人は何のために祈るのか? A

 
祈りの相手先は自由に選ぶことができる

 「幸せ」の意味するところは大変幅広いものがあります。
 たとえば一般的に言われている「家内安全」「商売繁盛」「五穀豊穣」「無病息災」なども幸せの実現のために必要な要素となるでしょう。「病気が治る」「受験に合格する」「愛する人と結ばれる」「試合に勝つ」といったことや、「スポーツ選手になる」「政治家になる」「歌手になる」など夢の実現による「幸せ」もあります。
 それらは私たちの「祈り」の動機・目標とされやすいものです。

 私たちがそのような動機や目的で祈るのは、祈ることによって「見えない世界」にいる存在がその祈りに感応し、祈りの内容を実現してくれると思うからです。その「見えない世界」にいる存在のことを、『広辞苑』ではあっさりと「神仏」と表現していますが、ここではそれを広い意味で「神さま」と呼ぶことにいたします。

 祈りの相手先となる「神さま」は、仏教やキリスト教などの宗教の場合は、その宗教が信仰の対象とする特定の神的存在となります。お釈迦様や弘法大師(空海)、日蓮上人、イエス・キリスト、あるいは各神社・仏閣がお祀りしている個々の神様、仏様といった存在です。
 宇宙に遍在するスーパーパワー(絶対神)にお願いするよりは、そのような特定の人格神(人のように個性をもった神様)に直接お願いする方が、願いが聞き届けてもらいやすいと思うからでしょう。
 そして、そのような特定の神的存在にお願いするに当たっては、その宗派によって定められた「祈りの手法」があります。仏教ではお経を唱え、神道では祝詞を奏上してから、祈りの内容を伝えます。なぜなら特定の神的存在にまず振り向いて(感応して)もらわないといけないからです。
 このあたりはいかにも人間的です。「神様、今から私が願い事をしますから、ちゃんと聞いてくださいよ」というわけです。まず、願い事をする相手の神様(仏様)に出てきてもらうために、その神様(仏様)だけに伝わる特定のマントラ(呪文)を唱えるわけです。
 仏教では、「南無阿弥陀仏」であったり、「南無妙法蓮華経」であったり、「南無大師遍昭金剛」であったりと、宗派によって様々です。
 もっと簡単な祈りの方法として、私たち日本人は初詣などで神社にお参りしたとき、百円玉や十円玉を賽銭箱に投げ入れ、頭上の鈴を鳴らして、柏手を打ち、さまざまな願い事をします。「祈りの手法」は大変簡単ですが、祈る内容は「入学試験に合格させてください」「幸せな結婚ができますように」「商売が繁盛して儲かりますように」などと大変大きな願い事である場合が一般的です。
 いずれにしても、特定の宗教に縛られていない多くの日本人は、祈りの相手先を自由に選ぶことができるのです。「鰮(いわし)の頭も信心から」という諺さえ生まれるような大らかな国民性は、キリスト教やイスラム教などの一神教の社会では考えられないことでしょう。
 
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