふみ)』、『竹内文書』、『カタカムナ文献』などにも、日本では超古代の昔から肉食を忌み嫌い、穀類や野菜を食べていたという記録が残されている。
 中でも注目すべきなのは、日本最古の官撰経典と言われる『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』である。
 『旧事記(くじき)』とも呼ばれるこの文献は、今から約1370年前、聖徳太子によって編纂作業が完成したとされ、その内容は、あらゆる宇宙真理が体系的に説かれたものとなっており、日本最高の、いな人類にとっての大経典と評価する声もある。
 しかし、江戸時代初期の儒学者であった林羅山が、よく内容を検討しないまま偽書と決めつけたために、一切世に出されることはなく、今日に至っている。
 この神典の原文を受け継いだ宮東伯安斎氏は、その半生をかけて註約され、全72巻にまとめられた。そのうちの53巻から56巻までが『医事本紀』となっており、その中で、人間の食物についても厳しく教えているのである。
 たとえば53巻の「食節」の項目を見てみると、こう書かれている。

 食の道は穀食が善く、肉食は善からず。穀は正食に能く、純食にも堪く、肉は従食(おかず)にしても純食に堪えられず。其れは、克(よ)く能(たえ)ると不能(たえられざる)こと、能(ききめ)と毒とに分かつなり。

 なお、この『医事本紀』の中で、聖徳太子は、「古来、日本には病気というものが全くなかった」という意味のことを述べている。
 ここでも、日月神示に示された五穀菜食の正統性が裏付けられているのである。

 食体系の破壊が日本人を骨抜きにする

 日本は古代から穀物菜食を伝統としてきたが、江戸時代に入り、オランダ文化の流入とともに、肉食が次第に浸透するようになる。そして明治維新を過ぎると牛鍋やすき焼きなど、肉料理が広がりを見せ始め、やがて学者が肉を食べることは健康によいと言い出すに至り、庶民の間にも普及するようになった。
 しかし、田舎の方では穀菜類を中心とした食生活にあまり変化は見られず、今日のように全国津々浦々まで肉食が当たり前となるのは、最近になってのことである。
 つまり、国民の多くが「肉食をしなければ栄養バランスを崩して病気になる」とまで信じ込むようになった肉食万能思想の歴史というのは、わずか数十年しかないわけだ。
 この肉食思想に拍車がかかるのは、やはり終戦後である。
 一日も早く戦後の荒廃の中から立ち上がり、アメリカを初めとする先進国の水準に追いつけと、欧米型生活スタイルや思想が、とめどもなく浸透してくるようになると、とにかく日本の伝統文化は古臭く、時代遅れのものであると決めつける考え方が広まった。
 西洋のものなら何でも優れ、カッコいいものだと、上から下までが盲信するようになり、その悪影響は現在でも続いている。

 肉、卵、牛乳などの動物性タンパク質奨励は、健康のためなどというのは真っ赤な偽りで、実はアメリカの飼料穀物会社による周到な利潤追求戦略であったことは、昭和57年3月16日に放映されたNHKの特集番組でも報告されている。つまり、家畜飼料の市場を一手に握り、動物性タンパク質は人間にとって絶対必要なものだと煽ることにより、経済を独占しようという計画である。

 「現代栄養学」は本家アメリカから崩壊した‥‥

 日本では未だに金科玉条のごとく信じられている現代栄養学と、それに基づく食事バランスであるが、この栄養学を持ち込んだアメリカ自身が、これを否定し始めている。
 1977年、アメリカ上院栄養問題特別委員会は、2年の歳月と膨大な予算を投じた調査報告書を提出した。その要旨はつぎのようなものであった。

 現代の死病は、米国民の食事に由来する「食原病」であり、したがって現在の食事パターンを変更することが、国民の健康を向上し、医療費用急増による国民経済の損失を防ぐ国家的緊急課題である。

 これが有名な「マクガバン・レポート」である。
 この報告で言っているのは、現代のアメリカ人に蔓延している成人病は、食事が原因となっているものであり、医学的治療よりもまず食を正すべきである、ということである。
 これに基づき、米国民の心臓病死の半減を当面の目標とする『アメリカ合衆国のための食事目標』が制定されたが、その内容は、要するに、動物食を控えて穀物菜食に切り替えよ、というものであった。
 そしてアメリカでは、植物性のタンパク源として豆腐が脚光を浴びるなど、日本食ブームが起こり、菜食が見直されるようになってきた。その結果、アメリカでは15年間のうちに心臓病による死亡者数を30%も減少させることに成功している。

 さらに1991年の初頭には、アメリカ国内3,000人の医学者や健康関係者からなるPCRM(責任ある医学のための医師会)が、現代栄養学に基づく旧来の食体系に替わる新たな食事指針を提案した。それは、「野菜」「豆類」「穀物・パン」「果物」の四つの食品群によって成り立っている。
 驚くべきことに、肉どころか、卵や乳製品をも含めた動物性食品は全て除外されてしまっている。PCRMは、有識者団体としては急進派で、少数派に属するグループではあるが、大衆レベルで食に対する意識が変わり始め、菜食を見直す声が大きくなるにつれ、確実に支持者を拡げつつある。
 かつて日本に肉食万能主義を押しつけたアメリカで、動物性食は人間にとって必要なものではないと、ハッキリ気づき始めたのである。
 今や、穀物菜食は世界的な広がりを見せている。
 イギリス国内においても、菜食主義者はかなりの数に達しているという。
 ところがわが日本では、未だにグルメだ、美食だと騒ぎ回り、肉料理がもてはやされている。とうに死刑の宣告が下された食事指針を、自己の利益のことしか頭にない政財界、関連企業と、その片棒を担ぐ医学・栄養学関係者、マスコミなどは、官民一体となって、かたくなに守り続け、何も知らない国民は、まんまとそれに踊らされているのである。

 人の臼歯が穀物菜食を告げている

 日本人は、伝統的に穀物菜食を行なってきた民族である。だから、必然的にその身体は菜食に適応するようになっている。
 しかし、日本人だけがそのような体質になっていると考えるのは、少々早計のようだ。 実は、人間の身体は人種や民族に関係なく、穀物菜食に適するようにできているのである。その一例を示すのが、歯の形状である。
 人間の歯は、成人で通常32本あるが、そのうち20本が、臼歯と呼ばれる臼のような形をした歯で、これは穀物を噛み砕き、すりつぶす役目を果たす。
 また、門歯と呼ばれる8本の歯(前歯)は、根菜や葉菜を切るためにある。
 残りの4本は、犬歯と呼ばれる尖った形をした歯である。中にはこの犬歯のみが肉食に適したものだと主張する人もいるようだが、それは違う。人間の犬歯は、木の実など、固いものを食べるときに使うようにできている。
 つまり、人間の歯は32本のすべてが、穀物菜食のために神から与えられたものなのである。犬歯について言えば、肉などの動物食を摂りすぎると、必ずこの犬歯が尖って来て、肉食動物のように大きく鋭くなり、甚だしい場合は門歯より長くなる。

 また、人間の腸は、肉食動物と比較してみると、はるかに長い。植物性のものを常食とする動物は、消化や吸収に時間がかかるため、腸が長くなるのである。
 特に日本人の腸は、西洋人に比べると2メートルも長い。これは、日本人が古来から伝統的に穀物菜食をしてきた民族であり、西洋人よりも植物性の食べ物に適していることの証明でもある。

 「ひふみの食べ方」で病気知らず

 日月神示には、五穀菜食の大切さが、終戦前夜の時期から既に明確に指摘されていた。「食」に関する神示はかなり多く出されており、このことからも、食べ物がいかにわれわれの「身魂磨き」にとって密接に関わるものであるかがわかる。
 中でも、食べ方にまで細かい指導がなされていることは興味深い。
 次の神示を見ていただきたい。

 一二三(ひふみ)の食べ物に病無いと申してあろがな。一二三の食べ方は、一二三唱えながら噛むのざぞ。四十七回噛んでから呑むのざぞ。これが一二三の食べ方、頂き方ざぞ。神に供えてからこの一二三の食べ方すれば、どんな病でも治るのざぞ。皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによりて治るのざぞ。心も身も分け隔てないのであるが、判るように申して聞かしているのざぞ。取り違い致すでないぞ。

 遠くて近いもの一二三の食べ方してみなされよ。運開け、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。そんなことくらいで、病治ったり、運開けるくらいなら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。

 遠くて近きは男女だけではないぞ。神と人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近きが良いのざぞ。

 日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食べ物あるぞ。人民の食べ物間違えるでないぞ。


 この「一二三を唱えながら」というのは、「一二三祝詞(ひふみのりと)」を指している。
 その祝詞とは次のような内容である。

 ひふみ よいむなや こともちろらね
 しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
 うおえ にさりへて のますあせゑほれけ


 これに「」を合わせたものが、日本語のシラブル(音節)48音となる。

 噛めば噛むほど神となるぞよ

 47回噛めと神示にあるが、これは一つの目安である。最低でもこれくらいは噛まなければいけないという意味である。
 噛むことを奨励した神示は、他にもある。

 食べるには噛むことぞ。噛むとはかみざぞ。神に供えてから噛むのざぞ。噛めば噛むほど神となるぞ。

 食べ物頂く時はよく噛めと申してあろが。上の歯は火
(カ)ざぞ。下の歯は水(ミ)ざぞ。火と水と合わすのざぞ。カムロギ、カムロミぞ。噛むと力生まれるぞ。血となるぞ。肉となるぞ。


 正食による食事療法では、玄米や野菜類を口に入れたら箸を置き、50回、100回、場合によっては200回と、よく噛んで唾液と混ぜ合わせ、口の中でトロトロになってから呑み込むという方法で病気を治す療法が、実際に行なわれている。

 「遠くて近いもの」こそ最高!

 もう一つ重要なのは、「遠くて近いもの」と指示されている点だ。
 これは岡本天明氏が、その論文『白紙の手紙』の中で解説しているように、「遠くて近い」の「遠い」とは、人間の性から遠いものという意味であり、「近い」とは、自分の住んでいる土地に近いところで採れたものという意味である。
 牛や豚など四ツ足の類は、人間の性から近いものであるし、穀物や野菜などの植物性のものは、遠いものということになる。
 つまり、「遠くて近いものを食べよ」とは、穀菜類、とりわけ自分の住んでいる土地で採れた穀菜類を食べるようにしなさい、という意味なのである。
 人間は、自分が住んでいる土地と不可分の関係にある。その土地の風土、環境、磁場などの影響を受けながら生きているのである。

 人はお土から生まれたものである、と神示にもあるが、まさにわれわれはその土地、風土、環境の中から生まれた産物を食べ、身魂を養っているのであるから、人間とはまさしくその「お土」そのものが肉体化したものだと言えよう。
 おしなべて世界の人民は、それぞれの国や地域において、それぞれの風土や環境に応じ、自分たちの住むその土から生まれたものを食べるように仕組まれている。
 このことは『黄金の巻』第九十二帖にも次のように示されている。

 つつましく、正しくしていけば、その国々で一切不足なく暮らしていけるように、何もかも与えてあるに気づかんのか。

 どこかの別の土地で育ったものを身体に摂り込むと、波長が合わないために、肉体的にも精神的にも、さまざまな不調和を生じ、病気になりやすくなる。
 このような「人」と「土地」との一体性は、昔から「身土不二(しんどふじ)」と呼ばれてきた。
 日本人は、日本のお土から採れた穀物や野菜類で、その身を養っていけるようにできている。これを無視して、ただ安いからだとか美味しいからといって、外国産のものばかりを食べていると、必ず身体は病むことになる。
 既に日本の市場は、外国産の原料や農産物、加工食品などでほぼ占められてしまっており、身土不二の原則はとうに崩壊している。農家は農業をやめて土地を手放し、離職する人が相次ぎ、農業は衰退の一途をたどっている。今後ますます日本の市場は外国産の食品で占領されることになるだろう。
 まさに悪神の計画通り、日本人は、先祖伝来の固有の食体系を破壊され、肉体的にも病み、霊性も落ちた「幽界(がいこく)身魂」となり下がってしまった。
 そうした事態を見越した上で降ろされた「遠くて近いものを一二三の食べ方してみよ」という神諭は、日本を亡国から救う一条の光ともなり得る天啓である。

 うれしうれしで食べれば神に通じる

 ここで今ひとつ重要な点を申し添えておかねばならない。
 それは、この食事法を実践することにおいては、あくまでも歓喜が基本であるということだ。そのことは神示にも次のように示されている。

 一二三の食べ方心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉し嬉しで食べよ。天国の食べ方ぞ。

 食べ物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食べ物、正しく食べよ。更に喜び増えて弥栄えるのぢゃ。自分の喜びを進め進めて天国へ入ることできるのぢゃ。悪い食べ物、悪く食べるから悪くなるのぢゃ。目に見える食べ物ばかりでないぞ。何もかも同様ぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。


 以上のことからまとめると、神示により示された「食」に関する指導の3大ポイントとは、つぎの点に集約される。

@ 自分の住む土地(国)で採れた穀物・野菜を食べること。

A よくよく噛むこと。

B 喜びをもって食べること。


 天国の霊人は動物性を嫌う

 『地震の巻』第十五帖には、高級霊人の「食」について、興味深い記述がある。
 それを見てみると、まず霊人の食とは「歓喜」であることがハッキリと記されている。

 ‥‥霊人はまた、いろいろな食物を食している。言うまでもなく、霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。食べられる霊食そのものも、食べる霊人も、いずれも食べるということによって歓喜しているのである。
 ‥‥食べるということは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば、霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。
 ‥‥食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らないほどである。


 人間は、正しく天国の住人たる高級霊人の容れものとならねばならないが、現在の人間は、食は乱れ、血は汚れ、霊性は曇ってしまっているため、高級霊人どころか、下級霊、あるいは動物霊の容れものとなっているのである。
 さらに、同じ『地震の巻』に、霊人は動物性の食べ物を好まず、植物性のものを好むことがハッキリと示されている。

 また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠く離れたものを好む。現実社会における、山菜、果物、海藻などに相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠く離れた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると、歓喜しないのみならず、かえって不快となるからである。

 これはわれわれ人間の正しい食生活を考える上で、実に重大な啓示である。
 現在の人間社会では、みな動物性食品を食べ、これを美味しいと感じている。これは高級霊人の世界とはまったく逆である。自分の性に近いものを食べて、喜びを感じてしまっているのである。
 完全菜食の家庭で育った子供は、驚くほど健康で、伸び伸びとしているが、動物性のものはまずくて一切口にできないばかりか、肉など一切れでも食べようものなら、たちまち浄化作用が起こり、身体に変調をきたす。
 それは、食わず嫌いだとかアレルギーなどの疾患ではなくて、人の肉体として正しく機能しているからである。
 人間が植物性のものを食べるという行為は、歓喜による融合を意味する。
 植物にとってみれば、人間に食われることは歓喜なのである。そのことは『雨の巻』第三帖に示されている。

 草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ。草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ。出世するから嬉しいのざぞ。草木から動物虫けら生まれると申してあろがな。

 食べるという行為そのものは、食べる側、食べられる側、双方の歓喜をもとにしたものでなくてはならない。その歓喜とは、自と他、個と全がまつり合わし、大調和した歓喜である。
 人間が、自分の性に近い動物食を歓喜ととらえるのは偽の歓喜である。なぜなら、食べられる動物の側にとっては決して歓喜ではないからだ。
 肉食をする者は、少しでも、人間に食われるために殺される動物の立場になって考えたことがあるのだろうか。彼ら動物にも、夫婦や親子の情愛があり、生活があり、社会がある。傷つけられれば痛みは感じるし、怒ることもあり、殺されれば恨むこととてある。

 波長の細かい穀菜食のみが神界に通じる

 われわれ人間の肉体細胞は、食べ物によってつくられている。日常の食べ物が細胞をつくり、血をつくり、肉や骨をつくっている。人間はまさに、食べ物のお化けであると言える。
 その人が日常どんなものを食べているか。それによってその人の身魂がどんな霊質を持っているかがわかってしまう。
 動物性の食べ物は、霊的波長が粗い。したがって、これを摂っている人の身魂は、その食べ物の霊的波長と合うことになり、自然と粗い波長と交流するようになる。
 粗い波長をもつ霊界というのは、いわゆる下級霊の世界である。
 一方、植物性の食べ物は、霊的波長が細やかである。ゆえに、これを常食とする人の身魂は、細やかな霊的波長の世界と交流し得る。
 細やかな波長の世界とは、神界のことであり、あるいはそれに従属するところの高級霊界のことである。
 穀物菜食をしている人は、だいたいにおいてその性格は穏やかで、感情的起伏が少なく、情緒は安定している。反対に、肉食ばかりしている人というのは、荒々しく、すぐ感情的になり、情緒不安定である場合が多い。

 人間は誰しも霊界と通じているのであるが、その人がどのレベルの霊界と交流しているのか、一つの大きな判断基準となるのが、日々何を食し、血肉としているかという点である。
 完全穀物菜食の人であれば、高い霊界と通じやすい。しかし、肉食を平気でしている人であれば、その波長は必ず粗く、低い霊界と通じている。
 よく霊界から通信を受けるという人がいるが、こうした霊媒体質者が、どのレベルの霊界からの通信を受けているのかは、その人が何を食べているかでほぼ決まる。これはいわば審神(さにわ)以前の審神法と言えるだろう。

 肉食をしているかぎりメグリは解消しない

 低い霊が人間に憑かる場合というのは、要するに波長が合ってしまっているわけである。下級霊の住む世界と自分が交流してしまっているから、彼ら低きものたちに操られ、翻弄されることになる。
 しかし、身魂の波長が高いものであれば、当然下級霊との交流は起きようがなく、そのような霊たちから悪影響を受けるということもない。
 「食」が乱れ、身魂の波長が粗くなることによって、初めて波長の粗い霊たちとの交流が起きる。したがって、その霊を祓っても、本人の身魂の波長に変化がなければ、その波長と交流する霊たちはいくらでも寄って来るのである。
 波長の粗い世界に住む悪神、悪霊たちが人間に影響を及ぼす場合、まずその身魂の波長を自分たちのそれと合致させなければ、交渉は不可能である。交渉を可能とするために、最も効果的な方法とは、「食」を乱し、血を汚すことなのである。
 よって悪神、悪霊たちは、日本占領にあたり、まず日本人の食体系を破壊し、日本人の身魂を、動物食を摂らせることにより汚させ、肉体に憑かってコントロールしやすいように「足場を固めた」のであった。
 そして今や見事にその計画は功を奏し、日本人の身魂は動物性食にて汚れ、正流を受けられなくなったため神からは遠くなり、思うがままに操りやすい状況が実現した。あとは機を見て、総掛かりで攻め込むのみという段階に来ている。
 もはやわれわれは、悪神・悪霊たちによる日本占領作戦の「Dデー」前夜にあるわけである。
 この重大なるクライシスを乗り越え、彼ら波長粗き者たちの干渉を受けないようにするためには、何よりもまず「食」を正さなければならない。日本古来の伝統食に立ち返り、身魂の波長を高め、神界からの正流を正しく受けるようにしなくてはならない。

 
出口王仁三郎の「食制改革」の考え方

 大本教の創始者である出口王仁三郎は、大正9年1月16日、食制改革について次のように述べている。

 肉食のみを滋養物として、皇国(日本)固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性を帯び来たり、しまいには生物一般に対する愛情を失い、利己主義となり、且つ獣欲ますます旺盛となる。不倫・不道徳の人非人(人でなし)となってしまうのである。虎や狼や獅子などの獰猛なるは、常に動物を常食とするからである。牛馬や象の如くに、体躯は巨大なりといえども極めて温順なるは、生物を食わず、草食または穀食の影響である。故に、肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死のうが倒れようが凍えておろうが、そんなことには毫末も介意しない、只々自分のみの都合を計り、食、色のほか、天理も人道も弁知しないようになってしまうのである。
 こういう人間が日に月に殖えれば殖えるほど、世界は一方に不平・不満を抱くものができて、ついには種々喧(やかま)しき問題が一度に湧いてくるのである。為政者たるものは宜しく下情に通ずるを以て急務とし、万般の施設はこれを骨子として具体化して進まねばならぬのである。
 ‥‥まず何よりも国祖神諭に示させ給える如く、第一に肉食を廃し、身魂を浄めて神に接する道を開くを以て、社会改良の第一義とせねばならぬ。
(参考・『出口王仁三郎の世界改造論』泉田瑞顕著・心交社)


 このように、王仁三郎も、肉食を廃し、穀菜食を取り入れることが、社会を改革する上での最重要課題であることを明確に訴えているのである。
 食生活を「五穀野菜の類」に改めず、動物性食を摂りながら、何がしかの行法を試みることは本末転倒も甚だしい。肉食を続ける限り、血は汚れ、曇りは拭えず、波長は粗くなるのである。また、肉食をしている限り、メグリは解消しない。殺した動物を体内に取り込むということは、メグリを食べていることになる。メグリが血肉となっているわけである。メグリが身体の中にあれば、必然的にメグリを呼び込む。これが不幸現象を生じさせる大きな要因となっている。
 病気、事故、怪我、不和、争い、戦争‥‥すべて、このメグリのなせる産物である。
 肉食をすればまた、「色」の乱れを生じ、メグリをつくりやすくなる。男女の乱れのもとは、肉食にあると言っても過言ではない。地上人類界からこれら一切の不幸現象をなくしたいと思うのならば、人類が全員、穀物菜食になる以外にあり得ない。
 ギリギリの最終段階でもメグリの清算ができていない人々は、メグリとともに淘汰されることになろう。
 来たるべきミロクの世とは、高級霊人の住む世界そのままの写しであり、あらゆる殺生のない、嬉し嬉しの天国世界である。四ツ足、虫けらに至るまで、共に手をつないで唄い合う絶対平和、絶対調和の世の中である。
 この波長の高い、新しき世界に肉体のまま生き残れる人間とは、穀物菜食のみであることは間違いないと断言できる。
     
↑ 『日月神示 神一厘のシナリオ』
 
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