教科書が教えない歴史
藤岡信勝/自由主義史観研究会 
産経新聞社
 

 日本の戦いを絶賛したタイの首相

 日本はなぜ大東亜戦争で開戦したのでしょうか。当時、ヨーロッパでは大戦が起きていました。イギリスはドイツによっておいつめられていました。そこで、イギリスのチャーチルは戦争を有利に導くためにヨーロッパ戦線にアメリカを参戦させようと考えました。そのために、チャーチルはアメリカのルーズベルトと密約し、日本をアメリカと戦わせようとしたのです。そうすればアメリカは参戦できます。日本に戦争をしかけるために、英米と中国、オランダは日本に対して経済封鎖をしました。石油などの有力物資をとめられ、日本はこのままでは生きていくことはできなくなります。
 一方、日本は中国との戦争を終結することができず泥沼化していました。外交もまずく、政府の意思が伝わらず軍の単独行動もありました。それらはアメリカとの対立を深めます。そして、アメリカからはハル・ノートがつきつけられます。後にパール判事は、それを宣戦布告に等しいと言っています。もし日本が受け入れれば、戦わずしてアメリカに負けてしまうことになります。そこで、日本は戦いを決意したのでした。
 時の政府は、この戦争の名称を大東亜戦争と決めました。日本は、ハワイの真珠湾にあったアメリカ艦隊を攻撃し米側の予想を大きく上回り大打撃を与えました。また、重要な海峡であるマラッカ海峡を押さえていたイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの戦艦を轟沈しました。
 陸軍もマレー半島に上陸し英軍を降伏させました。さらに、インドネシアに進軍し、たった9日間で350年の支配者であったオランダ軍を降伏させました。
 ところがその後、戦局は逆転し。日本軍は敗退を続け1945年8月、ついに連合軍に降伏します。近代史上、はじめての日本の敗戦でした。原爆が投下された広島・長崎をはじめ都市は焦土と化します。
 しかし、日本軍の初期の戦果はそれまでの常識をはるかに超えるものでした。タイの首相になったククリット・プラモートが新聞記者のころに「12月8日」と題した記事を書いています。
 「日本のおかけで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。われわれはこの日を忘れてはならない」(サイヤム・ラット)
 日本が英米蘭に対する戦争を決意したのは、第一には自国の自存自衛のためでした。しかし、この戦争はそうした意図にとどまらず、一時的にせよアジアから欧米列強の植民地支配の勢力を追い出す働きをしたのです。今でも、アジアの国々の心ある人々はそれを忘れていないのです。
(入川智紀)
 
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