GHQ焚書図書開封1
米占領軍に消された戦前の日本 
西尾幹二 徳間文庫カレッジ 

 言葉と謀略による「戦後の戦争」

 アメリカの占領政策の特徴は、何をせよとは命令せず、何をするなとだけ禁止した、とかつて三浦朱門氏が私との対談で往時を振り返って言っておられました。例えば各家の戸口に星条旗を掲げよ、などと命令しない。その代わりマッカーサーや占領軍のことをほんの少しでも誹謗すると沖縄に強制労働に行かされるなど処罰されたというのです。占領軍は広く日本国民に反感をいだかせるようなことはしない。代わりに違反に対する恐怖心を与える。これは効果的です。なぜなら恐怖心は奥に潜んで、人から人へ無言で伝えられ、日本人が自ら進んで自分を制限する方向を促進するからです。禁止は自動的に拡大するのです。
 日本国民をいっぺんにキリスト教に改宗させようなどと無理なことはいたしません。しかし信仰心の破壊がその国の国勢を最終的に抑えこみ、亡ぼす最上の策であることを彼らは知っていました。だから天皇の制度は残しましたが、皇室財産の大半を没収し、皇室の藩屏(はんぺい)であるべき旧皇族から皇籍を剥奪しました。天皇の人間宣言をさせて、クウェーカー教徒の独身のアメリカ婦人を皇太子の教育係にしました。天皇が国民と同じであるところまで垣根をとり払い、それを皇室の民主化であると装いました。やがて何十年後かに天皇の制度が無力化することを見越した時限爆弾を仕掛けていたのです。
 そこには日本人を教化する、すなわち進んだ文明を教えてやるというお節介な宣教師意識も働いていたことが推定されます。
 考えてみればGHQによる「検閲」や「焚書」も、何をせよの命令ではなく、何をするなの禁止の最も徹底した形態であり、思想破壊の極限ともいうべきものです。ことに「焚書」は何十年か先を見越した、時間とともに効果の出てくる時限爆弾の一つであります。おそらくそのせいでしょうが、皇室、国体、天皇、皇道、神道、日本精神といった文字が標題にある書物は、正確に数えてはいませんが、500点ほどはあり、虱つぶしに廃棄していたことに、占領軍による信仰破壊の先を見抜いた見取り図があったように思えてなりません。おそらく日本以外の他の被占領国に対するアングロサクソンの伝統的な統治手法が踏襲されたのかもしれません。日本がフィリピンや韓国のように簡単にキリスト教に改宗しなかったのは、二千年以上に及ぶ仏教や神道の培った独自の歴史の深さによるのだと考えるべきです。
 とりわけ戦意形成期の17年間の歴史を日本人の前から消して目隠しをかぶせてしまう「焚書」は、魂の深部を毀(こわ)す悲しい行為でした。しかしそれだけでなく、占領軍が新しい歴史を教えこむ前提でもありました。アメリカ産の歴史の見方、すなわち満州事変より後に日本は悪魔の国になり、侵略国になったため、本当は戦争をしたくない平和の使徒アメリカがいやいやながらついに起ち上がって悪魔を打ち負かした、というばかばかしい「お伽話」を日本国民の頭に覚えこませるのにはどうしても必要な手続きでした。
 やがていつの間にかアメリカが民主主義を与えてくれて日本を再生させたという迷信に、一億国民が完全に支配されてしまうのです。
 いいかえれば、昭和20年(1945年)より後にもひきつづき言葉と謀略による戦争、「戦後の戦争」がつづいていたといってよいのです。GHQの民間検閲支隊(CCD)はそのための最前線の部隊であり、6人の調査課(RS)は白兵戦の尖兵の位置にあったといっていいでしょう。面白いことに昭和21年に早くもGHQ側に不安が生じ、焚書の実行に不首尾の感情があったということは、日本人の中に秘かな抵抗、占領軍に対する表立たない不服従の意識がはたらいていたことをも意味しないでしょうか。さりとて全体として日本人は目隠しされて服従することに少しずつ馴れていき、昭和23、24年の頃にはいつの間にかアメリカ万歳になっていくのです。GHQの戦略の勝利か、日本人のいい加減さの屈服か、このあたりは心の奥にある秘密と関わっているので、解明しようとしてもどうしても解明し尽くせない、いちばん分かりにくい、戦後史の謎に属する部分です。
 日本の一般国民には広く不服従の感情があったことは、少年時代の私の記憶にもありますが、アメリカの占領政策に無抵抗で、いちばん脆かったのは、残念ながら指導階級ではなかったかと思います。ことに知識人、学者や言論人といった知的指導階級の弱さは恥ずかしいばかりです。その意味で東京大学文学部をはじめ、牧野英一のような戦前から一流と目された法律学者の公職追放などへの対米協力はあらためて検討され、処断されるべきでしょう。金子武蔵、尾高邦雄が個人として何をしたかは証拠不十分ですが、昭和21〜22年当時の東京大学文学部には「集団としての罪」があります。
 考えてみると彼らは国民に対する裏切り者ではありませんか。ナチス・ドイツに占領されたフランスのヴィシー政権の協力者が戦後フランス国民から処断されたと同じ罪を犯し、同じ運命を辿るべき人々のはずなのです。
 それがどういうわけか、日本ではそういう問題意識が生まれぬままに今日に至りました。敗戦国だからでしょうか。フランスもじつは戦勝国とはとうてい言えない国家なのです。それはともかく、一国の歴史の抹殺、国民の正当な愛国心の破壊、文明の殲滅という点でナチス・ドイツとアメリカ占領軍がやったことの間には、非文明的行為という一点に関する限り、ほとんどへだたりはありません。
 それに「文部次官通達」によると、都道府県知事に指名された地域のインテリ、教育に関係のある現場教師以外の知識人によって没収行為が行われたわけですから、各都道府県庁の資料室の倉庫の奥に昭和23年当時の「宣伝用刊行物没収官」の氏名リストが残っているケースも少なくないでしょう。彼らは何くわぬ顔で各地域の名士になってその後地位を得て活躍していたに違いありません。
「宣伝用刊行物没収官」は誰であったかを今突きとめ、その氏名をたとえ時期外れであったにせよ公表すべきです。この種の問題に時効はないのです。日本国民はそういう自責的なケリをきちんとつけないからいつまで経っても主体性ある国民として起ち上がれないのです。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]