俗に“虫の知らせ”といわれている現象にはいろいろと俗説があるようですが、ほとんど全てがテレパシー、すなわち、精神と精神との直接的感応の現象です。これにもいろいろなタイプがあります。
いちばん多いのが、身内や友人の死の予感ですが、これもテレパシーです。そういうと、死んだ本人は自分の死を予知していたわけではないのに……とおっしゃる方がいるかもしれません。確かにその通りで、突発事故で死んだのだから、その事故より何日も前に本人が何月何日に死ぬことがテレパシーで予知できるはずがない、というわけです。
説明しましょう。これには、事故死するB氏の背後霊団が関与しているのです。霊団はB氏の生活のパターンを細かく観察していて、このまま進むと死の危険に遭遇するというところまで予見します。そして、それを避けるための最大限の努力をします。それが功を奏する場合もありますが、因果律の働きの必然の結果まで変えることは、絶対にできません。運命は自分で築いていくのです。背後霊といえども本人に代って思い通りに細工を施すことは許されないのです。
さて、B氏の場合、それが功を奏さずに、いよいよ死期が迫ったとします。その頃には霊団の必死の働きかけの波動がB氏の身辺に渦巻いております。本人は何も気づいていませんが、それを霊感の鋭い友人のA氏が感知します。ビジョンとして見ることもあり、夢として見ることもあります。その際、地上的な“距離”は何の障害にもなりません。
では、予言が外れることがあるのは何が原因かということになりますが、これは、今述べた背後霊による必死の働きかけが功を奏して、それらを回避できた場合が考えられます。このように、予感とか虫の知らせには必ず霊界からの働きかけがあることを忘れてはなりません。
●注釈――スピリチュアリズムの重要な発見の一つとして、物質界の諸相――人間生活から自然界の営みに至るまで――の全てに、見えざる知的存在による働きかけがあるという事実が挙げられよう。
自然界の生成発展には自然霊が関与しており、高級な守護天使の監督のもとに妖精と呼ばれる、知性的には進化のレベルの低い原始霊が直接的に働いている。その組織を日本古米の思想の天津神・国津神の観点から考究していくのも、将来の興味深いテーマであるが、ここでは人間界の営みだけにしぼり、それにも霊的と心霊的の二種類が入り混じっていることを指摘しておきたい。
人間に五感以外に「第六感」などと呼ばれる直感的能力があることは、昔から知られている。最近では「超能力」と呼ぶことが多いが、これは五感の延長上にあるもので、これを英語ではサイキックと呼ぶ。日本語では取りあえず「心霊的」という用語を当てているが、これが進化論的にみて必ずしも高度なものでないことは、動物や鳥類、昆虫などの方が人間より発達している事実からも窺われる。多分、人類もかつては動物と同じ程度に発達していたのが、知性と、それに伴う文明の発達によって退化したと考えるのが正しいであろう。計算器を使うと暗算能力が低下するのと同じパターンをたどったと私は見ている。
これに対して、背後霊が、日常生活の中で因果律の働きを計算に入れながら、本人の魂の成長にとって最も効率のよい指導をする、こういう関係をスピリチュアルといい、日本語では「霊的」という用語を当てている。
背後霊団の中の中心的存在はもちろん守護霊である。これは、肉体上の親が遺伝子という血縁によって結ばれているのとは違って、親和性という霊的な血縁によって結ばれた集団――これを英語ではグループソウルといい「類魂」と訳されている――の一人で、かなりの進化を遂げてはいるが、物質界との業(カルマ)が完全に消滅しきっていない段階にある。そういう霊が守護霊に任命され、地上の類魂の面倒を見ることになる。
ここで注意しなければならないのは、守護霊という用語は人間側が勝手に当てているだけで、「守護(ガード)」という文字につられて何でも守ってくれる霊であると想像してはならないことである。ステッドが指摘しているように、守護霊自身にもカルマがあり、地上の人間にもカルマがある。それが独自に作用することもあれば、互いに連動して作用することもある。その辺は、因果律が機械的・自動的・絶対的に働き、情緒的な要素の入る余地はないらしいのである。確かに、人間界の悲劇を見ていると、それも納得がいく。
本章はいたって短いが、いろいろと示唆に富んだ、貴重な通信である。
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