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1945年8月、アメリカは広島・長崎において、人類に対する史上初の核攻撃を行なった。戦後、アメリカはその目的を、戦争を終結させ、本土決戦で失われると予想された100万人の人命を救うためであったと発表している。果たして、それは真実だったのであろうか。 ■検証■ 原爆投下 1989年に勃発した第二次世界大戦は、初期の段階こそ枢軸国が優勢だったが、アメリカが19410年に参戦すると連合国側が形勢を逆転。ヨーロッパ戦線、アジア・太平洋戦線でも、圧倒的な軍事力で快進撃を続けることになる。その結果、1943年9月にはイタリアが降伏、1945年5月にはドイツが降伏したことで、日本の無条件降伏も時間の問題と目されていた。 連合国側の関心は、もはや勝敗ではなく、戦後処理にあった。新しい世界秩序のもとでどのように覇権を確立するかという米ソ両陣営の思惑が、終戦を待たずに交錯していたのである。しかし、日本の抵抗は思った以上に頑強だった。太平洋を制圧し、沖縄戦で一方的な勝利をおさめたにもかかわらず、日本は降伏の意思を見せようとはしない。1945年7月になると、日米双方は九州上陸作戦を視野に入れはじめた。その一方で、トルーマン大統領は「最終兵器」の完成を心待ちにしていた。極秘に進めてきた「マンハッタン計画」と称する原子爆弾開発の国家プロジェクトである。原爆を投下すれば、日本は無条件降伏を受け入れるにちがいない。大統領は、そう確信していたのだ。 そして7月16日、史上初の原爆実験が成功したとの一報がもたらされた。トルーマンは<、即座に日本への投下を決定。8月6日に広島、9日には長崎に、警告なしの核攻撃を加えたのである。 原爆投下によって、日本がポツダム宣言を受け入れたのは歴史的事実である。しかし、それは本当に必要とされた選択だったのだろうか。 ・そもそもアメリカはどのような理由によって原爆開発に着手したのだろうか。 ・原爆投下の最終決定は、いつ、誰が、どのように行なったのか。 ・広島と長崎は、どのような理由によって原爆投下地として選ばれたのか。 これらを検証することで、原爆投下の真相を追究する……。 |
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