教科書が教えない歴史
藤岡信勝/自由主義史観研究会 
産経新聞社
 

 日露戦争直後から日本との戦争計画

 「日露戦争は、アジアの国がヨーロッパの国と戦って、はじめて勝った戦争でした。このことから、アジアの人々や、植民地の独立運動を進めていた人々は、大きなしげきを受けました」(小学校社会科教科書より)
 そのころ、アジアの国々のほとんどはヨーロッパの国々の植民地にされていました。海の向こうからやってきた白人の政府によって長い間支配されてきたのです。1904年(明治37年)から1905年(明治38年)にかけての日露戦争での日本の勝利は、ヨーロッパ人による支配がけっして変えられない運命ではないのだと教えました。
 教科書に書かれている「大きなしげき」とは、アジアの人々の心に芽生えた「独立への希望と勇気」のことなのです。その後、民族の誇りに目覚めたアジア人留学生や独立運動家たちが、日本に学ぼうと大勢日本にやってくるようになります。
 さて、これは教科書には出てこないことですが、日露戦争はヨーロッパの国々にも「大きなしげき」を与えました。アジア人なら好き勝手に支配してもいいのだという自分達の考え方が、これからは通用しないかもしれないという恐れでした。
 それをいちばん強く感じていた国が、皮肉なことに、日露戦争の講和で日本を助けてくれたアメリカでした。アメリカにとって日本が目の上のたんこぶになってきたのです。日露戦争後、すぐに 「これから一番の敵になる国は日本だ」と考えるようになります。そして、ただちに日本との戦争にどうやったら勝てるかという研究をまとめました。「オレンジ計画」と呼ばれるもので、オレンジという色の名前を暗号として使いました。
 黒船来航から半世紀。白人に支配されるのはいやだ、独立を守るぞ、という大目標を立て、日本はけんめいに新しい国づくりを進めてきました。そしていま、いちばん恐ろしかった強国ロシアにあやうく勝利したばかりなのです。友好国アメリカが戦争計画を準備していようとは思いもよらないことでした。
 「日本は大陸での野望を実現するために、必ず太平洋のアメリカ領(フィリピン・グアム・ハワイなど)を攻撃する。しかし資源のない日本は海上輸送に頼らなければ戦争を続けることはできない。海軍の力で海をおさえてしまえば、日本の息の根を止めることができる」(エドワード・ミラー『オレンジ計画』新潮社)
 計画が作られておよそ30年後、日本とアメリカはそこに書かれた通りの戦争を戦い、アメリカが予想した通りの結末を迎えることになります。
 その戦争は、日本軍による真珠湾攻撃によって始まったのですが、それよりもはるか以前から、アメリカの側にも日本をはるかに上回るほどの強い戦意があったことを「オレンジ計画」は教えてくれます。
 まさに、日露戦争は近代日本の分かれ道だったのです。
 (斎藤武夫)
 
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